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♨️草津、湯のあとに 湯に注がれた情熱

「日本近代医学の父」と呼ばれるドイツ人医師・ベルツ博士
明治の日本にきた彼が、なぜ草津の湯に心を寄せたのか。
記念館を訪ね 湯の町に刻まれた医学と情熱の記憶を追った。

ーベルツ博士と草津、湯に注がれた情熱ー

温泉地・草津を歩くと、ふと異国の気配を感じることがある。
赤レンガ風の建物「ベルツ記念館」に足を踏み入れると、そこにはひとりのドイツ人医師の人生と、草津との深い結びつきが静かに語られていた。

草津に残された「日本近代医学の父」の足跡

エルウィン・フォン・ベルツ 明治9年、日本政府の招聘で来日し、東京医学校(現・東京大学医学部)で教育に携わった人物である。彼は日本の医学教育の近代化に尽力する傍ら、草津温泉の医学的価値に注目し、自ら何度も湯治に訪れた。

「草津の湯は、世界に誇るべき自然の恵みである」
彼の残した記録には、そうした熱意と科学的視点がにじんでいる。

ベルツ記念館、知られざる物語

館内に展示された写真や資料からは、ベルツ博士の生涯と草津への愛情が伝わってくる。
・東京医学校の生徒たちとの集合写真
・内科・産科・精神医学を教え、800人以上の医師を育成した功績
・皇太子(のちの大正天皇)付の侍医としての任務
・帰国後もなお日本の皇族の健康管理を担い、再来日した事実
その根底には常に「人を癒す」という信念があった。

異国で支え合った家族の姿

展示の一角には、ベルツ博士の妻・花(はな)や、子どもたちの写真も
花夫人は医師として、また美術においても深い知見を持ち、ベルツの活動を支えた。
長女ウタを幼くして亡くした悲しみを、博士は日記に「まるでローマの貴婦人のような毅然さ」と記している。

家族の肖像画が静かに見守る展示室には、明治という激動の時代をともに歩んだ家族の物語があった。

草津を「医学の町」へと導いた熱意

ベルツ博士が草津を選んだのは、温泉の効能だけでなく、その環境がリハビリに理想的と考えたからだった。
彼の草津滞在がきっかけで、湯治に科学的意義が認められ、後に温泉療法の礎となっていく。

草津の湯は、ドイツ式医学の目を通して評価され、日本の伝統文化と科学が交わる場になったのだ。

結びにかえて

草津の湯に、異国から来た一人の医師が込めた情熱
彼が見つめたのは、「湯に癒される人々の未来」だった。
今もなお、その志は静かに息づいている。

ベルツ博士の目に映った草津をめぐりながら、湯のまちの奥行きを感じたひとときだった。

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