6月前半
◽️6/4
浅草まで兄と小林旭のコンサートを観に行く。アキラは今年88歳。昭和の大スターでありながら、先日も元気に徹子の部屋に出演し「88歳になったから今年は全国88ヶ所でコンサートをするつもり」と話しているスーパーマンみたいなおじいちゃんだ。コンサートが始まって1曲目が終わるや否や、アキラは集まった観客へ「わざわざすいません、台風でどうなることかと…」「みなさんに支えてもらって歌えています」と繰り返していて、大スターとは思えない腰の低さに驚いた。スクリーンに写し出された「AKIRA 88」というロゴが、その謙虚さゆえに一層神々しく見える。1曲歌い終わると昔話を含めたアキラのMCが入るのだけど、これもまた88歳とは思えない話のうまさで、鈴木清順のモノマネなんていうありえないネタも挟んでくれるからすごい。高校生活を捨てて日活のスターとして芸能界に飛びこんだ当時のアキラ視点で語られる、今では考えられないような常識から逸脱した天才たちの話はいくら聞いても聞き飽きないほど楽しいのだけど、アキラのすごいところは、これらの人たちを話のネタとしながらも一切バカにしたり否定したりしないことだ。エピソードのオチとしてアキラは「ほー、そんな人もいるんだなあと思った」という感想を抱いていることが多く、快活なイメージがあった若い頃から実はすごく冷静に物事を客観視できる人だったのかもしれないと感じた。しかし歌うことへの情熱は今でも強いようで、コンサート終盤には改めて「みなさんに支えてもらっているからこうして歌える」と繰り返し、「もしも観客が1人になっても、いてくれる人の為に精一杯歌いたい」と語っていて、そんな17歳路上ミュージシャンみたいなことを88歳の大スターが熱く語ってくれるなんて、なんて幸せなことなんだろうと思って泣きながら拍手してしまった。帰りは私も兄も感動からアキラの話が止まらなくなり、そのまま浅草寺とその近くにある小さい神社(野口五郎がヒット前に通っていたらしい)に寄って手を合わせてきた。理由は簡単だ。アキラの感動から「おじいちゃんになっても続けたい」と言っていた井澤くんを思い出さずにいられなかったからだ。井澤くんも、88歳になってもアキラみたいに歌えるくらい元気でいてくれますように。
◽️6/6
紫陽花がやたら綺麗に咲いているなぁと思う。
◽️6/7
紫陽花咲いてるなーと思っていたら梅雨入りしていた。この日は井澤くんとテニミュで共演し、あの真田弦一郎役を務めた田鶴翔吾くんのバーイベへ。なぜかというと井澤くんがゲストとして登壇するからだ。仲良しの田鶴くんに会えて嬉しかったのか井澤くんはいつも以上にニコニコが止まらないといった感じで、リラックスしてお話しているように見えて可愛かった。バーイベ中はやはりテニミュの話で盛り上がっていたが、それももう10年近く過去の話だと思うとかなり驚く。なのにスクリーンに表示された当時の公演スケジュールを見ただけでオタクはなんとなく懐かしい気持ちになるし、今でも技のポーズとか見るだけで声が出るほど嬉しくて、彼らがあらゆるイベントで話していたであろう重複したエピソードすらも何度聞いても楽しく、昔の話を何度も何度も繰り返してしまうおじいちゃんやおばあちゃんたちの気持ちがよく分かる。私も高齢になったら「誕生日にIKEAの巨大ゴリラをプレゼントされたけど恥ずかしくて持ち帰りづらい立石俊樹くんの代わりに、帰り道にいさわくんが背負って持って帰ってくれたんだよ」みたいなことを若者たちに何度も吹聴するようになるんだろうか。生きてるかは知らんけど。
イベント後、誰よりも早く会場を飛び出して神宮球場へ。ヤクルトスワローズと日本ハムの交流戦を観に行く。本当に最近わたしの周りは野球のファンがじわじわと増えている。今回はその付き添いだ。実は田鶴くんのイベントが決まる前から野球を観に行くことは決まっていて、既にチケットも取ってもらっていたので試合開始時刻には間に合わなかった。それでも舞台と違って気軽に入場できるのが野球のいいところなのかもしれない。以前、そんなにハマってるなら私が好きそうな選手はいないのかと聞いてみたところ、日本ハムの逹孝太選手をおすすめされた。確かになんだか私の好きそうな理屈っぽさがある人で、KREVAのファンだというところも好感度が高い。運良くピッチングを見れないかな〜なんて思っていたのだけど、運良くどころか運悪くこの数日前に達選手は二軍落ちしてしまい、私の死神っぷりが遺憾なく発揮されることとなった。個人的にはスポーツ全般にあまり興味がないというか、そもそも根本的に勝負事が苦手且つ特に国同士の争いにやる気を見出せなくてWBCもW杯もオリンピックも全く見ないタイプなのだけど、幼少期にパワプロで遊んだ経験のおかげで野球のルールはちゃんと分かるし、なんだかんだめちゃくちゃお酒を飲みながら食べながら野球が観れるのは楽しかった。友達は最近野球の試合結果に一喜一憂するようになったらしく、好きな球団が負けると普通にスマホに向かって怒っていたりする。私もハマったらそうなるんだろうか?それはそれで楽しそうだなとも思う。ちなみに逹孝太選手は、笑った顔がめちゃくちゃ北川景子に似ている。
◽️6/9
お友達から「サイゼリヤの恒常メニューからチキンがなくなってしまうかも」とLINEがきた。必然的に「じゃあお別れの挨拶をしないとね」という流れになり、急遽サイゼリヤへ。サイゼ愛が強い友達がいて助かる。おもいのほか仕事が早く終わり、サイゼの約束まで少し時間があったため、少し前にセールになっていた話題の漫画「999号室」を読んだ。手紙にまつわる話。オタクという生き物として生活に手紙はついて回るので、かなり興味深い。まだまだ謎ばかりだけどディストピア的な世界観と作画が好みで、早く続きが読みたい。あと出てくるわんちゃんがとにかくかわいい。
◽️6/11
女とかいう生き物はこの歳になっても、都会の駅でウロウロしているといまだに痴漢紛いの被害に遭うことがある。私の場合はいかにも大人しそうな見た目をしてるというのもあるかもしれないが、もしも本当にそんなことが加害行為の理由になるだとしたら理不尽すぎるなと思う。ちょっとしたことでも被害に遭うと、その時点で死にたいくらいには落ち込む。それは自分が悪いと思っているわけでは決してなく、私の人生には素敵な人も大好きな人もたくさんいるはずなのに、何でこの世はこんなに最悪なんだろうと思えるからだ。この世は最悪だと思うと、いやいやこんな世界でもあの人だけは絶対に希望でいてくれるからいいじゃん、と思う一方で、でも赤の他人にそんな風になんの根拠もないのに都合よく縋ったり頼ろうとするのって、なんか失礼だな、大切な人には私のしょうもない苦しみや祈りなんてなんにも関係もないのにな、とかいう考えが横入りしてきて躊躇する。思い直して立ち止まる。自分に言い聞かせる。自分の機嫌くらい自分で取れなくてどうする。私はこれからも全然好きでもない私と上手に生きていかなきゃいけないのに。もう誰も神様にしないと決めたのは他でもない自分じゃないか。もっと上手くやれ。なのにこんな文章を書いている時点で、神様を作ろうとしているのもまた自分じゃないかという矛盾に気づいてしまって吐き気がする。嫌だなあ、いい加減にもう少し自分を上手に扱えるようになりたい。そもそもこんなことを考えてしまうのもきっと気圧か何かのせいで、痴漢以外に悪者は1人もいないのにな。ということは全部痴漢が悪いのか。消えてくれ1人残らず。雪見だいふくを買って帰る。
◽️6/14
友達を誘って、井澤くんがPRしていたイヤホンのPOPUPを観に行く。青山のおしゃれな店内に萎縮しつつ恐る恐る試聴してみると、一瞬で音質の良さが分かってしまってびっくりする。少し前にちょっと高いイヤホンを壊したり失くしたりしていたトラウマからここ最近本当に安価なもので済ませていたのもあって、こんなにも違うものかと純粋に感動してしまった。インフルエンサーにつきっきりでいかにもキモオタで金を持ってなさそうな私の存在があまり見えてなさそうなスタッフたちを横目に、井澤くんがPRで着用していたのと同じモデルを購入。もうちょっとゆっくり店内の写真を撮ればよかったなと思ったけど、レジのあるフロアにインフルエンサーとカメラマンたちが来てしまったので、最後は半分逃げるような感じで店を飛び出した。ついでに同じく井澤くんが過去にPRしていた韓国のメガネブランドのお店にも行って、ちょっとおしゃれなメガネを購入。お金を貯めてまたきたい。イヤホンは家に帰ってすぐにペアリングして、早速井澤くんの曲を聴いた。イコライザーのアプリで遊んでいたら、なんだか知らない音が聞こえた気がしてワクワクして眠れなくなった。
◽️6/15
佐藤二朗が原作・脚本を書いたという映画「名無し」を観る。俳優と脚本というのはまた全然違う業務だと私は認識していて、ぶっちゃけ最初からあまり期待値を高めずに観に行ったつもりだったけど、ちょっと思った以上に映画としての出来は微妙で逆に拍子抜けした。佐藤二朗は人にはない特殊能力を持ったおじさんの役で、冒頭からその能力で罪のない人々を無限に殺しまくる。何もしてなくてもとにかく殺す。残酷なシーンが続く。血だらけで目をひん剥いて死ぬ人たちが映される。理由なく何度も挿入されるバイオレンスな映像からは、さすがに目を逸らしたくなる。だけど、最後までそこに明確な理由やメッセージ性は感じられなかった。意外性がある感じで明かされる登場人物たちの関係は予め丁寧に説明されすぎて、なんの驚きもない。よくある設定だ。なんなら台詞一つ一つすらも間が悪く、全部がわざとらしく感じる。誰かがキャラクターに言葉を言わせている。誰かがこのシーンを「エモいですよ」と差し出している。なぜそれを「誰か」に決められなきゃいけないのだと思う。そうなると創作物というものに全く入り込むことができない。何よりも物語が人を殺したり生き返らせたりというのは観ている人の感情を刺激する一番簡単な方法だろう。だからこそ何の意味もなくそこに頼るのは逃げだと感じてしまう。常人には理解できないサイコパスの犯行でした、それで終わってしまったら、たくさんの死で尺を稼ぎましたということにしかならない。殺しに理由があればいいというわけでは決してないのだけど、いくら物語の中とは言え、人を殺すならそれなりの覚悟でやってくれないと、残るのは不愉快な感情だけだ。「ああ役者としてこのシーン演じたかったんだね」みたいな場面はたくさんあって、一つ一つはとても良いシーンだっただけに、残念さが残る。ちなみに個人的ベストオブ佐藤二朗は、片山慎三監督の「さがす」です。そろそろ日韓合作映画とかでクァク・ドウォンあたりと戦って欲しい。
悪口ばかり書いてかなり後味が悪いため、6/7の田鶴翔吾くんのバーイベ後、井澤くんがTikTokを再開してくれた事実を書くことで喜びを表現して終わらせたい。私は「井澤巧麻は中島健人である」という説をこっそり提唱する異常者なんですけど、そんな中偶然にも「最初はキュン!」を撮ってくださり、ちゃんと泣きました。ありがとうございます。ケンティー、最初はキュンをバズらせてくれてありがとう。TikTok再開のきっかけを作ってくださったであろう田鶴翔吾くんにも本当に感謝しています。TikTokにいまだに馴染めないインターネット老人だけど、精一杯ドパガキやらせていただきます。ありがとうございます。みなさん是非見てくださいかっこいいので。↓
