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【聖なる経済学】 地域通貨と補完通貨

訳者コメント:
グローバル経済がもたらしたのは、均質化とコストの外部化です。
 日本でもアメリカの後を追うように、郊外にロードサイド店舗が並ぶ景観が激増しました。2000年を境に、それまで中小の小売店を保護してきた「大規模小売店舗法」が、大型店の立地を促進する「大規模小売店舗立地法」へと180度方向転換し、大型ショッピングモールが次々と建てられ、昔ながらの個人店や商店街は寂れていきました。これがグローバル通貨のもたらすグローバル化というものです。これに対抗するには経済の再地域化リローカリゼーションが必要で、そのための道具として地域通貨の可能性が考えられるのです。
 現在のような安価な輸入品の裏には隠された環境破壊と労働搾取があります。経済を再地域化すれば、そのような負の側面から目を反らすことができなくなります。


第15章:地域通貨と補完通貨

真のコミュニティとは共有財産であることも忘れてはならない。それは場所であり、資源であり、経済である。それは、構成員の実際的なニーズだけでなく、社会的、精神的なニーズにも応えるものであり、その中には互いを頼りたいというニーズも含まれる。政治権力と富が結びついた現状への解決策は、共同体と経済の独自性を回復することである。
―ウェンデル・ベリー

神聖な生き方は、私たちを周りの人々や場所と結びつけます。つまり、神聖な経済は、大部分が地域経済でなければなりません。そこでは、私たちのニーズを満たしてくれる土地や人々と多面的で個人的な関係を築き、そして私たちもまたそのニーズを満たします。そうでなければ、社会と物質の間に分断が生じ、社会的な関係は実質を欠き、経済的な関係は人間味を欠いたものになってしまいます。遠く離れた見知らぬ人から画一的なサービスを購入したり、遠い国から標準化された製品を購入したりすると、私たちが避けがたく感じるのは、つながりの喪失、疎外感、そして私たちが購入する物と同じように、私たち自身も置き換え可能な存在なのだという感覚です。私たちが提供するものが標準化され非人間的である限り、私たち自身も置き換え可能な存在に他ならないのです。

国家通貨や世界通貨という均質なものの影響の一つが、文化の均質化です。お金の領域が物質的、社会的な生活のあらゆる側面に及ぶにつれ、私たちの周りの物や人間関係は標準化された商品となり、お金が到達する場所ならどこでも同じものになります。この傾向が最も明らかに表れているのが、アメリカ合衆国に見られる「高速道路出口の景観」です。どこへ行っても同じ店舗、同じレストラン、同じ建築様式ばかりです。そして、私たちはどこにいようが同じ従業員であり消費者であり、遠く離れた経済権力の奴隷として暮らしています。地域ごとの独自性、自治、そして経済的機会は失われます。企業の利益は遠く離れた本社、そして最終的にはウォール街へと吸い取られていきます。活気に満ち、経済的に多様で、独自の地域性を持つコミュニティの代わりに、どこもかしこも同じ単一文化の中に、私たちはいるのです。

本書でこれまで述べてきた貨幣制度は、地域経済の主権に対する多くの障壁を取り除き、グローバル化への圧力を弱めます。その三つの方法を挙げましょう。

1. グローバル貿易の多くが経済的に成り立っているのは、隠れた社会的・環境的補助金のおかげなのであって、コストを内部化すれば成り立たなくなる。

2. コモンズに裏付けられた通貨は、コモンズの多くが地域的または生物地域的な性質を持つため、経済力を地域に戻す。

3. マイナス金利貨幣は、成長を維持するため他国にある地域特有の関係性や天然資源を商品に転換しようとする圧力を取り除く。最終的に地域ごとの差異は、商品化、ひいては成長を妨げるよう働く。

しかし、地域経済の習慣やインフラがほぼ消滅してしまったため、地域と特定の場所に根ざした経済を再構築するには、さらに対策が必要となります。本章では、そうした対策の一つである、貨幣そのものの地域化について論じます。

私は世界貿易の放棄を提唱しているわけではありません。食料など、本来地域に根ざすべきものがグローバル化している一方で、人間の集合的な創造性の領域の中には、その性質上、労働のグローバルな調整を必要とするものも数多くあります。さらに、経済学者のいう規模の効率性や比較優位(特定の地域や文化が特定の種類の生産により適しているという考え方)という教義には、全く根拠がないわけではありません[1]。しかし一般的には、〈聖なる経済学〉によって、いま海上や大陸を越えて輸送されている商品の多くを地域で調達するように促されるでしょう。

これまで述べてきた変化によってグローバリゼーションの経済性は低下するものの、私が地域経済に惹かれる主な理由は、経済的な論理ではなく、つまり測定可能な幸福度を最大化することではありません。むしろ、それはコミュニティへの憧れから来ています。コミュニティの糸は二つの種類に分けられます。贈り物ギフトと物語が、その縦糸と横糸です。強いコミュニティは社会的つながりと経済的つながりを織り合わせているのです。私たちが頼りにし、私たちを頼りにしている人々は、私たちが知っている人々であり、私たちを知っている人々でもあります。実に単純なことです。これは、あらゆる存在のより広いコミュニティ、つまり土地とその生態系にも当てはまります。コミュニティが無ければ、私たちは痛ましいほどの存在の欠如に苦しみます。なぜなら、こうした多次元的なつながりこそが、私たちの存在を定義するものであり、惨めで孤独な切り離された自我、つまり「肉体の牢獄に閉じ込められた心理の泡」を超えて私たちを広げてくれるからです。私たちは、失われたつながり、失われた存在を取り戻したいと切望しているのです。

何千年にもわたる文化の均質化という傾向を、地域経済は逆転させ、私たちが日々目にする人々や場所と私たちを結びつけます。コミュニティへの憧れを満たすだけでなく、社会と環境にも恩恵をもたらします。エネルギー消費を削減するだけでなく、経済的決定の社会と生態系への影響を無視しにくいものにします。実際、今日では私たちの経済的決定が何の影響も伴わないふりをするのは非常に簡単なことです。私たちがほとんど考えずに使っているものが分かちがたく結び付いているのは、アジアのブラック工場での労働、ニジェール川デルタの原油流出、コンゴでの森林破壊と資源採掘です。しかし、これらの影響は遠く離れており、画面のピクセルとしてしか私たちに届きません。当然ながら、私たちはまるでそれらが起こっていないかのように生活しています。もしあなたの食料を育て、あなたの物を作っている人々がハイチや中国、パキスタンに住んでいるなら、彼らの幸福や苦しみは目に見えません。もし彼らが近くに住んでいれば、あなたは彼らを搾取することはできるかもしれませんが、それを知らずにいることは難しくなります。地域経済は、私たちの行動の結果を突きつけ、カルマの輪を引き締め、他者をも含む自己意識を育みます。したがって地域経済は、現代の深い精神的変革と密接に結びついているのです。


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注:
1. しかし、その議論は誇張されています。比較優位はしばしば隠れた補助金の隠れ蓑であり、規模の効率性はしばしば市場における影響力と価格交渉力の隠れ蓑です。前者の例としては、米国の砂糖産業が挙げられます。この産業は、政府からの直接補助金と、土壌や水の枯渇という形での間接補助金の両方の恩恵を受けており、それによって他国の生産者よりも低価格で生産できます。間接補助金は特に有害です。なぜなら本質的にそれが示すのは、自然資本をより効率的に消耗させることによる競争優位性だからです。ある生産者が持続可能な方法で作物を栽培し、別の生産者が前者の生産者よりも低価格で生産するために、何の費用も払わずに帯水層や表土を枯渇させる場合、後者は事実上、公的補助金を得ていることになります。本書で説明する対策は、こうした補助金を無効化します。自然コモンズの枯渇コストを内部化することで、自然コモンズからの補助金を無効化し、将来のキャッシュフロー割引を撤廃することで、生産者が将来を現在への補助金として利用することを防ぎます。これらの対策はいずれも、地域生産の採算性を高めるでしょう。

原文リンク:https://sacred-economics.com/sacred-economics-chapter-15-local-and-complementary-currency/


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