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堕天使

訳者コメント:
 私たちが危機の時代にいることは、政治の世界を見ても分かります。こんなことがまかり通って良いはずはない、世界はもっと良い場所でありうるはずだと知っていながら、世間に蔓延する排外主義をどうすることもできません。自分の輪をどんどん狭く定義して、その外にいる者を他者化し、非人間化して排除することは、あらゆるジェノサイド、あらゆる戦争に先だって起こります。あらゆる依存症と同じように、人類の分断の旅路は、これ以上ない「どん底」を経験するまで再生の道は開けません。この極限を、私たちはもう何度も目撃してきたのではないですか? この惨状に、もう耐えられないと声を上げるようになることこそ、分断の旅がもつ宇宙的な目的なのです。この目的を自覚するとき、責任ある行動とは何なのかが自ずと見えてくるでしょう。
 この節の原題「The Fall」は堕天使の堕落を言いますが、同じ題名のアニメーションをチャールズは後になって製作しています。
(お読み下さい:訳者からのお知らせ


8.2 堕天使

ここまで私は、自分自身から、自然から、そして互いからの分断が、苦しみの原動力であり、地球が直面している複数の危機の原因であることを描いてきました。このため、また分断は歴史を通じて拡大し、多くの重要な点で幻想であるため、分断は誤りであり、失策であり、あるいは罪、さらには最重要の罪であると、多くの人が考えてきました。従って、昔の時代に戻り、分断の幻想を捨てて原初の一元に戻るという筋書きが古くからあります。

しかし私が本書の各所で暗示してきたのは、古くから続く分断の必然性、分断がそれ自体を積み重ねていく方法、人間以前、さらには生物以前の条件にその必然的な進行が内在していたことです。そして直感的に、私たちの社会の幻想的なまでに複雑な構造を眺めていると、消し去るべき過ちであったという以上に、何か目的が、宇宙的な理由があるように思えてきます。たしかに、個別ばらばらの存在という私たちの自己定義を高めていくことで、果てしない破壊と残虐行為と疎外をもたらしましたが、それは同時に思いもよらない視点や創造的な表現方法、美の形を私たちにもたらしました。現代社会の荒廃地、果てしなく続くロードサイド店舗、破壊された生態系、滅びゆく言語、自殺志願の若者、空虚な消費、孤独な人々……。全ては無駄だったのでしょうか?

もしも分断が諸悪の根源ならば、分断の目的を問うことは悪の目的という古い神学的難問に行き着きます。なぜ〈神〉はこの世に苦しみを許されたのかと神学者たちは問います。確かに善悪(の知識)の実を食べることで〈神〉からの分断を選んだのはアダムとイブですが、そもそもその選択を彼らに示したのは〈神〉であり、その選択がどんなことになるかを予見していたに違いありません。それにしても、なぜ〈神〉は〈悪魔〉を創造したのでしょうか? そもそもなぜ〈神〉は何かを創造し、なぜ「全てと何もかも」であり続けなかったのでしょうか? 他の宗教でも同じ問いを投げかけることができます。道教では、なぜ未分化の〈混沌〉、つまり原初の無形が〈陰と陽〉に分化し、さらに「万物」へと分化したのでしょうか? 仏教では、なぜ非二元論的な〈原初の心〉は、自らを分割して自己と他者という幻想を生み出したのでしょうか?

これらの問いを神話の観点から調べることで、私たちはおそらく現代的な形でもその疑問に答えることができるでしょう。人類が「魅惑と理解と全体性ホールネスの場所」から現代の分断と疎外と破滅に向かって下降していった究極の目的は何なのでしょうか?

有神論の宗教では、エデンの園に先立つ〈分断〉の原型的な物語は、堕天使ルシファーが〈天〉から堕ちた神話です。これが分断の原型であり、その後に起こる全ての分断の雛形であり本質でした。〈悪魔〉は通常あらゆる悪の典型と見なされていて、それが何なのかは、分断(つまり、切り離された自己という幻想)が現在の危機の源であると理解すれば納得できます。

重要なのは、ルシファーという〈悪魔〉が光、つまり火と結びついていることであり、したがって先の章で述べた「飼い慣らされた世界の輪」を定義する原初のテクノロジーと結びついていることです。同じ働きが見られるのはギリシア神話に登場するプロメテウスで、人間に自分たちと同じような力を与え、人間が火のテクノロジーによって「自然の支配者にして所有者」となり、かつては神の役割であったものを奪うことを許したため、神々から罰せられました。ギリシャ神話を作った人たちの先見の明には本当に驚かされます。私たちが自力でオリンポスのように空を飛び、自然の働きを支配し、もしかしたら永遠の若さと不死さえも手に入れようとしていることを、彼らはどうして知ることができたのでしょう? ユダヤ・キリスト教の伝統において、火をもたらす者という役割が〈神〉の〈敵〉という役割と組み合わされているように、ギリシア人もまた、今日私たちが経験している破滅を、火の力が暗示していることを理解していました。「プロメテウスよ、私を出し抜いて火を盗んだことを喜んでいるのだろう…、だが私は火の代償として邪悪なものを与えよう。人々はみな心から喜ぶだろうが、自らの破滅を抱きしめることになるのだ。[2]」その邪悪なものとはパンドラの箱であり、麻薬のように、技術的対策のように、とても魅力的に見えますが、私たちが最初のテクノロジー以来知っている争いと病と破滅に満ちているのです。

ルシファーの〈堕落〉は、まさに〈神〉からの分断の始まりを象徴するもので、これと同じように火のテクノロジーは、初めて人類が自然のエネルギー循環を破棄して横取りし、自然からの分断の始まりを示すものでした。さらに〈サタン〉という姿を借りて、〈天〉と戦う〈悪魔〉、あるいは〈神〉の上に自らを置こうとする〈悪魔〉という伝説があり、この主題はバベルの物語や「善悪の知識の木」など数え切れないほどの神話に繰り返し現れます。これは私たちが「自然の支配者にして所有者」となるための運動を表していて、それは野生の家畜化であり、〈テクノロジーの計画〉であり、管理下の世界なのです。そして神話と同じように、〈天〉との戦いは最終的に望みはなく、この負け戦で耐え忍ぶ苦痛は、戦いの激しさに比例して大きくなります。技術的対策の失敗、つまり全世界を管理下に置こうとする企ての失敗に対して、私たちはコントロールの努力をもっと強めることで対処し、ますます多くを〈戦う生活〉の犠牲にします。そして現代、私たちは自分の人生そのものを売り渡し、時間とお金の奴隷になったのです。

しかし、〈天との戦い〉そのものが神の計画の外側にあるのではなく、その一部であることを考えれば、慰めを見つけられるかもしれません。同じように、人類の上昇、テクノロジーの上昇、分断は、道の間違いや失策ではなく、必然的なプロセスの一部なのです。実際、それを目的もなく道を間違えたのだと信じると、それを生み出す前提そのものを強化することになります。それは、「どんな形質も偶然に進化するのではなく、環境の目的を果たすためにのみ進化する」という、第6章で述べた〈自然〉の規則に、私たちは縛られないと信じることです。自然からの分断、自然との戦い、自然を永遠に超越しようとする野心は、実は自然の目的に合致しており、人類だけでなく地球全体の進化の一歩なのです。私たちの見かけ上の分断は、実際には複雑さが一段上がった全体性ホールネスへの一歩であり、自然が新たな領域へと拡がってゆく一段階なのです。

神話の物語はこの流れを説明するのに役立ちます。昔々そこには一元だけがあって、〈神〉以外の創造物はありませんでした。道教では未分化の〈混沌〉であり、原初の無形です。仏教では非二元論的な「原初の心」です。そして永遠の時が流れ、この一元は自分自身からの分断を体験することにしました。つまり、〈神〉は自分自身を何兆もの小さな断片に分割し、次第に自分が誰であるかをだんだん忘れていきました。その理由は、それがどのようなものかを体験し、最後にはもっと高い意識のレベルで再び一体となるためでした。ルシファーは最初の勇敢な志願者だったと見ることもできます。「誰が行く?」と独り言のような声が響き、ついにその声の一部が分かれてそこから離れ、そうして〈地獄〉に降り、そこから始まった地獄がどんどん深まって、そこにいる私たちは自然や他の人々や神からの分断を保ち、さらに拡大しているのです。今日の世界で高まっている危機とは、このようなものに他なりません。

おそらく分断は悪ではなく、むしろ自分探しの冒険なのでしょう。おそらくテクノロジーは分断という幻想の探求であって、〈全体〉が自分自身をよりよく知るようになることで、前より高いレベルで〈再合一〉を果たすのでしょう。言い換えれば、この〈堕落〉には目的があり、現在その頂点に達しようとしている〈分断〉の過程全体にも目的があるのです。この目的が達成されるには、〈分断〉が今日私たちの体験している極限まで、完全に進行することが必要なのです。

自分の神々こうごうしさを完全に忘れ、神々しさそのものを信じられなくなること、私たちが現実に当てはめている以外の秩序や目的や運命を信じられなくなること以外に、究極の分断があるでしょうか? 現在の世界観の根底にある時計仕掛けの宇宙は、分断の最果てを象徴しています。その世界には意味も目的も神々しさも無い、論理的にあり得ないのです。いま私たちが探索している〈地獄〉の奥地は、ルドルフ・シュタイナーが「万人の万人に対する戦争」として予見した状況そのものです。それはネオダーウィニズムの「利己的遺伝子」理論にそっくりです。

それゆえ、現在の時代に分断の最果てを探求する旅は宇宙的な必然であって、最終決着するまで続くでしょうし、続けなければなりません。科学者たちのほぼ一致した認識にもかかわらず、私たちは地球上の人間生活の基盤を急速に破壊していて、私たちはそれを止めることができないかのように、破壊はどんどん進んでいきます。実際、私たちには止めることができません。確かに、道路建設が止まり、焼却炉が閉鎖され、森林が保護され、ダムが撤去されるなど、まれには勝利もありますが、全体的な傾向としては「環境」の悪化に向かっています。同じことが、さまざまな社会的、政治的、医学的な傾向についても当てはまります。まるで集団の意志が私たちに〈地獄〉を完全に体験させるよう押しやっているかのようです。まるで麻薬中毒者のように「どん底」まで落ちて、人生を管理し現実をコントロールする運動の望みの無さが透けて見えるところまで行かねばならないかのようです。そうして初めて私たちが身を委ねることになる「より高い力」とは、〈自然〉そのもの、コンロトールされざるもの、〈野生〉のものに他ならず、そのとき〈天〉との戦いは終わるのです。もはや〈天〉から自分を遠ざけることはなく、私たちはほとんど苦もなく〈天〉に引き戻されるのです。

分断の最果てを探求する必然は、分断の長い歴史のどれもが誤りではなかったことを意味します。ガリレオ、ニュートン、デカルトらの〈科学革命〉でさえ、宇宙から自分自身を最も極端に疎外する現在の状況を生み出しましたが、それは必然だったのです。私たちはそれを通り抜けねばならなかったのであり、それ以前のあらゆる物事に内在していたのです。唯一の過ちは、その経験から学ばなかったことでしょう。

個人のレベルでも、魂の進化が飛躍を遂げる前にはいつも分断が、魂の闇夜があって、それは〈ニュートン的な世界マシーン〉と並ぶほど徹底したものとなり、〈神〉の存在だけでなく、関わりや可能性そのものを否定します。私たちが本当の自分に戻るとき、〈一元〉に戻るとき、そこにはより大きな経験と知恵が伴っています。私たちの多くがこの一生のうちに、はっきり宗教的なものかどうかは別として、信条の危機を経験することはほとんど避けられません。私たちがどんな宗教で育ったかはほとんど関係ありません。というのも、私たちがどのような秩序や目的や意味を宇宙に当てはめていても、危機がそれを見つけ出して消し去ってしまうので、私たちは新しい目的の理解へと生まれ変わることができ、その理解は古いものを含みながら、それに取って代わるのです。子供の頃の宗教に戻ったとしても、その理解のレベルは全く新しいものとなります。

私たちは信条の危機をなんとか棚上げしているため、死が間近に迫り、長年の妄想が透けて見えるようになる老年期まで、信条の危機に襲われないことが多いのです。自分の育った宗教あるいは無宗教の最も深い基盤に疑問を抱くことのなかった人々は、産業主義の混乱をまだ経験していない産業革命以前の社会と同じように、自己満足に浸る理由がほとんどないのは、その混乱を乗り越えたからではなく、単にまだ到達していないからです。この経験には発達上の必然性があり、またもや唯一の間違いは、そこから学ぼうとせず、取り込もうとせず、最初にそれを生み出した態度や信念を持ち続けることです。自分が何者であるかという新しい概念への誕生に協力するか、それともこのプロセスに最後の極限まであらがうかは、私たち一人一人にかかっています。

私たちが生命と世界の完全な破滅という最後の極限まで待たないことを願いましょう。その前に、醜さと悪さが耐えがたいものになりますように。人生は美しく有意義であるべきだという知識を広めるためにあなたが何かをすれば、それ以下のものに甘んじてはいけないと人々に納得させるためにあなたが何かをすれば、破壊に対する寛容さを減らし、依存症に陥った社会が復活する前に打つ「底」を浅くすることになるのです。

このメッセージを広める最も良い方法は、私たち自身が妥協しないことだと思います。私がしばしばインスピレーションを受けてきたのは、ガンジーの戒めにあるように「屈辱的なことに加わるのを拒否する」人たちや、美しいものを作ることに人生を捧げている人たちや、動植物に対する深い感受性を持つ人たちや、「する余裕があるか」という心理から解き放たれて生きる人たちや、 愛の力で人々を結びつける人たち、無理せずとも出し惜しみせず寛大な人たち、私の考えを見抜いてとにかく愛し、私が善良であるとわかってくれる人たちです。これらの人々は、私たちが生まれながらに持っているもの、人生とは何かを教えてくれます。彼らの喜び、情熱、愛、寛大さ、創造性を目の当たりにして、その反対を生み出す制度やイデオロギーを、私たちはもう認めることができません。人生はもっと良いものであるはずなのです。



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注:
[2] ヘシオドス『作品と日々』55におけるゼウスの言葉

原文リンク:https://ascentofhumanity.com/text/chapter-8-02/

2008 Charles Eisenstein

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