ベネズエラ:不吉な予兆(チャールズ・アイゼンスタイン)
訳者コメント:
このエッセイはイラン戦争の開戦より前の2026年1月に書かれたものです。
トランプのやっていることは無茶苦茶です。ですが、トランプに反対して立ち向かうなら、トランプと同じように勝利を神に祭り上げ、どんな手を使ってでも勝つということを目的にしてしまいます。そのとき反対派も「力こそ正義」という同じオーラを帯びてしまいます。
反対するのではなく、私たちはどんな世界に生きたいのか、という目的を持つことが大事なのです。
ひるがえって日本では、50歳以下の年齢層で、現状を変えようとあがくのは無意味なことだとして髙市自民を支持する率が高く、これが先の総選挙の結果を左右したのだと分析されています。「野党は反対ばかりでうんざりする」という感覚には、ある種の真実が含まれていることがわかります。
ならば、考えてみませんか? どんな世界に生きたいと望むのかを。
ベネズエラ:不吉な予兆
〜政治評論の一時中断を一時中断して〜
チャールズ・アイゼンスタイン
2026年1月4日
ベネズエラのニコラス・マドゥロ大統領夫妻が米軍に拉致されたというニュースを目にした時、文字通り吐き気がしました。これは、ますます狂気を増すトランプ政権によるベネズエラに対する一連の犯罪の中では〔執筆時点で〕最新のものです。最初は殺人(カリブ海で船舶の乗客と乗組員の超法規的殺害)、次に海賊行為(ベネズエラ産原油を積載していたタンカーの拿捕)、そして今度は誘拐です。
単なる犯罪行為というだけでは、なぜこの行動が私にこれほど吐き気を催すような恐怖感を抱かせたのか説明できません。恐ろしい犯罪、中にはこれよりはるかにひどいものも、アメリカであれ、同盟国であれ、あるいは地球上のほとんど全ての政府であれ、常に起こっています。しかし、今回の事件は特に不吉な予兆を感じさせます。
これを書いている今、マドゥロ大統領はニューヨークの連邦裁判所で米国法違反の罪で起訴されています。ここで主張されている原則とは一体何でしょうか。ある国の指導者が他国の法律に違反した場合、その指導者は拉致され、裁判にかけられ、投獄される可能性があるということでしょうか。ドナルド・トランプ、あるいはフランス、あるいは他の国の大統領が中国の法律に違反した場合はどうなるでしょうか。中国には彼らを拉致する権利があるというのでしょうか。それこそが、今回の行動で主張している原則です。
もしベネズエラがトランプ大統領を誘拐し、ベネズエラの法律違反でベネズエラの裁判所に起訴したら、アメリカ国民はどう感じるでしょうか?(もちろん、喜ぶ人もいるでしょうが、これは国際政治を動かしているやり方ではありません。)
もちろん、マドゥロ大統領とより強力な国の指導者との違いは、前者は拉致されやすいのに対し、後者はそうではないという点です。つまり、ここで主張されている原則は、まさに「力こそ正義」なのです。
法の本質、ひいては文明の本質は、その獣のような原理を、公平、慈悲、自由、主権、自己決定、そして自然権の概念を体現するより高次の原理で置き換えることにあります。法とは、強者が弱者を支配する力、国家が個人を支配する力、多数派が少数派を支配する力に制限を課す、一連の合意です。法がなければ、私たちは常に不安の中で生き続けることになります。ある日不幸が私たちを襲い、かつて強かった者が老い、弱り、病に倒れ、あるいは弱くなるまで、支配権を主張しようと絶えず闘い続けるのです。
ニコラス・マドゥロの誘拐は、法の支配の主張ではなく、法の支配の否定です。確かに、トランプとその前任者たちは、今回のような法的・外交的原則の無視について、十分な前例を作ってきました。特に露骨なのは、交渉の最中にイスラエルが敵国の指導者を暗殺するのを支持したこと、そしてその後、米国が同様のやり方でイランを爆撃したことです。また、イスラエルが合意した「停戦」は、米国の外交・軍事支援を受けてすぐに破られました。もし交渉が敵を油断させるための口実として利用されるならば、交渉の可能性そのものが消滅します。例えば、ウラジーミル・プーチンがトランプと交渉するためアラスカに来たのに、トランプが彼を逮捕したと想像してみてください。トランプが習近平と会うために北京に行き、習近平がトランプを逮捕したと想像してみてください。まもなく、どの指導者も誰とも交渉しようとしなくなるでしょう。
しかし、この最近の無法行為の噴出の責任をすべてドナルド・トランプに押し付けるのは不公平でしょう。法の支配はいつでも、帝国権力という豚に塗られた口紅のようなものでした。帝国は、敵や抵抗者、反体制派に対してのみ法を行使し、自国の指導者や同盟者を例外扱いしてきました。トランプが前任者と異なるのは、帝国権力の行使に通常伴う「民主主義」と「法の支配」への偽善的な説教を怠っているという点だけです。彼は繊細さも無視しています。NGOやCIAのメディア資産を活用してカラー革命を画策する代わりに、トランプは特殊部隊を派遣します。他国の資産を奪うために米ドルを武器化し制裁を課す代わりに、トランプは沿岸警備隊を派遣して石油タンカーを拿捕し、「地上部隊」を派遣してベネズエラの石油を「盗んだ」とトランプは言います。トランプは「国家建設」や「民主主義の回復」について語る代わりに、「我々が国を運営する」とはっきり述べています。
もしかしたら、トランプの露骨な権力行使は、帝国の本質を露呈させ、アメリカの介入が自由と民主主義のためであるという見せかけを覆すという点で、良い結果をもたらすかもしれません。そうかもしれませんが、私はそう思いません。少なくとも、原則に従う振りをすることは、原則を肯定する役割を果たしました。法の支配を持ち出すことは、たとえ自身の行動がそれに違反していたとしても、法の支配を文明人の規範として確立することで、法の支配を肯定することになります。恥知らずなまでに露骨な権力の行使は、正反対の結果を招き、人間の最悪の衝動を正常化してしまいます。
マドゥロ大統領の誘拐事件、そしてそれに至るまでの殺人と海賊行為は、国際法と外交が完全に崩壊する兆しです。世界最強の国が変貌を遂げ、誇大妄想狂が舵を取り、核兵器を乱用する「ならず者国家」に成り果てたのです。フセイン、アサド、カダフィといった帝国の敵に対する戦争熱を煽るために用いられた「核兵器を持つ狂気の独裁者」というプロパガンダのスローガンを、ひっくり返して我が国〔アメリカ〕に向けられたのは、ある意味当然のことです。
繰り返しになりますが、法の支配の崩壊、そして法の支配という見せかけの崩壊さえも、ドナルド・トランプの登場によって始まったわけではありません。そして、トランプの打倒によってそれが回復するなどと考えるのは無駄なことです。「力こそ正義」という、外交政策の恥知らずかつ明白な原則は、少なくとも第2次ブッシュ政権におけるネオコンの台頭と、彼らが夢見た「全面的支配」にまで遡ります。ネオコンは共和党から始まりましたが、最終的には民主党にも大きな影響力を持つようになり、オバマ政権とバイデン政権下では彼らのメンバーが高官に就任しました。2024年の大統領選挙では、彼らの主要指導者の多くがトランプに公然と反対しました。
にもかかわらずトランプが当選したので、悲劇的なまでに好機を逸してしまいました。別の世界線であれば、反帝国主義の民主党員が反介入主義的な傾向をもつトランプを支持し、リンゼー・グラムやテッド・クルーズ〔どちらも保守強硬派〕といった党内の有力候補に対抗するための大義名分を与えていたでしょう。しかし、全面的な敵意に直面したトランプは、彼らを支持しました。彼らと他のネオコンは、トランプ自身のアメリカ第一主義、勝利への執着、そして「偉大さ」への自己陶酔的な強迫観念の上に、露骨な攻撃という有害な触媒を加えました。以前のトランプは、イラク戦争は誤りであり、米国をこれ以上の軍事紛争から守ると誓った反介入主義者でしたが、こうして軍産複合体のもう一つの(さらに粗野な)道具となってしまったのです。
トランプ政権だけでなく、アメリカの両党、そして世界中の国々で、法の支配は衰退しつつあります。ここで言う「法の支配」とは一体何でしょうか。それは、秩序が過剰なまでに整えられ、非公式で土着の統治が法律に取って代わられた法律至上主義社会の中で、ルールに従うことではありません。突き詰めれば法の支配とは、目先の個人的利益や自国の利益よりも優先される倫理観から生まれるものです。そして、その倫理観から生じる一連の合意です。ルールだけではそれを強制することはできません。合意に基づく賛同が必要です。「恋と戦争にルールはない」という諺があります。恋はさておき、戦争についても確かにそれは当てはまります。勝利こそが最も重要であり、自国の存在に必要不可欠であるとき、他のすべては勝利の神への犠牲にされなければなりません。
ドナルド・トランプの在任中の行動に私は愕然とし、うんざりしていますが、「トランプ苦悩症候群」にはかかっていません。トランプ苦悩症候群ほど彼の反対派に害を及ぼしたものはありません。トランプ苦悩症候群のせいでトランプ自身とその支持者のことを誤解し、多くの失政から人々の目を逸らせているからです。これらの失敗を見抜くのに、トランプに対して激しい嫌悪感を抱く必要はなく、冷静で理性的な考察をするだけで十分です。トランプの支持者、つまりトランプ称賛症候群にかかっている人々は、反対派が彼の(数少ない)功績や未実現のポピュリスト的本能に気づいていないのと同様に、これらの失敗に気づいていません。
皮肉なことに、トランプ苦悩症候群は、トランプ自身の錯乱を助長します。国民の半数があなたのことを堕落した怪物だと信じたら、あなたは気が狂いそうになりませんか。トランプは勝利を神に祭り上げましたが、2024年の選挙では反対陣営も同じことをしました。汚い手口や、検閲、メディア統制、武器化された司法制度でトランプを倒そうとしたのです。彼らは民主主義よりも、言論の自由よりも、法の公平性よりも、勝利を優先させました。トランプは彼らの手法と思考様式を受け継ぎ、今やそれらの道具すべてを反対者に向けています。一方があらゆる手段を使って戦えば、もう一方もそうせざるを得なくなるのです。これは典型的な「多極化の罠」です。そして今、トランプ大統領は「何が何でも勝つ」という考え方を国内政治の枠から解き放ち、国際政治の世界に放り込んだのです。トランプ大統領(そして残念ながらその前任者たち)が定めた、法の枠を超える資産押収や、政権交代、海賊行為、誘拐、殺人、外交原則の破壊という前例を拒否しない限り、世界はどのように機能できるでしょうか。
読者の中にはこう反論する人もいるかもしれません。「マドゥロは悪人だった。国の経済を破壊した。ベネズエラの人々は街頭で祝っている」と。なるほど。これは、複雑な状況を平板化し、歴史を無視する考え方、我ら対彼ら、善玉対悪玉という考え方の典型です。マドゥロの置かれた状況とは一体何だったのでしょうか。彼を独裁へと傾かせた条件は何だったのでしょうか。ベネズエラ経済を破壊した経済制裁の歴史を理解していますか? ラテンアメリカにおけるアメリカの帝国主義は? 善と悪という二元論的な世界観に目がくらんで、私たちはこうした問いを無視しているのです。この世界の悪しき状況は悪人によって引き起こされたのではありません。むしろ、悪しき状況が悪しき人々を生み出しているのです。二元論的な世界観を捨て去れば、ドナルド・トランプのような人物、ニコラス・マドゥロのような人物、MAGAやアンティファのような運動、あるいはあなたが憎むべき他のあらゆる人物やグループを生み出す状況を本当に理解する道のりを歩み始めることができます。そうするなら、その症状と果てしなく戦うのではなく、その状況への対処を始めることができるのです。
では、今何をすべきでしょうか? 手っ取り早い解決策、政治の決まり文句で表現された解決策を提示できれば良いのですが。議員に電話をかけたり、街頭デモに参加したりするよう読者の皆さんに促せば、この狂気に終止符を打てると信じられたら良いのですが。実際、私はどちらの行動も支持はしますが、正直なところ、現在のアメリカ国民の無関心のレベルを考えると、それほど効果があるとも思えません。現在の惨事は、数十年、もしかしたら数世紀もかけて作り上げられたものです。私たちに必要なのは、まさに新しいタイプの政治です。トランプは、私たちの政治文化の現状、非人間化、憎悪、狂気を、純粋な形で示しています。単に「トランプに立ち向かう」だけでは不十分です。立ち上がる必要があるのは確かですが、何かの「ために」立ち上がることが必要です。平和のために立ち上がることが必要です。尊厳のために立ち上がることが必要です。私たちに共通する人間性の根本的な真実のために立ち上がることが必要です。力の争いの中で犠牲にされるあらゆる「権利」を、私たちは擁護しなければなりません。そして、目的のためだけでなく、手段を通しても、そうしなければなりません。私たちは、たとえ敵対者であっても、特に敵対者に対してこそ、敬意、人間性、そして尊厳をもって接しなければなりません。私たちの政治は、それと正反対の、嘲笑、軽蔑、嘲笑、そして憎悪で溢れています。なぜ私たちは、大統領が私たち自身と同じ性質を私たちに投げ返し、世界中に投げ付けるのを見て、これほどまでに衝撃を受けるのでしょうか。
原文リンク:https://charleseisenstein.substack.com/p/venezuela-an-evil-omen
