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【聖なる経済学】 原初の強奪行為

訳者コメント:
土地は元々そこにあったのであって、誰が作った物でもないのに、「不動産」として所有され売買されます。誰かが最初に所有権を主張したはずですが、それが原初の強奪行為だったのです。土地が財産となったら、地代を徴収することこそ最大の価値を創造する方法となり、その土地を使う者を奴隷にしてきたのです。そして土地利用は最大の地代を生み出すよう変更されます。原野は開拓され、農地は宅地化され、都市化され、商品となった土地が高く売れるのが良いこととされ、際限ない地価の上昇が、ここでも当たり前になるのです。

原初の強奪行為

個人の主権sovereignty、つまり他者の干渉を受けないことは、近代的な所有の概念への第一歩に過ぎませんでした。なぜなら、この地球上のほとんどのものは、誰かの労働によって存在しているわけではないからです。「私が作ったものは私のもの」という論理によれば、人間の努力とは無関係に存在するものは、誰のものでもないことになります。このような、土地、川、動物、木々といったものの所有権を主張することは、窃盗も同然であって、あなたが作ったものの所有権を私が奪うなら、私が泥棒なのと同じです。

この認識から優れた経済思想の流れが生まれ、その最も著名な提唱者は、ピエール・ジョゼフ・プルードンカール・マルクスヘンリー・ジョージシルビオ・ゲゼルでした。「財産は窃盗である」とプルードンは宣言しました。あらゆる財産の起源を「正当な」譲渡の連鎖を通して遡ると、最終的に最初の所有者、つまり単にそれを奪い取り、「私たちのもの」あるいは「神のもの」の領域から「自分の物」の領域へと切り離した者にたどり着きます。通常、これは力によって行われました。過去3世紀にわたる北米大陸の広大な土地の奪取がその例です。この物語は何千年にもわたって世界中で様々な形で繰り広げられてきました。結局のところ、ローマ時代以前には土地の権利証書などというものは存在しなかったのです。土地は空気や水のようなもので、所有することはできませんでした。したがって、最初の所有者はそれを正当に取得することはできなかったはずです。彼らはそれを奪い取ったに違いありません。

土地所有は農耕の自然な帰結であるとよく言われます。狩猟採集民は土地にほとんど投資していないのに対し、農民は労働力を投入して土地の生産性(つまり、人間が食べる食料の生産性)を高めます。農民が一年中働いたのに、収穫期に「採集民」がやってきて、そこからの収穫物で生活するのは明らかに不当です。私有財産は、人々が土地を改良する動機付けとなるはずです。しかし、土地そのものではなく、改良部分を所有できるような仕組みがあれば、より公平ではないでしょうか。

元々、土地の権利はほぼ常に共有され、個人ではなく村や部族に帰属していました。エジプト、メソポタミア、周王朝の中国といった偉大な農耕文明に、私有地という概念はほとんど存在しませんでした。すべての土地は王の所有物であり、王は地上における神の代理人だったので、すべての土地は神の所有物とみなされていたのです。

土地に関して労働の成果を得る権利を持つことと、土地そのものを所有することの間には、概念的に大きな隔たりがあります。西洋では、土地所有の絶対的な概念はローマで生まれたようで、おそらくギリシャの個人の概念によって育まれたのでしょう。ローマにおいて、初めて土地はドミニウムと呼ばれるものの下に置かれることになりました。それは「究極の権利、背景に何の権利もない権利、他のすべての権利を正当化する権利でありながら、それ自体は正当化を必要としない権利…『使用し、享受し、濫用する』権利」でした[5]。

東洋では、明示的な土地所有が、少なくとも概念的には、やや早くから始まっていました。中国では少なくとも紀元前4世紀の商鞅しょうおうの治世まで遡り、おそらくそれ以前から存在していましたが、当時でさえ土地所有以前の時代は歴史的記憶の中にしか存在せず、それを証言するのは「古代」に土地を売ることは不適切であったという儒教の記述です[6]。インドでも紀元前6世紀までには土地の私有が知られていた可能性がありますが、証拠はやや矛盾しています[7]。いずれにせよ、インドの土地の大部分はイギリス統治時代まで共同所有されていました[8]。

中世ヨーロッパでは、土地の大部分は共有地か封建領主によって所有されていましたが、封建領主は現代の意味での土地の「所有」、つまり自由に売買できる譲渡可能な商品としての土地を所有してはいませんでした。彼らは土地に対する一定の権利を持っており、その権利は臣下に譲渡することができ、その引き換えとなったのは様々な奉仕、収穫物の分け前、そして最終的には金銭でした。イングランドでは、15世紀まで土地の自由な譲渡は一般的に不可能でした[9]。その後、イングランドの広大な共有地は囲い込み法のおかげで急速に私有化され、この過程は例えば農奴の「解放」などを通じてヨーロッパ大陸全体でも並行して行われました。ルイス・ハイドは次のように書いています。

以前はどんな小川でも釣りをし、どんな森でも狩りをすることができたが、今ではこれらの共有地コモンズの所有者を名乗る個人がいることがわかった。土地保有の根拠が変わったのだ。中世の農奴は土地所有者とはほぼ正反対の存在だった。土地が彼を所有していたのだ。彼は自由にあちこち移動はできないが、自分が結び付けられた土地に対しては不可侵の権利を持っていた。今では人が土地の所有権を主張し、それを有償で貸しに出す。農奴が土地から追い出されることはなかったが、小作人は賃料を支払わなかった時だけでなく、単に家主の気まぐれで立ち退かされることもあったのだ。[10]

数多くの社会改革と同様に、農奴解放は、経済的・政治的な権力が、すでに権力を持つ者たちの手に集中するもう一つの段階でした。何世代にもわたって自由に家畜を放牧し、薪を集め、周囲の土地で狩猟をしてきた人々が、何らかの方法によって、それを不可能にされてしまったのです[11]。これらの土地は共有地コモンズであり、誰のものでもなく、皆のものでしたが、それ以降は永遠に私有物、財産となったのです。

財産が強奪行為であるならば、私有財産権の保護を目的とする法制度は、犯罪を永続させる制度です。財産を神聖視することで、私たちは原初の盗みを正当化してしまうことになります。法律が盗賊自身によって作られたもので、不正に得た利益を正当化するためだっだとすれば、これはさほど驚くべきことではないでしょう。実際、ローマをはじめとする各地で、土地を奪い、法律を制定したのは、富裕層と権力者だったのです。

私がマルクス主義の痛烈な批判をしようとしているのだと読者が誤解しないよう、先に断っておきますが、私は私有財産の撤廃を主張しているわけではありません。まず、「撤廃」という考え方自体が、不本意な人々に無理やり押し付けられる、熱烈で唐突で不快な変化を伴います。それが実際に伴うものとは何でしょうか。家を立ち退かされる家族。土地から締め出される農夫。そうならず、その場に居続けられるとしても、もはや彼らが何かを所有していないというのは、いったい何を意味するのでしょう。所有は社会的現実の外で実在しませんが、それはお金と同じように、物語や社会的合意なのです。私たちの財産は、人格に付着したものではありません。私が何かを所有しているというのは、その使い方について私が特定の権利と責任を持つことに社会が合意しているという意味に過ぎません。ですから撤廃ではなく、相互の繋がり、生態系、そして相互共存インタービーイングという新たな真実をより的確に反映させるために、その合意を変えていくことについて論じましょう。

マルクス主義は社会の窮状の根本原因を生産手段の私有だと診断します。しかし私有が本当に意味しているのは、ある特定の人々は意志決定ができる機会を得る一方、他の人々はそれを得ないということです。おやおや、20世紀の社会主義国にも同じことが当てはまります。確かにイーロン・マスクのような人は、テスラモーターズが資本をどのように配分するか選ぶのに、とてつもなく大きな裁量を持っていますが、彼でさえ、取締役会や、中間管理職、納入業者、規制当局などの利害関係者や人物からなる、複雑な収益活動協調体制エコシステムを切り抜ける必要があります。彼の状況は、強権を持つ委員長や党幹部が、社会主義中国や旧ソ連の国有企業の業務を監督するのと大差ありません。資本配分の意志決定について、ある者が他の者より大きな発言力を持っていたのも同じですし、意志決定が複雑な社会的関係の産物だったのも同じですし、強権を持つ意志決定者が特権と贅沢を享受していたのも同じです。社会主義が根本的な問いを追い払うことはありません。私たちが変えたいと切望するのは、かつて共有だったものの単なる所有を根拠にして極端な不平等を産み出す合意です。しかし、資源を最も活用できる人がそれを利用できるなら、皆が恩恵を受けるのです。

いつどこで起こったにせよ、土地の私有化は、すぐに所有権の集中をもたらしました。古代ローマの初期には、小さな自作農地を除けば、土地は(私有ではなく)共有財産でした。「トウモロコシ畑は公共の権利」だったのです[12]。ローマが征服によって拡大するにつれ、新しい土地が「公有」のまま長く留まることはなく、すぐに最も裕福な家系、つまり貴族階級の手に渡り、その後何世紀にもわたりそれが普通の状況となりました。彼らの領地はまた、元は平民の自由保有地だった土地を犠牲にして拡大しました。所有者の平民はしばしば軍団に召集されましたが、いずれにせよ貴族領地の安価な奴隷労働には経済的に太刀打ちできませんでした。平民は返済不能な負債を抱え、土地が譲渡可能な商品となったため農地を追われ、物乞いや盗賊、あるいは運が良ければ都市の職人になるしかありませんでした。

帝国の運命が転じ、奴隷の供給が枯渇すると、多くの大地主はコロヌス、つまり小作農に畑を耕作させるようになりました。借金に縛られたこれらの小作人は、やがて中世の農奴となりました。こう考えてみましょう。もしあなたが私から返済不能な借金を負っているなら、あなたは少なくとも可能な限りの額を返済する義務があります。あなたの労働の収益は、以後永遠に私のものです。これと酷似しているのは、2005年の破産「改革」法で公布された米国の破産法で、破産宣告した人が将来賃金の一部を債権者に支払うことを義務付けます[13]。また、これと酷似しているのは、第三世界の国々の窮状で、経済を再構築し、経済的余剰のすべてを永遠に続く債務の返済に充てることを強いられます。これらは農奴の現代版であり、金銭所有者のために働くことを強いられているのは、農奴が土地所有者のために働いていたのと変わりません。この境遇は「債務奴隷制」として知られています。

古代ローマと現代との類似点は際立っています。当時も今も、富は少数の人々の手に集まります。当時も今も、人々はただ生活必需品を手に入れるためだけに、一生返済できないほどの借金を背負わなければなりません。奴隷や農奴、小作人は、生涯にわたる労働を、土地の所有者を富ませるために捧げましたが、今日、私たちの労働の成果は、お金の所有者の手に渡るのです。

急進的な思想の歴史において、財産は窃盗であるという認識がいつも伴うのは、窃盗犯に対する怒りと復讐心です。でも事態はそれほど単純ではありません。富の所有者は、それが相続したものであろうとなかろうと、生まれながらに背負う役割は、私たちの文明の壮大な目に見えない物語によって生み出され、必然的に課せられたものです。その物語は、私たちが意識しているか否かにかかわらず、世界をお金と財産に変えることを私たちに強いるのです。

富裕層や原初の略奪者を憎むことに、私たちの精神的なエネルギーを浪費するのは止めましょう。私たちが彼らの立場に置かれたら、同じ役割を演じていたでしょう。実際、私たちの多くは、何らかの形で共有財産の略奪という行為に加担しているのです。憎むのは止めましょう。さもなければ、分断の時代をさらに長引かせることになり、ボリシェヴィキのように不十分な革命を起こし、旧体制を歪んだ形で再現してしまうことになるからです。それでも、無意識の窃盗犯罪の本質と影響を見失わないようにしましょう。そうすることで、私たちの世界を本来の、そしてまだ眠っている豊かさへと引き戻すことができるでしょう。

土地の受益権から完全な所有権への変化は徐々に進行したものであり、その終着点はお金のために土地を売る行為です。これは概念的な変化であり(なぜなら、土地は所有されることを自ら認めません)、それが現実に対する人間の投影であったことを心に留めておきましょう。土地所有(そして実際にはあらゆる形の所有)が雄弁に物語るのは、所有される物の性質よりも、世界に対する私たちの認識です。昔の時代、土地所有が空や太陽、月を所有することと同じくらい考えられないことだった頃から、地球上のほぼすべての土地が何らかの形で所有されるようになった現代に至るまでの変遷は、まさに宇宙との関係における私たち自身の物の見方が変化してきた物語なのです。


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注:
5. アビラ、『所有権』、20頁。
6. 許倬雲シュー・チョーユン『変遷期の古代中国』 112頁。この本は、儒教の立場を所有権の集中に対する批判として解釈を試みます。鄧「土地所有に関する比較研究」12頁。鄧は、それ以前は土地はすべて王の所有物であったため、土地の譲渡は禁じられていたと主張します。また、鄧は、実際には、少なくとも中世の宋代までは、土地は一般的に譲渡も交換もできなかったと主張します。
7. アルテカール、『古代インドの国家と政府』、273-4頁。
8. クーネン、『人間と土地』、第2.1.1節および第2.1.2節。
9. 鄧、「土地所有に関する比較研究」、10頁.
10. ハイド、『ギフト』、121頁。
11. もちろん、小作農は共有地からの追放に抵抗し、ドイツでは農民戦争として知られる血みどろの闘争を引き起こしました。これは、財産権が人間関係の領域をまた一つ侵略しようとするたびに、世界中で何度も繰り広げられてきた闘争です。ハイドが述べているように、「ドイツ農民戦争は、アメリカ先住民がヨーロッパ人と戦わなければならなかった戦争と同じであり、かつては譲渡不可能だった財産の売買に対する戦争だった」(121頁)のです。
12. アビラ、『所有権』、16頁、HF ジョロヴィッチとバリー・ニコラスの『ローマ法研究への歴史的入門』、139頁からの古代の資料を引用。
13. さらに、税負債、扶養費負債、学生ローンなど、多くの種類の債務は破産の影響を受けません。執筆時点で、米国の学生ローン債務はクレジットカード債務を上回っており、卒業を控えた学生にとって大きな負担となっています。

原文リンク:https://sacred-economics.com/sacred-economics-chapter-4-the-trouble-with-property/

翻訳メモ:
debt peonage:債務奴隷制。peonは、スペイン語peón(小作人・歩兵)から英語に入り、もともとは歩兵や駒を意味し、転じて地位の低い労働者や下っ端を指すようになった。
sovereignty:主権。国であれ個人であれ、主権の中心的な意味は「他者の干渉を受けないこと」。

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