ガイアの出産(前)
訳者コメント:
前節で議論した人類の危機と出産の危機との類似性から、人類は何に生まれ出ようとしているのかという疑問がわきます。地球を離れ宇宙船で旅立つのではなく、集団意識としての「人類」が誕生するのだと説きます。そのためには、個々の人間の在り方も、癌細胞のように資源を巡って競争するライバルではなく、一個の生命体を構成する細胞にふさわしく、大いなる生命体に奉仕する役割を全うするという在り方へと変化する必要があります。
(お読み下さい:訳者からのお知らせ)
8.4 ガイアの出産
過去数千年、特にここ数世紀にわたって増大してきた破壊、苦難、大災害は、人類が宇宙との新たな関係に生まれ変わる、産みの苦しみです。そこで問題なのは、私たちが生まれるとしたら、産むのは誰かということです。
直感的な答は、もちろん〈母なる地球〉、あるいは〈母なる宇宙〉です。産みの苦しみが明らかに人間由来のものであることは問題でなく、そこに避けがたく伴っている分断は、生物の織物に避けがたく織り込まれているのです。分断は、エデンの物語に暗示されているような分岐点となる出来事や個別の間違った方向転換ではなく、人間以前の時代、さらには生物以前の時代から始まって積み重ねられてきたプロセスです。自然も、宇宙も、数学的システムでさえも、いっそう複雑な秩序へと向かい、さらに意義深いのは組織化へと向かう傾向があって、これは役割の分化、半自律的な個体の萌芽を意味し、それを私たちは生命体と呼びます。言い換えれば、現在へと折り重なる危機の源は超人間的なものであり、おそらく進化の必然ですらあるのです。
バクテリアから有核細胞、多細胞生物、人間の脳、部族、農耕文明、産業経済、そしてノウアスフィア(精神圏)へと急上昇していく複雑さは、次から次へと起こった幸運な偶然の巡り合わせなのでしょうか? この問いを否定する答を出すには、外部の創造主である〈神〉による神聖な導きがあったと結論する必要はなく、秩序と組織が現実に内在しているのであればよい、目的が宇宙に内在しているのであればよいことを説明しました。でももっと詩的に表現してみましょう。それよりむしろ、宇宙、とりわけ地球は、生命を、知性を、文明を、分断と再合一の全過程を、最初から孕んでいたという考えを探ってみましょう。
テクノロジーの原材料がこれほど簡単に手に入るのを奇妙だと思う人はいるでしょうか? どうして金属が地表近くにこれほど豊富に存在し、農耕で飼い慣らすのに適した動物や植物がこれほど身近に存在し、産業革命の原動力となる莫大な化石燃料が地球上に埋蔵されているのでしょう? 高等動物でのみ発現する遺伝子の多くが、その機能を発揮する時を待っていたかのように、必要とされる何億年も前からゲノムに存在していたという事実はどうでしょう? よく知らない人から見たら、私たちがガイアと呼ぶ有機的・無機的プロセスの集合体としての地球が、テクノロジーをもつ種を誕生させる計画を意識的に実行していたと考えるかもしれません。
第6章で、地球上の生命は二重の親から、女性の親である〈地球〉と、男性の親である〈天空〉から生まれたのであり、原始の地球は宇宙からの遺伝物質によって種を播かれた肥沃な子宮だったと推測しました。この遺伝物質にはやがてテクノロジー文明が台頭するためのプログラムが書き込まれていると考える人もいます。石炭紀が油層や炭層を作り、それを利用する知的生命体が現れたように。操作とコントロールの心理構造、つまり自然から遠ざかることが、テクノロジーをもつ生物種としての人類の台頭と切り離すことのできない側面なので、いま極限を迎えている〈分断〉は同じ企ての一部であるとも言えます。
何のためでしょう? おそらくテクノロジーは何らかの宇宙旅行で頂点に達し、それによって生物学的物質をさらに宇宙全体に伝播させ、ガイアの生殖を成し遂げるでしょう。ガイアは種を蒔こうとしているのであって、種子の生産と拡散にあらゆる資源を投入しようとしているのだと言えるかもしれません。ガイア理論の主な批判のひとつは、競争相手が存在しない以上、自然淘汰は地球全体に対して機能しないというものです。でもそれは正しくないかもしれず、地球(正確には生物圏)も、はるかに大きいスケールと時間軸で、同じように生殖し競争しているのかもしれません。
植物が種子を放った後はどうなるでしょうか? 一年草なら枯れますし、多年草なら冬眠か休息期間に入ります。いま私たちが地球を荒廃させているのは、あらゆる資源を生殖に動員するための作用なのでしょうか? 子宮に毒素が満ちているからこそ、私たちは別の子宮を探す気になるのでしょうか? そうではないと思います。私たちが通り抜けようとしている出産は、他の場所や時代に同じ悲しいパターンを再現することなどよりも、はるかに偉大なものなのです。もし地球が滅びるのなら、たとえ遺伝物質や生命体、あるいは人間が居住するコロニーを宇宙に送り出しても、しなくても、それは中絶であり、死産だと私は考えます。
環境運動、平和運動、ホリスティック医療運動、その他、教育、情報技術、心理学などの運動では、人類がどのような存在になりうるかというイメージを持っていて、それは本書で述べた〈再合一の時代〉です。しかし死産の可能性も十分にあります。もしかしたら以前に同じことがあったのかもしれません。もしかしたらアトランティスとバベルの神話には歴史的真実が隠されているのかもしれず、もしかしたら大洪水の後に新たな始まりがあったのかもしれません。ときどき私は不思議に思うことがあります。もしも完全崩壊が目前に迫っていたら、私たちは何をするでしょうか? 私たちの文明について書かれた記録や、もしかしたら物理的な記録まで全て消えてしまうかもしれないのに、私たちが学んだことをどうやって未来に伝えるのでしょうか? 唯一の方法は、神話に埋め込むことでしょう。神聖な物語の中に、未来の時代に私たちを導くための重要な情報を暗号として込めるのです。この可能性が、私を神話研究へと駆り立てました。もしかしたらその中に、私たちが再び死産となることを避けるための知恵が暗号化されているかもしれないのです。
もっと可能性が高いのは、古い神話や伝説(アトランティスやノアの洪水など)が、歴史的真実ではなく心理的真実を体現しているというものです。例えばアトランティスは、より高い潜在能力が水面下にあることを表しています。かつて垣間見たものの今では失われたその能力は、私たちの個人的・集団的な未来において、まだ可能性をもっているのです。偉大なる叡智の力を借りた昔の神話作者たちは、人類が分断へと「上昇」していくことの必然的で悲劇的な結末を予見し、その灰の中からさらに偉大なものが生まれる可能性も予見していました。これこそがハルマゲドンに続く〈神の国〉であり、ラグナロクに続く天地の刷新なのです。
社会と生態系の崩壊が進んでいくことは、はるか昔から未来に書き込まれていて、分断のまさに夜明けには石と火のテクノロジーで飛躍的な進歩を遂げ、その後には農耕が、その後には現代の科学とテクノロジーが続きました。分断の破滅的な影響は、今日多くの人々の目にはっきりと現れていますが、社会と自然と文化と魂の膨大な資本がまだ枯渇していなかった昔には、災害が起きつつあることはそれほど明白ではありませんでした。先史時代のメソポタミアで最初の穀物倉が建設され、シュメールで最初の森林が伐採されたとき、その行く末を誰が想像できたでしょうか?
とはいえ、私たちが自己と自然と他者から切り離されることで必然的にどこへ行き着くかを見通してきた先見者たちが、いつの時代にもいたのです。何世紀も、何千年も前に、彼らは緊急性をもって別の方向を私たちに指し示すとともに、なおも高まりゆく破局の必然性を認識していました。彼らは皆、別の道も可能だというメッセージや手がかり、ヒントを私たちに残そうと最善を尽くしましたが、それは歴史の流れを止めるためというよりも、持続不可能な自己の物語が崩壊した後、どのように進むべきかを私たちに教えるためだったのです。彼らが残したメッセージは、現在の科学、宗教、経済、医学、心理学が持つ、限定的で(制限され、なおかつ制限する)妄想的な、〈分断〉された自己を超越することです。
彼らは時代を超えてメッセージを伝えるため、役に立つ手段は何でも使い、様々な方法でそれを語ったのです。彼らの中には、ナザレのイエスのように、自分の周りに創られた宗教によって、本来の教えを意図とは正反対の方向に曲解されるという不運に見舞われた人もいましたが、それでもその本来の意味は、残されたのがどんな言葉であっても、しばしばその中に隠されているのです。
このような教師たちのはるかに多くは、すぐに匿名の存在となりました。私たちに彼らの名前はわかりませんが、彼らのメッセージはさまざまな形で残されています。ある者は、神話や伝説、詩や歌、踊りや儀式を創作して未来と交信し、感受性の高い人々に解読してもらおうとしましたが、その作品は多くの場合、聴き手や演者の無意識の中に種を蒔くのです。たとえそのような儀式の背後にある論理を説明できる人が誰もいなくても、儀式を行う者は皆、変化し、促され、知識を授けられますが、ずっと後でその時が来たら理解できるようになるのです。
また、未来と交信するため弟子たちに直接個人的に伝える者もいました。分断というウイルスが全てを蝕む前に押し留めるのは絶望的であると考えた彼らは、おそらく農耕民族の侵入によって自分たちの文化が滅亡するのも間近だと考え、一家相伝の教団をつくり、破壊者である文明自身の中に隠したのです。おそらくこの流れはネアンデルタール人の時代から始まっていて、第2章にあるユロック族のウォゲイの話がそれを示しています。知識を何世代にもわたって個人的に受け継いできたのは、禅師や、スーフィズム信奉者、シャーマン、キリスト教神秘主義者、カバラ信奉者、道教信者、ヨガ行者、魔術師などの人々で、知識が開花する時が来るまで民間宗教の中に、あるいは全く見えないところに隠されていたのです。その時は今で、かつて秘密だった伝統の多くが、その知識をできる限り公開しようとしているのも偶然ではありません。[5]
SF作家たちが考えた人類の次の進化段階は、より高度な組織への集団的な移行でした。シロアリのアリ塚が個々のシロアリを超えた個性と感覚を持っているように、脳の知性が何十億ものニューロンの協調的な活動から生まれるように、人類全体の知性もまた、個々の人間の心がより強く、より速く結びつくことで生まれるのかもしれません。ヴァーナー・ヴィンジが描き出すのは、人間にコンピュータ技術を組み込んで知的能力と記憶を増強することによって、人と人との間で思考が伝わりやすくなった結果、超知性が出現するという未来です[6]。生物が何十億もの細胞の協調的な活動から生まれるように、何十億もの人間の協調的な活動から新種の超人的存在が生まれるかもしれず、特に人々の間でのコミュニケーションが体内のホルモンや生体電気的なやり取りと同じくらい速く起こる場合はなおさらです。ならば、ガイアが産み出しつつあるのは人間の集合体だと見ることもでき、その胎児期の器官は最初の古代建築社会における労働の専門化とともに分化を始め、その情報処理能力は〈インターネット時代〉の思考速度にようやく到達しつつあります。
ヴァーナー・ヴィンジなどの思想家たちは「すごーい、未来だ!」というテクノロジー進歩のイデオロギーにすっかり取り込まれています。しかし、彼らが宣伝するテクノ・ワンダラマ*的なシナリオは、結局のところ、そう遠くない未来に人類の超越が起こるという真っ当な直感から生じています。[* ワンダラマは1955〜77年と80〜87年にアメリカで放送された視聴者参加型の子供番組。]彼らの間違いは、この集団的超越が個人レベルでの同時かつ関連した超越なしに起こりうると思い込んでいることにあります。細胞どうしは常に競争し、環境(身体)と資源を巡り戦っていて、自分自身の複製という以上には生命にとって何の目的も意義もないと信じているような生物が、はたして生き残れるでしょうか? これはがん細胞をかなり良く説明しています。そうではなく、健康な生物なら細胞は自分の役割を完璧に果たそうとするのです。これは私が人間について提唱してきたことと同じではありませんか? 個人としては、ギフトの精神と、仕事と芸術の融合ではありませんか? 集団としては、自然界における私たちの役割と職務をよりよく理解するために科学を利用し、よりよく果たすためにテクノロジーを利用することではありませんか? それは、自然がより高度に複雑化し組織化するにつれて進化する役割と職務であり、受動的でも静的でもありませんが、謙虚であって、支配するよりも参加し、感謝して受け取ることを求めるのです。
(後半につづく)
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注:
[5] だがこれをスピリチュアリティの商品化と区別することには注意が必要だ。それは様々な精神的伝統の教えを売り込み、この文化あるいは魂の資本をさらにお金に換えようとする試みである。私がここで言う「知識」とは、情報や秘密の教えといった形のものではない。それは存在の仕方なのだ。
[6] 知性の創発的な性質を非常にわかりやすく描写した、ヴァーナー・ヴィンジ[Vinge, Vernor]の『A Fire on the Deep(深海の炎)』を参照。これも素晴らしい物語。
原文リンク:https://ascentofhumanity.com/text/chapter-8-04/

