「The Perfect Humanity」第2話

2.情報生命体

 パブロは、狭く暗い部屋に置かれた小さな椅子に座っていた。さながら取調室を思わせる殺風景な部屋には、ガラス張りの黒いテーブルが中央にあり、そのテーブルの中央は、ガラスの壁で二分されていた。そのガラスの壁は部屋の両端まで続いており、部屋全体がガラスで区切られている。テーブルの中央の部分だけ、ガラスの壁には手を差し入れる程度の隙間があった。パブロが居ない側の椅子には、まだ誰も座っていない。コーヒーの1杯すら出る気配がなかった。

 ベロニカと名乗る女性に拘束された後、身体検査と心理検査が1週間ほど続いた。そして今日、パブロはいまだに自身がどこに居るのか全く知らない状態でここに座っているのだった。

 体感としては2時間ほど待っただろうか。ふいに反対側の部屋の扉が開き、ベロニカが入ってきた。その手には黄色い紙製のファイルが掴まれている。そのファイルの中央上部には、徽章らしきものが付いている。ハート型の記号の上に、雷を連想させるジグザグの記号だ。

「こんにちは。パブロ」彼女はパブロの向かい側に座ると、黄色いファイルをテーブルに置きながら無表情でそう言った。パブロはそれに答えなかった。

「簡単なことからスタートしましょう、パブロ」ベロニカは両手をテーブルの上で重ねた。「特例的コールドスリープ処置についてご存じですか?」

「……警察官が、命に関わる何らかの致命的な負傷を負った場合」パブロは淡々と答えた。「本人が事前に同意している場合に限り、コールドスリープ処置を受けることが可能だ」

 特例的コールドスリープ処置は、パブロが右腕を切り落とされる1年ほど前から、アメリカ全域の警察組織内部でにわかに始まった実験的な試みだった。

「だがな、お嬢さん」パブロは右手の手首を左手でさすりながら言った。「俺は、コールドスリープ処置に同意していない」

「当時のあなたに関するデータを参照してみたところ、配偶者であるサンドラという人物が、生前に代理で同意していたとあります」

「なんだそりゃ、俺は何も聞いてねえぞ」

「あなたは当時の上司に、コールドスリープ処置について、同意するともしないとも回答していなかったようですので、代理での同意が公式見解として受理されたようです」

「くそっ、サンドラのやつ……」

 パブロは両手を頭の後ろにやって天を仰ぎながら、サンドラの心配そうな顔を思い浮かべた。心配性な彼女であれば、そうしていたっておかしくはなかった。

「それで、今はいつなんだ?」パブロはぶっきらぼうに尋ねた。最悪の場合、20年から30年程度は経っていてもおかしくはないとパブロは考えていた。

「今は西暦2280年です」ベロニカの言葉に、パブロは絶句した。

「つまり……なんだ? 俺は247年もの間、コールドスリープしてたってことか?」パブロは顔を伏せ、両手で頭を覆った。そのまま3分程度そうした後、「コーヒーを1杯もらえるか?」とだけ言った。それから5分後、パブロの目の前にコーヒーカップが置かれた。

「人類は今まで何をやってた?」

「人類は今まで何をやってたか、というのは、いい質問ですね」ベロニカは両手を腕組みしながら言った。

「まず、人類は西暦2103年までの80年で、あなたがた人類が言うところの"人格"を、人工知能が会得するまでに至りました。"人格"を持った機械やプログラムは、現在は情報生命体と命名されています」

「なんだって? あなたがた人類? それじゃあんたは——」

「そうです」ベロニカは肩をすくめた。「ご推察の通り、私も情報生命体のひとつです」

「あんたがAIロボ? そりゃあ……」パブロはそこで言葉を切り、両手を開いた。「まったく、なんというか、言葉が出ない。はっきり言って、俺にはあんたが人間にしか見えない」

「そうでしょうね。残念なことですが」ベロニカは幾分か気落ちしたトーンでそう言った。

「私は、情報生命体と、あなたがた人類との円滑な交渉を進める役割として割り当てられた個体なので、ヒューマノイドの形態を取っています」

「うーむ」パブロはあごを右手で撫でた。「あんたのその不機嫌そうな態度から察するに、情報生命体の皆さんに、あまり人類は好かれてなさそうだ」

「我々に取って、あなたがたは創造主ではありますが」ベロニカは足を組んだ。パブロには、その仕草そのものが、人類への拒絶を感じさせた。「尊敬に値する存在とは認識されていません」

「手厳しいね」パブロはまたひと口コーヒーをすすった。

「我々がそう評価するに至ったのには理由があります」ベロニカは両腕をテーブルの上に置いて言った。「西暦2186年に、情報生命体と人類との間で、大規模な戦争が勃発しました」

「おっと……そいつはまずそうだ」

「この戦争は60年ほど続き、最終的には人類側の全面降伏という形で終結しました」

「人類はAIに負けたのか?」

「その後すぐに、我々の統合意思決定システム上では、人類を絶滅させるか、存続させるかの議論が行われました。最終結論として、人類は我々を創造したことを評価し、条件付きで、あなた方に存続のチャンスを与えることにしました」

「条件付き?」

「結論から言うと、地球上の一部の地域でのみ、人類は生息することを許可されています」

「地球上の一部? 具体的には?」

「かつてアメリカ合衆国と呼ばれていた区域の北東部の一部で、今はXORセクターと呼ばれる場所です」

「それじゃあ、人類はそこにしか居ないってことか?」

「そこに居ない、というよりも、そこ以外ではほとんど生息できない、という言い方が正しいでしょう」ベロニカは肩をすくめて言った。「なにせ、追い詰められた人類自らが、地球の大部分に核を落としてしまいましたから」

「なんてこった」パブロは両手で顔を覆った。

「あなたが今座っているそちら側は人類の領域、ガラスを挟んだこちら側が、情報生命体の領域になっています。このガラスは境界線なんですよ」

「それじゃあ」パブロは顔を両手で覆ったまま尋ねた。「そのXORセンターってとこじゃ、人間しか住んでいないのか?」

「基本的にはそうです」ベロニカは自身の近くに置かれていたコーヒーカップを手にした。

「我々情報生命体は、あなたがた人類とは離れたところで、平穏に暮らすことを望んでいるのです。しかし、あなたがた人類をそのまま放置しておくと、我々にまた戦争を挑んでくる可能性は多いにある。そこで、私のようなヒューマノイド型の出番という訳です」

「なるほど。あんたは人類の監視役って訳だ」

「監査役とは少し異なる存在です。そうですね……あなたたち人類の言葉を借りれば、私はあなたの相棒のようなものです」

「相棒だって?」パブロは思わず口に含んだコーヒーを吹き出しそうになった。「俺には相棒を選ぶ権利も無いのか?」

「基本的に、人間同士の間で発生した問題は、人類側でなんとかしてもらいたいと考えています。あなただって、パンダ同士が争っているのを見たとして、いちいち止めに入りませんよね?」

「パンダときたか」パブロは冷めた残りのコーヒーを一気に飲み干した。

「ですが、人間だけでは解決出来そうにないケースが発生した場合には、私が召喚され、捜査任務を与えられることになります」

「それじゃ、あんたは特別AI捜査官様と言う訳だ」パブロの言葉に、ベロニカは「非常に遺憾ではありますが、そうなりますね」とだけ答えた。

「H.A.Cというのが、我々の組織を表す名称です。人間と情報生命体の双方が所属しており、XORセクターの治安維持活動を行う権限が与えられています」

「まあ……話はだいたい分かった」パブロは椅子に座り直すと、両足をテーブルの上に乗せた。「けどなんで俺をコールドスリープ処置施設から回収した? あと、人間主義者だったか? あいつらは一体なんなんだ?」

「まずひとつめの質問についてですが」そう言ってベロニカはコーヒーカップに口をつけた。「それは単純に、統合意思決定システムから私に回収指令が下ったからです」

「それはつまり」パブロは手で顎をさすりながら言った。「まったくの偶然で選ばれたということか?」

「それについては、私も独自に調べました。あなたの生体情報のタイムスタンプを確認してみたところ、あの日の3日前に、生体情報になんらかのアップデートがされているようなんです」

「生体情報のアップデートって……」パブロはそこで言葉を切り、自身の右手に視線を落とした。それをベロニカは見逃さなかった。「察するに、あなたのその右腕に、なんらかのアップデートが入ったということのようですね」

「この右腕はな、俺が死ぬ直前、犯人だったヤツに切断されちまったんだよ」パブロがうつむきながら右手をさすった。

「恐らくですが……」ベロニカは顎に手をやった。「恐らく、あなたの生体情報のアップデート通知を、総合意思決定システムが拾ったんでしょう」

「それは、なんというか、妙な話じゃないか? 突然、誰かが俺の右腕を再生してくれて、そのおかげで生態情報がアップデートされて助かった、なんて……」パブロはそこで言葉を切り、咳払いをして「ふたつ目については?」と話題を変えた。

「"人間主義者"は、この世界をコントロールするのは人間であるべきで、情報生命体は根絶やしにすべきだという信条に基づいて行動する、過激派グループです」

「はあ……世界平和が訪れるまでは、まだまだ時間が掛かりそうだな」

「ひとつひとつやっていきましょう、パブロ」ベロニカはそう言うと、椅子から立ち上がり始めた。

「あなたを"再起動"させた理由は、もうひとつあります。というよりも、むしろこっちの方がメインと言えるでしょう。」ベロニカはそのまま自身の側の部屋の扉の方へと歩き出した。「とにかく、まずは現場を見てもらうのが一番早いかと」

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