Xまとめ:飛鳥の旅2日目①~飛鳥宮跡・酒船石・石舞台古墳ほか~
飛鳥の旅2日目の記録。移動距離21.5km。#飛鳥旅2 pic.twitter.com/BmxZWhieiZ
— 多治比真人島 (@tajihi_mahito) June 25, 2026
06:24 孝元天皇陵
飛鳥の旅2日目。橿原神宮前駅から飛鳥宮跡へ向かう。道すがら第8代 孝元天皇の劔池嶋上陵(つるぎのいけしまのえのみささぎ)を見る。欠史八代の天皇の一人だが卑弥呼説がある倭迹迹日百襲姫命の兄弟でもある。真実やいかに。#飛鳥旅2 #孝元天皇 #劔池嶋上陵 pic.twitter.com/SeNlVT054f
— 多治比真人島 (@tajihi_mahito) June 27, 2026
橿原神宮前駅から石神遺跡に向かう途中に、推古天皇の豊浦宮跡・豊浦寺跡(向原寺)があるが行かなかった。帰宅後に多治比国人の万葉歌碑があると知り未訪問を後悔。本当に直ぐ近くを通っただけに悔やまれる。#飛鳥旅2 #多治比国人 #向原寺 #豊浦宮跡 pic.twitter.com/d8A8zlVkuH
— 多治比真人島 (@tajihi_mahito) June 27, 2026
グーグルマップで万葉歌碑の案内板を確認すると丹比一族について「故郷の飛鳥に戻り~」とある。河内の丹比ではなく、飛鳥が故郷という認識があったのだろうか?そうなると多治比氏の古墳が飛鳥にあってもよい。やはり高松塚古墳は多治比嶋では…#多治比国人 #向原寺https://t.co/NW5f80L7jk
— 多治比真人島 (@tajihi_mahito) June 27, 2026
古都飛鳥保存財団が発行してる広報誌「飛鳥びと」の第1号の表紙に多治比(丹比)国人の歌が掲載されていて滅茶苦茶驚いた。有名な歌だったのか。そして「丘」は雷丘の解釈か。
— 多治比真人島 (@tajihi_mahito) June 30, 2026
それにしても「No.1」の表紙を飾ってるのがいいね。#飛鳥びと #多治比国人https://t.co/O0vr0CmVaK pic.twitter.com/LBna6VEHo3
多治比国人は橘の奈良麻呂の変で流罪となっている
里中満智子「女帝の手記」での多治比氏④
— 多治比真人島 (@tajihi_mahito) April 29, 2026
4巻、橘奈良麻呂の変の後の粛清で多治比氏の長老(多治比国人?)の流罪、多治比犢養の拷問死で名前が登場。続日本紀にも記述のある孝謙天皇による多治比広足への叱責の描画は無し。#女帝の手記 #里中満智子 #多治比国人 #多治比犢養 pic.twitter.com/4j76fH4Rou
06:35 雷丘
飛鳥川を眺めながら移動中に雷丘を発見。柿本人麻呂の歌が掲示されていた。淳仁・称徳朝の小治田宮もあったようで奈良時代の遺跡もあり驚く。
— 多治比真人島 (@tajihi_mahito) June 30, 2026
wikipediaに掲載の雷丘の由来の逸話が意味不明過ぎて困惑。雷神様が間抜け過ぎる…
#飛鳥旅2 #雷丘https://t.co/2YiJoOgsLS pic.twitter.com/TJaULCagRE
06:39 石神遺跡
石神遺跡へ到着。須弥山石と石人像が出土したことで有名だが、現在は飛鳥資料館に展示され今は説明板以外の痕跡は無し。斉明天皇時代の迎賓館や饗宴施設と推定されており、ここで皆が知る歴史上の人物が宴会していたのだろうか…#飛鳥旅2 #石神遺跡 pic.twitter.com/557TM6jRkz
— 多治比真人島 (@tajihi_mahito) June 30, 2026
石神遺跡で発見された須弥山石と石人像は、この後に訪問した飛鳥資料館で見ることができた。 pic.twitter.com/C1hhPcvAdn
— 多治比真人島 (@tajihi_mahito) June 30, 2026
飛鳥水落遺跡に、石神遺跡のより詳しい説明板があったので上げておく。相当広い迎賓館だったことが分かる。#石神遺跡 pic.twitter.com/I5jKaiwUPn
— 多治比真人島 (@tajihi_mahito) June 30, 2026
06:43 飛鳥水落遺跡
飛鳥水落遺跡へ。日本初の水時計であり、斉明天皇6年(660年)に中大兄皇子が設置したとされ、ある意味で、わが国で時間による支配が始まったと場所と言える。日本書紀に記述がある遺跡が約1300年後の1972年に発見されたのも凄い。#飛鳥旅2 #飛鳥水落遺跡 pic.twitter.com/HZL4GyMUMY
— 多治比真人島 (@tajihi_mahito) July 1, 2026
バーチャル飛鳥京なるアプリがあったので試してみる。画面と再現にズレが生じる場面も多々あったが、なかなか良い感じ。#飛鳥旅2 #飛鳥水落遺跡 pic.twitter.com/UkaLOEuL1K
— 多治比真人島 (@tajihi_mahito) July 1, 2026
07:00 蘇我入鹿首塚/飛鳥寺跡
蘇我入鹿首塚へ。甘樫丘がよく見える。乙巳の変で切られた蘇我入鹿の首が飛鳥板蓋宮からここまで飛んだ逸話も…(飛びすぎ)。蘇我氏の呪いを聞かないのは呪力が足りない?蘇我氏は悪の印象操作をされてるが時の権力者はいつの時代も同じことをしてる?(特に藤原氏…)#飛鳥旅2 #蘇我入鹿 #甘樫丘 pic.twitter.com/ShefoiqNTl
— 多治比真人島 (@tajihi_mahito) July 2, 2026
蘇我入鹿首塚とほぼ同じ場所の飛鳥寺跡。この地で中大兄皇子と中臣鎌足が出会い乙巳の変に繋がる。蘇我入鹿の首塚をここに設置した人間はどんな心境だったのか…。何か皮肉めいている。ヴァーチャル飛鳥京で再現ARを確認。早朝のため飛鳥大仏見学は後に回す。#飛鳥旅2 #飛鳥寺跡 #蘇我入鹿首塚 pic.twitter.com/S6X1oo7xIT
— 多治比真人島 (@tajihi_mahito) July 2, 2026
07:11 飛鳥京跡苑地
飛鳥京跡苑池へ。休憩所とトイレもある。飛鳥宮の北西に隣接する王宮附属の庭園のようだが当時の面影は流石に残っておらず。後で訪問の飛鳥資料館に展示のジオラマを見てイメージをつかめた。石神遺跡といい、おもてなし施設に広大な敷地を利用してるのは凄い。#飛鳥旅2 #飛鳥京跡苑池 pic.twitter.com/jBWRP2cKn0
— 多治比真人島 (@tajihi_mahito) July 2, 2026
07:19 飛鳥京正殿
飛鳥宮跡 正殿跡へ。解説板以外の痕跡は無し。内郭は北と南があり北は天皇の私的空間、南は公的な儀式空間で、ここは北の区画中心部らしい。
— 多治比真人島 (@tajihi_mahito) July 3, 2026
これを調べてる際にエビノコ郭を見落とし未訪問だったと気付く。大極殿はエビノコ郭にあったようだ…。#飛鳥旅2 #飛鳥宮跡正殿跡 #エビノコ郭 pic.twitter.com/HBJvSfyuFx
07:21 飛鳥宮跡
念願の飛鳥京跡へ。2016年(平成28年)に伝飛鳥板蓋宮跡から飛鳥京跡に名称変更されたが未だに慣れない。(2016年が10年前という衝撃!)。推古天皇から持統天皇の約100間の複数の宮が確認されている。持統天皇朝で右大臣の多治比嶋も、ここに確実にいたと思うと感慨深い。#飛鳥旅2 #飛鳥京跡 pic.twitter.com/NmxJWNIpp1
— 多治比真人島 (@tajihi_mahito) July 5, 2026
飛鳥京跡(あすかきょうあと)
— 多治比真人島 (@tajihi_mahito) July 5, 2026
藤原宮跡(ふじわらきゅうせき)
これがややこしくて、未だに気を抜くと間違える。
飛鳥京跡には志貴皇子の歌碑がある。父が天智天皇で孫が桓武天皇と考えると凄い。wiki情報では政治を諦め文化の道に生きたとある。まさか自分の血筋が1000年以上も天皇に残ると予想できなかったであろう。
— 多治比真人島 (@tajihi_mahito) July 5, 2026
668年誕生は多治比縣守と同級生となる。二人の関係はあったのか?#飛鳥旅2 #志貴皇子 pic.twitter.com/oVLFLfpwhY
飛鳥京跡はⅠ~Ⅲ期の遺構がありⅠ・Ⅱ期は保護のため未調査とある
— 多治比真人島 (@tajihi_mahito) July 7, 2026
Ⅰ期 舒明天皇の飛鳥岡本宮
(630 - 636年)
Ⅱ期 皇極天皇の飛鳥板蓋宮
(643 - 645、655年)
Ⅲ期(前半) 斉明天皇の後飛鳥岡本宮
(656 - 656年)
Ⅲ期(後半) 天武・持統天皇の飛鳥浄御原宮
(672 - 694年)#飛鳥旅2 #飛鳥京跡 pic.twitter.com/XaFNeibc6k
飛鳥京跡を紹介する際に必ず紹介される井戸跡。伝飛鳥板蓋宮跡のほうがなじみ深い。世界遺産登録後に観光目的に来た人はここを見るだろう(そしてガッカリする?)三期(後半):飛鳥浄御原宮の復元井戸となるようだ。うーむ、この辺りの正確な把握が難しい…。#飛鳥旅2 #飛鳥京跡 #伝飛鳥板蓋宮跡 pic.twitter.com/F6jvpvxheW
— 多治比真人島 (@tajihi_mahito) July 7, 2026
飛鳥京跡からは耳成山と香久山が見える。地図上では距離があるため見えるとは予想外だった。大和三山の中では畝山のみ甘樫丘に阻まれて見えず。しかし現代でも高層建物に邪魔されずに望めるのは素晴らしい。#飛鳥旅2 #飛鳥京跡 #耳成山 #香久山 pic.twitter.com/CowtlHMZ0p
— 多治比真人島 (@tajihi_mahito) July 7, 2026
飛鳥京跡をウロついている時に謎の音楽が流れてきた。まぁまぁ朝早い時間に大きな音量で放送されていたが、一体何だったのだろうか?#飛鳥旅2 #飛鳥京跡 pic.twitter.com/cTesZuStcd
— 多治比真人島 (@tajihi_mahito) July 7, 2026
バーチャル飛鳥京のアプリを確認したら、ARにより唐突に人が現れた感があってビクッっとなった。よく見るとARではなく、単にどこでも視聴できる動画であった…#バーチャル飛鳥京 pic.twitter.com/62ywj9OgR9
— 多治比真人島 (@tajihi_mahito) July 7, 2026
名残惜しいが飛鳥京跡を去る。非常にのどかで良い所だが、世界遺産登録をきっかけにオーバーツーリズム状態になるのだろうか?
— 多治比真人島 (@tajihi_mahito) July 7, 2026
個人的には地味(失礼)で交通網も駐車場も店舗も少ないから、それほど心配はしていないが…(失礼を重ねる奴)#飛鳥旅2 #世界遺産https://t.co/R06Twk1HKA
07:48 酒船石
酒船石へ。飛鳥でも上位の知名度を誇る謎の巨石。万葉文化館会が開館前のため逆側から登る。本来の利用方法は不明で、それ故に想像力が刺激されるのか諸説ありすぎる状態。約1300年前に人力のみで運搬・加工をしてるのが本当に驚く。名が残っていない職人集団の偉大さを思う。#飛鳥旅2 #酒船石 pic.twitter.com/3h2FMkmRkN
— 多治比真人島 (@tajihi_mahito) July 7, 2026
酒船石を一周。
— 多治比真人島 (@tajihi_mahito) July 8, 2026
竹取物語の石作皇子は多治比嶋と言われる。蘇我氏は石川氏へ。物部氏は石上氏へ。飛鳥時代の高級官僚の氏名には「石」が関わることからも、石が重要だったと推測できる?明日香村周囲には謎の石造物が多く残り興味深い。#飛鳥旅2 #酒船石 #石作皇子 pic.twitter.com/jWcgOsjTyB
08:08 川原寺跡・橘寺
橘寺へ。開門時間前のため外から眺めるのみ。聖徳太子の出生の地であり、田道間守が垂仁天皇のために持ち帰った非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)があり、二面石という石造物があり、なかなか面白い。
— 多治比真人島 (@tajihi_mahito) July 9, 2026
垂仁天皇と竹取物語と多治比嶋の関係にも繋がる?https://t.co/aL0vcGHgux#飛鳥旅2 #橘寺 pic.twitter.com/axhREL9oYR
川原寺跡へ。開門時間外のため外からのみ。橘寺跡の向かい側に位置する。飛鳥四大寺(薬師寺、大官大寺、飛鳥寺、川原寺)の一つ。創建については謎が多く、四大寺でこの寺のみ飛鳥に残ったとある。世界遺産候補の一つだが謎多き寺と感じる。#飛鳥旅2 #川原寺跡 #飛鳥四大寺 pic.twitter.com/LMDp2EuwBv
— 多治比真人島 (@tajihi_mahito) July 10, 2026
バーチャル飛鳥京で川原寺を確認。見事に宙に浮かぶ川原寺を確認することができたw#バーチャル飛鳥京 #川原寺跡 pic.twitter.com/AR1GwnE80X
— 多治比真人島 (@tajihi_mahito) July 10, 2026
8:40 島庄遺跡
石舞台古墳へ移動する途中に島庄遺跡があることを帰宅後に発見。島庄には日本書紀や万葉集の記述から蘇我馬子の「飛鳥河の傍の家」や草壁皇子の「嶋宮」があったという。これは同じ名前の多治比嶋も絶対利用してたと思う。名前というのは意識してしまうもの。#飛鳥旅2 #島庄遺跡 #嶋宮 pic.twitter.com/5ynRD1wyeI
— 多治比真人島 (@tajihi_mahito) July 12, 2026
08:45 石舞台古墳
石舞台古墳へ。平日9:00の開園直後のため貸し切り状態で眺めることが出来た。蘇我馬子の古墳の石室が露出したものとされ、かつての絶対的権力者の墓の現状に栄枯盛衰を感じる。しかし、この状況になったからこそ高い知名度を誇るようになったのは皮肉か。#飛鳥旅2 #石舞台古墳 #蘇我馬子 pic.twitter.com/fjaLJ1nYry
— 多治比真人島 (@tajihi_mahito) July 12, 2026
古墳の敷地内には復元石棺がある。日本書紀に記載のある蘇我馬子の桃原墓が有力視され、発掘調査では石棺を発見できず復元したとある。これほどの石棺がどこに消えてしまったのか…。蘇我馬子(551?-626年)は嶋大臣とも呼ばれ多治比嶋(624-701年)との関係も気になる。#飛鳥旅2 #石舞台古墳 #桃原墓 pic.twitter.com/DgpsRWlKf1
— 多治比真人島 (@tajihi_mahito) July 14, 2026
石舞台古墳の案内板には作り方の一連の流れが書いてあった。これを人力で行ったのがつくづく凄いと思う。また、石舞台古墳は他の古墳を削平して造られたともあり、蘇我馬子の権力の高さを伺える。#飛鳥旅2 #石舞台古墳 pic.twitter.com/tbH7xU8IoN
— 多治比真人島 (@tajihi_mahito) July 14, 2026
石舞台古墳のその他の解説板。なおwikipediaよると名前の由来となった「狐が女の姿に化けて古墳の上で踊った」逸話は近年になってからの創作とのこと。地元では「石蓋」(いしぶた)と呼ばれていたらしい。まぁ、狐が踊ったというのは綺麗すぎるかな…https://t.co/zJdSNlWahc#飛鳥旅2 #石舞台古墳 pic.twitter.com/lJw8uXUqzn
— 多治比真人島 (@tajihi_mahito) July 14, 2026
石舞台古墳に直ぐ近くの石舞台売店は閉鎖されていた。直ぐ近くの明日香の夢市に集約したのだろうか?明日香は有名観光地の近くでも販売所は少ないように感じたが、世界遺産登録がきっかけで何か変わるのだろうか?石舞台古墳は最も集客出来そうなのだが。#飛鳥旅2 #石舞台古墳 pic.twitter.com/AD2UMimYjh
— 多治比真人島 (@tajihi_mahito) July 14, 2026
