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【教育】共通テストは何を測っているのか─崩れた役割分担と揺らぐ大学入試の基盤

 今回の記事は、共通一次からセンター試験、そして共通テストへと続く大学入試の変遷を、数学を中心に丁寧に追っています。しかし、制度史的に見れば、現在の共通テストが抱える問題は、単なる出題形式の変化にとどまらず、「本来の役割分担が崩れたこと」に根本原因があると考えます。すなわち、共通一次はあくまで基礎学力の確認を目的として導入され、応用力や高度な思考力は各大学の二次試験で測るという明確な役割分担が存在していました。ところが近年は、共通テストも二次試験もともに「思考力・判断力」を掲げ、結果として両者の差別化が困難になっています。
 数学における会話文形式の増加は象徴的です。確かに、日常的な文脈から数学的モデルを構築する力は重要ですが、共通テストという全国一律の基礎学力試験で、国語的読解力をここまで要求することが妥当かどうかは慎重に検討すべきです。数学の問題を解く前段階として、長文の状況説明を読み取り、登場人物の意図を把握し、必要な情報を抽出するという作業は、もはや「数学的能力」だけでは説明できません。国語力は確かに重要ですが、各教科の試験に国語的負荷を過度に持ち込むことが、学力評価として適切かどうかは再考が必要です。
 同様の問題は歴史総合にも見られます。科目の理念として「通史的理解」と「現代的課題への接続」を掲げながら、実際には世界史的内容に大きく偏り、しかも標準単位数が少ないため、現場は過密な内容を限られた時間で扱わざるを得ません。範囲は広く、内容は深く、しかし授業時数は不足しているという構造的矛盾が、教員にも生徒にも過度な負担を強いています。制度設計と教育現場の実態が乖離している典型例と言えるでしょう。
 センター試験についても、導入当初は知識偏重や設問の粗さが指摘されましたが、2010年代以降は問題の質が大きく改善し、基礎学力を安定的に測る試験として成熟しつつありました。共通テストはその流れを断ち切り、「新しさ」や「思考力」を過度に追求した結果、問題の分量と複雑性が増し、受験生の情報処理能力に依存する試験へと変質しています。記事が指摘するように、平均点が維持されているのは受験生の能力向上というより、受験産業が高度化し、対策が極限まで進んだ結果であり、制度として望ましい姿とは言えません。
 本来、大学入試は「何を学んできたか」だけでなく、「これから何を学ぶか」を見据えて設計されるべきです。しかし現状は、受験生の負担を増やし続ける方向に制度が動き、持続可能性を欠いています。科目数、出題形式、1科目あたりの負荷など、どこかで軽量化を図らなければ、教育全体のバランスが崩れかねません。
 共通テストの理念そのものを否定する必要はありませんが、基礎学力試験としての役割を再定義し、二次試験との機能分担を明確にすることが急務です。制度の複雑化が生徒の努力を吸い上げる構造になっていないか、もう一度立ち止まって考えるべき時期に来ていると感じます。

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