東京2020は終わっていなかった。
2024年9月9日。日比谷のオフィスで、私は一つのプレスリリースを見つめていた。
翌朝10時。40年続いたオリンピックパートナーシップの終了が発表される。一文一文を確認しながら、これまで関わってきた大会の景色が浮かんだ。
バンクーバー。
ロンドン。
ソチ。
リオ。
東京。
北京。
そしてパリ。
気づけば、涙が込み上げていた。
なぜ涙が出たのか。正直に言うと、今もよく分からない。
40年の歴史が終わることが悲しかったのかもしれない。オリンピックに関わった時間や、そこで出会った人たちの顔が浮かんだからかもしれない。
ただ、一つだけ確かなことがある。パリで私は見た。東京2020の情熱が、今も多くの人の中に生き続けていることを。
そして私は思った。
東京2020は、終わっていなかったのだと。
Chapter1 「東京で、これをやりたかった。」
2024年4月。私はオリンピック責任者として復帰した。リオ大会後の2016年10月から、現場の第一線を離れていた。
気づけば7年半。正直に言えば、不安もあった。
残り3か月。本当に自分に務まるのか。そんな気持ちが、まったくなかったわけではない。それでも私は、再びオリンピックの現場へ戻ってきた。
舞台はパリだった。今回の役割は現地運営の統括。しかし、それだけではなかった。40年続いた歴史のクロージングにも向き合う立場だった。
未来をつくる仕事と、歴史を閉じる仕事。その二つが、同じ夏にあった。
現地で最も挑戦的だった取り組みの一つが、Champions Parkだった。
会場は、エッフェル塔の麓にあるトロカデロ庭園。開会式の舞台となった象徴的な場所である。その場所が、開会式後は誰もが集える広場へと姿を変えた。
大会期間中、そこは市民や観光客、そして世界中のファンが集うオリンピックの広場になった。
しかも無料だった。競技会場のチケットを持っていなくてもいい。
パリ市民も、
観光客も、
子どもたちも、
誰もがオリンピックに参加できた。
午後になると、メダリストたちが現れる。アスリートは、まるでファッションショーのランウェイを歩くように、観客の前を進んでいく。
手を振る。
写真を撮る。
サインをする。
観客との距離は驚くほど近かった。
私はロンドン、リオ、東京を経験してきた。しかし、これほど市民とアスリートが自然につながる光景を見た記憶はない。競技を見る場所ではなく、オリンピックに参加する場所。
それがChampions Parkだった。
私はそこに、オリンピックの未来を見た気がした。
ただ、初日は不安だった。初めての取り組み。導線もオペレーションも手探りだった。オープニングアクトの頃、会場はまだ埋まり切っていなかった。この場所は、本当に人に届くのだろうか。そんな空気もあった。
流れを変えたのは、一人の10代アスリートだった。最初に登場した日本人スケートボーダーは、観客一人ひとりの声援に応え、サインをし、スマートフォンで写真を撮った。
会場の空気が変わった。人が動き出す瞬間には、
音がある。その日、Champions Parkは単なるイベント会場ではなくなった。
オリンピックが、
選手のものでもなく、
スポンサーのものでもなく、
みんなのものになった瞬間だった。
私はその時、思った。オリンピックの価値は、
競技会場の中だけにあるのではない。人と人がつながる場所にも、確かに存在するのだと。
日を追うごとに、Champions Parkには人が溢れていった。
家族連れ。
若者たち。
世界中から集まったファン。
誰かのためのオリンピックではなく、みんなのためのオリンピックだった。
そんな中で、何人もの日本のスポーツ関係者が、
同じ言葉を口にした。
一人ではなかった。
二人でもなかった。
東京大会に関わった人たちが、まるで同じ記憶を共有しているかのように、同じ言葉を口にした。
「東京で、これをやりたかった。」
その言葉には、悔しさも、誇りも、そして、まだ終わっていない想いも含まれているように感じた。
私はその言葉に、東京2020が残した熱を感じた。
しかし、パリ滞在中に耳にした別の言葉がある。
「日本が東京大会を開催してくれたから、このパリ大会がある。」
その言葉に救われた。東京2020は無観客だった。制限も多かった。思い描いていた姿とは違った。それでも、東京は世界のスポーツを止めなかった。
あの困難な時代に、オリンピックの灯をつなぎ、
次のパリへとバトンを渡した。
パリで私が見たのは、オリンピックの新しい形だった。
そして思った。東京2020は終わっていなかった。むしろ、あの大会で生まれた経験も、悔しさも、情熱も、今も形を変えながら生き続けているのだと。
Chapter2 そこにいないオリンピック
東京オリンピックは、私にとって「そこにいないオリンピック」だった。関わっていないわけではない。むしろ、これまでで最も長く関わってきた大会だった。それでも、東京の現場にはいなかった。
私がオリンピックを強く意識したのは、大学時代、チームメイトが2000年シドニーオリンピックに出場したことだった。オリンピックは、遠い世界の出来事ではなく、目指すものへと変わった。
その後、2008年から8年間、オリンピック・パラリンピックマーケティングに関わり、2013年以降は東京大会の立ち上げに携わった。
2016年リオ大会。閉会式での東京プレゼンテーションを見ながら、私は強く思った。
「必ず東京大会を成功させる。」
そして、もう一つ特別な想いがあった。
東京大会に、野球が戻ってきた。元野球選手としても、スポーツマーケターとしても、東京オリンピックの現場に立ちたかった。
だが、その願いは叶わなかった。リオ大会後の2016年10月から、私はアメリカにいた。北米でのブランディングを担当しながら、東京大会への関わりは続いていた。
そして2020年。世界は一変した。
COVID-19パンデミック。東京2020延期。
先が見えなかった。
そんな中で、ケイティ・レデッキーはこう語った。
「美しい国で、素晴らしいオリンピックを夢見ている。」
私はその言葉に勇気をもらった。だからこそ、次世代とアスリートをつなぐ活動を続けた。
そして迎えた東京大会。私は日本にはいなかった。
しかしフロリダで、確かにオリンピックを感じていた。Team USAを応援するメンバーが、ホテルのバンケットルームに集まり、共に競技を見守っていた。
そこは東京ではない。
それでも、確かに“オリンピックの空気”があった。
同じ場所にはいない。
それでも、同じ時間を共有していた。
私はその時、気づき始めていたのかもしれない。
オリンピックは、必ずしも「その場所にいること」だけではない。
どこにいるかではなく、どう関わるか。
東京2020は、私にそれを教えてくれた。
オリンピックは止まらなかった。
Chapter3 未来への約束
ソチで、私は「制約の中で、何ができるか」を問われていた。それは、これまでとはまったく違う戦いだった。その中で、私は初めてホスピタリティを任された。
開催2週間前。オリンピックに合わせて開業するホテルは、まだ完成していなかった。カウントダウンは進む。部屋が出来ていない。正直、不安だった。最初のWaveには、VIPが多い。社長も来る。プレッシャーは大きかった。
1週間を切った頃、私は間に合わないと諦めかけていた。それでも、少しずつ状況が変わり始める。ホテル側が、私たちの準備を優先してくれている。
その変化が目に見えて分かった。そこには、それまで築いてきた関係があった。
ホスピタリティチーム。
ホテルスタッフ。
国籍も立場も違う。
それでも、同じ大会を成功させたいという思いでつながっていた。
限られた予算の中で、私たちはできることを考え続けた。
直筆のメッセージカードを添えたホッカイロ。
深夜に用意したおにぎり。
そして、全員で手を振って見送る。
派手な演出はない。しかし、一つひとつに心を込めた。
お客様からいただいた感謝の言葉は、今でも忘れられない。
そして大会が終わり、私がソチを離れる日。
今度はホテルスタッフが、私たちを見送ってくれた。その瞬間、私は理解した。
体験は施設がつくるのではない。人がつくるのだ。
制約の中でも価値は生み出せる。違う立場の人たちが力を合わせれば、想像を超える体験をつくることができる。ソチは、私にとってそんな大会だった。
その裏で、もう一つの挑戦も進んでいた。
IOCとのThe Olympic Partner契約だった。
当時、私は契約更新の主担当だった。
しかし、状況は決して楽観できるものではなかった。会社は二年連続の大幅赤字。契約更新の是非について、社内では様々な意見があった。
私たちは、役員一人ひとりを訪ね、意見を聞いて回った。
続けるべきなのか。
見直すべきなのか。
議論は簡単ではなかった。
正直に言うと、私は何度も不安になった。
もしかすると、契約更新は難しいのではないか。
もしかすると、長年にわたり先輩方が受け継いできた歴史を、契約主担当である自分が終わらせてしまうのではないか。そんなことを考えた。
そして迎えた2013年9月。アルゼンチン・ブエノスアイレスでは、オリンピックパートナー契約の最終交渉が行われていた。
本来であれば、私自身がその場に行きたいと思っていた。しかし現地へ向かったのは上司3名だった。
私は日本に残り、結果を待っていた。契約主担当でありながら、最後の交渉の場にはいない。正直、悔しさもあった。もどかしさもあった。だからこそ、継続に向けて前進したという知らせを受けた時は、心から安堵したことを覚えている。
そして翌日。IOC総会の開催都市発表を、私たちは日本で見守っていた。時差の関係で深夜だった。
オリンピックマーケティングの仲間たちと集まり、レストランの一角でパソコンのライブ配信を見ていた。
誰も落ち着かなかった。
東京になるのか。
それとも別の都市なのか。
息を飲みながら画面を見つめていた。
ジャック・ロゲ会長が封筒を開く。
「TOKYO」と読み上げた。
歓声が上がった。
拍手した。
握手した。
その瞬間、東京2020は未来の計画ではなく、現実になった。
前日の契約更新交渉の前進。
そして東京開催決定。
私にとって、二日続けての吉報だった。
そして私は思った。
この未来に賭けたい。
東京大会を成功させたい。
だからこそ、2014年2月のソチで行われた契約更新発表は、単なる契約ではなかった。
未来へのコミットメントだった。
交渉検討中、私に、担当役員はこう言った。
「グローバルにいる多くの社員の誇りなんだぞ」
その言葉は、今でも忘れられない。
私は契約を見ていた。
役員は人を見ていた。
私は次の数年を見ていた。
役員は次の世代を見ていた。
私は会社を見ていた。
役員は世界中で働く社員を見ていた。
私は契約を見ていた。役員は人を見ていた。
その瞬間、自分の視野の狭さに気づいた。後になって振り返ると、私が学んだのはスポンサーシップではなかった。
リーダーシップだった。そして、未来を信じて投資するということだった。
Chapter4 日本は何を世界に残せるのか
今、中国・北京に住む私は、よく考えることがある。これからの国際スポーツ界で、日本はどのような存在感を示していくべきなのだろうか。
私はこれまで、日本で働き、アメリカで5年間を過ごし、そして今、中国で仕事をしている。
スポンサー企業の立場で8大会のオリンピックに関わり、世界のスポーツビジネスの変化を見てきた。
中国には中国の強みがある。
圧倒的なスピード。
大規模な投資。
そして変化を恐れないエネルギー。
北京で暮らしていると、昨日までなかったサービスが生まれ、新しい企業が現れ、街の景色が変わっていく。
そのスピードに驚かされることは少なくない。
アメリカにはアメリカの強みがある。
挑戦する人を称賛する文化。
失敗を恐れず、新しい価値を生み出そうとする力。
では、日本は何だろうか。
私は長い間、その答えを探してきた。
そんなことを考えていた時、私は高野山を訪れた。
1200年以上続く祈りの場。そこには、時間の流れそのものが残っているように感じた。高野山では、古いものが保存されているのではなかった。
受け継がれていた。
時代を超えて。
世代を超えて。
人から人へ。
北京で見た未来。高野山で感じた時間。その両方を経験したからこそ、私は考えるようになった。
日本は何を世界に残せるのだろうか、と。
私は、日本の強みは4つあると思う。
未来を見据えること。
誠実であること。
共に創ること。
そして、未来へ価値を残すこと。
後から振り返ると、オリンピックの現場で学んだことの多くは、この4つだった。
Long-Term Orientation
長期的な視点で未来を考えること。
40年間続いたオリンピックパートナーシップは、
まさにその象徴だった。短期的な成果だけではなく、次の世代へ何を残すのか。
ソチで担当役員から言われた「グローバルにいる多くの社員の誇りなんだぞ」という言葉も、今振り返れば同じことを意味していたのだと思う。
Integrity
誠実であること。
ソチで私が学んだのは、信頼は一日では生まれないということだった。誠実な行動を積み重ねる。約束を守る。相手を尊重する。その積み重ねが、困難な状況を乗り越える力になる。
Harmony
共に創ること。
東京2020は、多くの課題を抱えた大会だった。
それでも、世界のスポーツを止めなかった。
スポンサー。競技団体。行政。ボランティア。アスリート。数え切れない人たちが、立場を超えて力を合わせた。私はその事実そのものに、日本らしさを感じている。
東京2020は、誰か一人の力で実現した大会ではなかった。無数の人たちが、それぞれの立場で支え続けた大会だった。
Legacy Mindset
未来へ価値を受け継ぐこと。
私は高野山で、その姿を見た気がした。東京2020も同じだと思う。大会そのものではなく、そこで生まれた経験。
学び。悔しさ。情熱。それらを次の世代へどうつないでいくのか。それこそが、本当のレガシーなのだと思う。
そして今、世界は大きな転換点を迎えている。
AIは急速に進化し、私たちの仕事や生活を変え始めている。
より速く。
より便利に。
より正確に。
多くの領域で、AIは人間を上回るだろう。
私自身も、中国でその変化を日々感じている。
しかし、私はオリンピックを通じて、一つのことを学んできた気がする。
AIは答えを出すことができる。しかし、
何を大切にするのか。
誰と未来を創るのか。
何を次の世代へ残すのか。
その問いに正解はない。
だから人は悩む。
だから人は対話する。
だから人は挑戦する。
私は、AI時代に必要なのは、より速い答えではなく、より良い問いだ。と思っている。
人は未来を信じることができる。
人は誰かを信頼することができる。
人は違いを超えて共に創ることができる。
そして、次の世代へ価値を託すことができる。
それは、テクノロジーではなく、人間が磨く力だ。
私は、日本の強みはAIに置き換わらないと思っている。むしろ逆だ。AI時代だからこそ、
長期視点で考えること。
誠実であること。
違いを超えて共創すること。
未来へ価値を受け継ぐこと。
日本が長い時間をかけて育んできた力が、これからますます重要になる。私はそう信じている。
Epilogue その続きを創るのは、これからの私たちだ
なぜ涙が込み上げてきたのか。
正直に言うと、今もよく分からない。40年の歴史が終わることが悲しかったのかもしれない。オリンピックに関わった時間や、そこで出会った人たちの顔が浮かんだからかもしれない。
ただ、一つだけ確かなことがある。
パリで私は見た。東京2020の情熱が、今も多くの人の中に生き続けていることを。
そして、東京2020は終わっていなかった。
私はそう信じている。
私一人では成し遂げられない。
しかし、東京2020を経験し、スポーツの力を信じる仲間たちとなら、きっとその日は来る。
もう一度、世界を迎えることができると信じている。
スポーツが大好きな次世代のために。
その続きを創るのは、これからの私たちだ。
