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【やさしいソーシャル・キャピタル】外国人旅行者との意思疎通を考える。

久しぶりにnoteに投稿いたします。
振り返れば、前回の投稿は2024年9月10日となっていました。ということは、もう6か月、実に半年も更新していなかったということになりますね。
改めて、皆様、ご無沙汰しておりました。

その間、ただダラダラとしていたわけではございません。私が研究テーマとしているソーシャル・キャピタルを諸々と考えていたり、ソーシャル・キャピタルに関する英語の文章を読んでいたりしていました。
また、日々の生活を続けるためには当然ですが仕事もしなければなりません。あまり楽しくはありませんが、それでも生活のためには仕方がございません。地味に仕事を続けておりました。

私は日ごろからソーシャル・キャピタルに関心を持って生活しております。仕事中であってもそれは変わりません。ソーシャル・キャピタルを考えている方が(今の)仕事をしているよりも幸せなのです。事あるごとに、人と人、人と集団、集団と集団との関係のあり方を考えているのが好きなのです。

私は北海道内の某所にて宿泊施設に勤務しております。
宿泊施設ですから、たくさんのお客様がご宿泊に来られます。私が勤務する宿泊施設では全体の8割強が国内のお客様であり、外国人旅行者、いわゆるインバウンド客と呼ばれるお客様は2割いるかいないかくらいの割合となっています。
さて、国内のお客様がお見えになられました。まずはチェックインとなります。国内のお客様は日本人ですから、お話する言語はもちろん日本語であり、対応するスタッフも日本人であって、日本語はネイティブです。日本語と日本語での会話ですからチェックインの手続きは円滑に進みます。
今度は外国人旅行者のお客様がお見えになりました。その方は中華人民共和国のパスポートを持っておりました。表紙に香港特別行政区と書かれていれば香港から来たことがわかりますが、その記載がないので中国本土の方、となります。香港の方ならば英語を話すこともできるでしょうが、そうではないのでその方の母国語は中国語であり、中国語でも地域によっては北京語もあれば広東語もあります。予約内容を確認すると上海市から来ているので、広東語または上海語でお話されるのでしょう。しかし、この時、あいにく中国語が話せるフロントスタッフが不在で、それでも英語が話せる日本人スタッフがおりました。かくして、そのスタッフはチェックイン時に伝えるべきことを英語で丁寧にお話しました。ところが、どうやらお客様には伝わっていないようでした。英語では通じないのか、それともスタッフの英語が上手過ぎるのか、はたまたその逆なのか、どうも通じていません。かといって日本語ではもっと通じません。それでも、中国人と日本人が、互いに母国語ではない英語を使ってどうにか話をしようとしていたのです。共通に理解できる言語がない状態で、それでも人と人とが意思疎通を図ろうとしていました。人と人が意思を伝えあうということは実はたいへん難しいものなのです。
どうしたものかと悩んでいたところで、お客様が「トランスレェータァー?」とおっしゃってスマートフォンの翻訳アプリを起動してくださいました。こうして、チェックイン時にすべき説明は翻訳アプリを介して行うことができました。

ソーシャル・キャピタルには構造的(structural)、認知的(cognitive)、関係的(relational)という3つの分類があり、その中の認知的ソーシャル・キャピタルには「共通の言語(shared language)」という要素もあります。この「共通の言語」というのは単に日本語、英語、中国語といった言語だけではなく、他者や他の集団の間での共通の言葉、例えば業界用語や企業内の隠語なども含まれます。こうした共通の言語を使うことによって社会での関係が強くなり、逆に共通の言語を持たない他の社会との間に排他的な関係を作ることにもなります。

さて、ついでにもう一つ。
日本では外国人旅行者を「インバウンド」と呼んでおりますが、私には「インバウンド」という呼び方に強い抵抗感があります。私にとって「インバウント」というのは「内向き」とか「(往復の)復路」とか「(列車の)上り線」という意味合いが強く、それを「外国人旅行者」や「外国人観光客」と考えるのは随分とぶっ飛んだ日本語訳だな、と思えてしまうのです。そのため、私は「インバウンド」とは言わず、あくまでも「外国人旅行者」と言います。
まあ、正直に言うと、旅行者に「外国人」も「日本人」もありません。旅行者は旅行者で良いと思うのですがね。そもそも、「外国人旅行者」と言った瞬間に「外国人」と「日本人」を区分けしているわけで、それはどこかで差別に繋がると考えています。差別の対象が「外国人旅行者」になるのか「日本人(=内国人?)旅行者」になるのかはその場面によって異なるでしょうが、かつては「外国人旅行者」を未知のものとして考えていたのが、今はその「外国人旅行者」を、おそらく旅行中の消費金額が多いために重視しがちになり、カタカナ語で「インバウンド」と呼んで大切に扱っているように思っております。そうなると、相対的に「日本人旅行者」の立場が低くなることはないでしょうか。
同じ「旅行者」なのだからどちらの「旅行者」にも同じく対応したいものです。そのためにも「共通の言語」が果たす役割は大きなものがあるでしょう。あるいは、その他の方法やツール、例えば前出の翻訳アプリ、ピクトグラム、さらには絵などであっても、お互いに気持ちが通じ、心が理解し合えるために必要なものがあれば、それがソーシャル・キャピタルの要素となって、円滑なコミュニケーションと意思の疎通が可能になります。

このように、身近なところでのエピソードからソーシャル・キャピタルを考えることができるのだな、と改めて思ったのでありました。

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