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「辞める」と決めたはずなのに、また今日も定期券を使ってしまった。50代・崖っぷちの停滞を正直に書く

前回、「会社にしがみつかない」と啖呵を切るように書いた。

我ながら、いい啖呵(たんか)だったと思う。

でも今日も、いつも通り定期券をタッチして改札を抜けた。

決意したはずのことが、翌朝には「とはいえ、今月も家賃と保険料が引き落とされる」という現実に飲み込まれていく。

50代というのは、逃げ場のない年代だと思う。

定年まで指折り数えれば、あと十数年。役職定年で給料が下がる同期を横目に見ながら、自分の契約更新の通知にビクつく。健康診断の結果表には、去年より一つ増えた「要経過観察」の文字。子どもの学費が一番かかる時期と、自分の体力の下降線がちょうど交差する、この時期。

「あと何年、今のペースで走れるだろう」

そう考えた瞬間に、足がすくむ。

正直に言う。あの決意の記事を書いた日から、まだ何一つ大きくは変わっていない。

契約はまだ同じ。収入源もまだ会社だけ。個人事業への準備も、疲れて帰った夜には後回しになる日がある。

「決意した」ことと「実行できている」ことの間には、想像以上に大きな溝がある。20代や30代なら、勢いだけでその溝を飛び越えられたかもしれない。でも50代の体と時間は、もうそんなに軽くない。

その溝の正体を、少し考えてみた。

1. 「いきなり全部変える」体力は、もう自分にはない

決意した勢いのまま、来月には独立できるような気になっていた。でも実際には、朝起きて出社するだけで一日の体力の半分を使うような日もある。会社員を続けながら水面下で準備する「地味な二足のわらじ」に、正直まだ心と体力がついていっていない。

2. 「家族を養う責任」が、動くことへの一番のブレーキになっている

独身の20代なら、失敗しても自分だけの問題で済む。でも50代には、養う家族がいる。この「守るものがある」という事実が、勇気を鈍らせる一番の要因だと気づいた。

3. それでも、小さく積み上げているものはある

noteを書き始めたこと。Xで発信を始めたこと。派手な成果はまだない。でも、健康診断の数値のように「悪化」ではなく、確実に「前進」している数字がここにはある。

停滞を隠して「順調です」と書く方が、格好はつくのかもしれない。

でも、このnoteは「生存実験室」だ。守るものを抱えながら、それでも足掻いている50代のリアルな記録として書き続けたい。

同じように、「守るものがあるから動けない」というジレンマを抱えている人はいませんか?

あと何年で定年か、逆算したことはありますか?そのとき、何を感じましたか?よければ教えてください。僕も、まだ答えを探している途中です。

この「生存実験室」では、成功だけでなく停滞も含めてすべて正直に記録していきます。
よければフォローして、この続きを一緒に見ていてもらえたら嬉しいです。

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