見出し画像

【教科書に載っていない世界一周】〜4-4インドで修行🧘‍♂️してきました

(この記事はこれまで110ヶ国を訪問した筆者が、2001年から1年かけて行った世界一周🌏を現在の目線であらためて振り返ったものです)

🚆インドでは乗ってはいけないファーストクラス

世界でいちばん鉄道が“国民の足”としてフル稼働している国――それがインド。レールが国内を縦横無尽に走り、列車はどれもほぼ満員。インドに入国して1週間。いつしかぼくも乗りこなせるようになり、インド式の階級社会のような三つのクラス―セカンド、ファースト、エアコン―これら全部を試すことができた。

セカンドクラスは、だいたい想像通り。バラナシへ向かう途中で乗ってみたが、座席は木のベンチ。三人がけのはずが、インドの人たちは小柄で細身なので五人くらいで肩を寄せ合う。もちろんぼくもその中の1人。昼でも薄暗い車内に鉄格子の窓。もし火事になったら逃げ場のない“監獄列車”だ。しばらく座っているだけで、お尻が痛くなる。でも現地の人は当たり前の顔でぺちゃくちゃおしゃべりし、笑っている。6時間後、目的地に着いたころには、お尻に青あざができているかと思った。

エアコンクラスは、逆にちょっと感動した。ニューデリーからの幹線鉄道で、いわば“インドの新幹線”。ややくたびれた30年前の車両という風情で揺れも多いが、ひとりひとり座席が独立していて、落ち着いて本も読めるのが感動した。インドで“読書しながら移動できる贅沢”を味わえるとは思わなかった。

だが、もっとも期待を裏切ってくれたのがファーストクラスだった。乗ったのはラジャスタンの観光地ジェイサルメール発の寝台列車。「一等」「寝台」という二文字に胸を膨らませてホームへ向かったぼくを、にこやかに車掌さんが出迎えた。
「今夜のファーストクラスの乗客、ミスター・タカバタケですね?」
なんとファーストクラス以上は出欠点呼があるらしい。さすがはファーストクラス。

だが、聞くとその夜の一等寝台はぼくひとりだけ。広い車両にただ一人・・・微妙な気分だ。案の定、コンパートメントを覗いた瞬間、それまでの期待が消え失せた。そこにあったのは、使われたことがあるのか疑わしいほど錆びついた部屋埃をかぶった薄暗い部屋に、ビニール張りの二段ベッド。ベッドは砂埃で覆われていた。
「あの・・・、シーツや毛布は?」
「ございません。それはお客さまが持参するものでございます」
・・・もちろん、持っていない。

なかに入り、しばらく茫然自失のひとときが続いたあと、気を取り直して部屋の掃除から始めた。ファーストクラスの乗客がまずやるべきことが“掃除”とは。蛍光灯は壊れており、部屋には豆電球が一つ灯るのみ。蚊がブンブン飛んでいて、蚊取り線香まで焚く羽目に。もはや「ファーストクラス」という概念が何なのか自分でもわからなくなってきた。あとで知ったことだが、かつてファーストクラスに乗車していた富裕層は、その後導入されたエアコンクラスへほぼシフト。セカンドクラスの乗客がシフトしてくることもなく、ファーストクラスはほとんど誰も利用者がいない状況が続いていたようだ。僕の乗った車両も久しぶりの乗客だった模様・・・。

車掌さんは最後に"意味深な忠告"を残していった。
「この車両の乗客はあなた一人。終点までの6時間、誰が来ても絶対に扉を開けてはいけません。私以外の誰に対しても、です」
まるでホラー映画のワンシーンだ。後でわかったのだが、インドの列車は速度が落ちた時に、線路脇から勝手に乗り降りできるらしい。そのせいで強盗も珍しくないのだとか。

薄暗い個室で、ぼくは忠告どおり鍵を二重にかけ、トイレにも行かず、ひたすら寒さに震えながら6時間を耐えた。砂漠の夜は信じられないほど冷える。出発時には蒸し風呂のようだった車内が、あっという間に“冷蔵庫”と化していた。

翌朝、終点でようやく車内から解放された。無事一晩を乗り切ることができた。あの一夜で、ぼくの“First”の定義は変わり、言葉を額面通り受け取ってはならない、と自らを戒めるようになった。インドではファーストクラスの列車に乗ると後悔する。。。

(インドの列車)

🌧大雨で屋根のありがたさが実感できた

雨が降ると、インドは一気に“別の惑星”になる。空がいきなり滝のような雨をぶちまけてくるのだ。水は川になり、川は濁流になり、あっという間に道路が“足首サイズの洪水”と化す。

中西部の町プネ。連日の長距離移動で疲れ切っていたぼくは、迂闊にもバスに乗りながら、うとうとした状態で終点に到着してしまった。今のようにGoogle Mapなどない時代。通常なら周りの景色を手元の地図に照らし合わせて現在地を確認するのだが、そうする間もなくバスは終点。そして外は容赦のない豪雨だった。乗客たちは蜘蛛の子を散らすようにあっという間にいなくなる。取り残された。自分のいる場所がどこだかわからない。
「バスは車庫に向かうから、ここで降りろ!」
と、雨具を出す暇もなくバスから放り出された。周囲に屋根も建物も全くない場所。1分後には下着に至るまで全身びしょ濡れになった。

雨に濡れながら町を求めてさまよった。タクシーも走っていない。雨宿りできる場所なんて夢物語。道という道は、水と泥とごみと排水で溢れている状態。そばにある公衆トイレと同じ水に浸かっっていることにおののきながらも、濁流のなかを足首まで浸かりながら町の中心部目指して、ひたすら歩いた。

滝の中を30分。ようやく宿泊できそうなホテルを見つけたものの、停電で中は真っ暗。お湯も出ない。部屋が空いていたのでチェックインさせてもらうと、フロントのお兄さんは当たり前のようにロウソクを一本くれた。部屋で火をつけるとほのかな灯りに照らされた。

荷物を開けると、リュックカバーの存在むなしく、半分が水没していた。とりあえず身体を洗おうと、水のシャワーを浴びた。暗い。寒い。
だけど、渡された“まっ白で清潔なタオル”が、じんわり温かく心に沁みた

ぼんやり灯るロウソクの光の中、乾いた服に着替えながら思った。屋根があって、乾いた布があって、雨から逃げられる。それだけで、人はどれほど救われるのだろう。

“世界が100人の村だったら”によると、世界の四分の一の人が雨露をしのげる家を持てていないという。

外の雨は、いつまでもやむ気配がない。ぼくは、雨のなか「屋根のある宿に泊まれる」というただそれだけのことが、どれほど贅沢かを心に沁みるほど思い知らされた。日本にいてはわからないだろう。

🧘‍♂️宗教大国で“心の修行”に挑んだ三日間

インドほど宗教が入り混じる国はない。ヒンドゥー、イスラム、仏教、ジャイナ、シーク、あらゆる宗教が同居している。その中に点在するのが「アシュラム」。宗派にこだわらない“修行コミュニティ”で、数百〜数千人が共同生活を送る。途中で知り合ったフランス人旅行者に勧められ、プネの近郊にあった一つのアシュラムに潜入してみることにした。

敷地に入って驚いた。そこは緑あふれる庭園と滝に囲まれ、菜園や井戸まで揃う“もう一つの国”だった。スタッフは欧米人が中心。短期参加者も多いらしい。レセプションで聞くと、活動は瞑想・ヨガ・マッサージ・カラーセラピーなど盛りだくさん。撮影は禁止。それで一日わずか400円。即座に登録手続きをお願いした。

ところが思わぬ試練が。「AIDS検査が必要です」。
インドでは感染者が多く、共同生活では必須らしい。検査費500円を払い血を抜かれ、結果待ちの30分。「もし陽性だったら…」と人生の棚卸しもしてみた。結果は「陰性」。スタッフの “Welcome to AIDS-Free zone!” の笑顔に、命が戻った気さえした。

続いて制服を購入。男女問わず入会者全員がエンジ色の長袖ワンピースを着る決まりで、生まれて初めてのワンピースに足元が妙に落ち着かない。でも全員同じ格好で歩く光景は、人間ドックのようでもあり、どこか怪しげで面白かった

グル(指導者)のビデオ鑑賞会は参加自由。洗脳ビデオなのでは、と不安に思い、恐る恐るのぞいてみたが、そんな怪しいものではなかった。また、講堂にふらっと入ってみると、数百人の参加者が全員白いローブをまとい座禅を組んでいる。暗闇のなか、肌の色も目の色もバラバラな人々が静かに同じ方向を向いている光景は、不気味というより神秘的で、ちょっと圧巻だった。

参加者は欧米人が最も多く、次いでインド人・東洋系。初日は日本人はぼくだけだったが、意外にも国別の登録人数は日本人が最多だという。世界中が“癒し”を求めているのかもしれない。

ぼくの参加したセッションでは「各国で育ちの中に植え付けられる価値観」について英語で議論した。アメリカ人やイタリア人は社交的になるのが当たり前の環境で育ち、イギリスや北欧では“知らない人に話しかけない”教育が一般的らしい。さらに、インド人と日本人には“目上へ者への礼”など意外な共通点が多いことも分かり、アジア文化の近さを感じた。

たった3日間だったが、アシュラムでの生活は濃い体験だった。
無宗教に近いぼくでも、「宗教とは本来、人が生きるための拠り所なのだ」と自然に感じられた。世界中で信仰が必要とされる理由が、ようやく腑に落ちた気がした。

(トップ写真はインド西部の城塞都市ジェイサルメール)


いいなと思ったら応援しよう!