【教科書に載っていない世界一周】〜2-13三度目の試練を乗り越えようやくネパール国境へ!
(写真はネパール国境手前のつづらおりの道にて。車酔いで吐き気を催す現地ガイドをバックに中央が筆者)
🏔突然終わりを告げるチベット高原
なんとか危機を脱け出した僕達は、ネパール国境までの最後の”ドライブ”を楽しんだ。「酸欠」「寒さ」「車酔い」の3つと闘った過酷なドライブもこれが最後。
チベット高原の南端(標高3800mのニュラム)から、国境の町”ダム”にかけて急な下り坂が続く。たった30kmで1500mも標高を下った。植物のかけらもなかった荒れた褐色のチベット高原が、次第に草が生え、低木が生え出し、ついには杉や松などの林となる。
生き物もほとんどいなかった高原は、蝉の鳴き声まで聞こえてくる。カラカラに乾いていた空気は、いつしかうっすらとした霞があたりを覆いはじめ、滝や川が流れ、雲まで現れ始めた。
何よりも変化を感じたのは、チベット入境以来、乾燥で老人のようにシワシワでカサカサだった僕の肌が、たった1時間のドライブでみるみる潤いが戻ってきたことだった。そしてこれが“荒涼としたチベット”を領土とする中国と、“亜熱帯の南アジア”であるインド文化圏の境であることを実感した。

🚚チベット第三の試練は国境越え
ネパール国境の町ダムは崖のような斜面に張り付いた町だった。チャーターしたランドクルーザーは法律上国境を越えられないので、ドライバーとガイドとはここでお別れとなる。いろいろあったが、最後は笑顔で別れを告げた。
この町は不思議な町だった。一応中国領ではあるが、肌の浅黒いアーリア系(インド人など)の人々が多く、これまでのチベットとは全く異なる町。ある日中国人がやってきて、突然町を建設したかのように思えるような、自然とは不調和な町だった。時々見かける漢民族がとても場違いな感じがした。
ようやくあの厳しいチベットを抜けた!と思ったら、実はここからが最後の試練だった。第一の試練が(チベット高原への入口)ゴルムドからラサまでの「高山病」との闘い、第二の試練がラサからエベレストまでの「寒さ」との闘いだとすれば、第三の試練は中国国境の町ダムからネパール国境の町”コダリ”まで10km続く「悪路」との闘いだ。
この区間も公共交通機関はなく、商人たちのトラックが数台走っている程度。旅行者は運転手と直接交渉してお金を払い、トラックに乗せてもらうしかない。僕らもトラックを見つけ、ドライバーの言い値を渡して荷台に乗り込んだ。既に何人か現地の買い出し客が、満載された荷物と一緒に乗り込んでいた。
いよいよトラックは動き出した。大雨が降った後のようで、急な山の斜面をぬうようにして続く小道は、あちこちが濁流で流され、土砂崩れで道が狭まっている。
舗装された箇所など一切なく、わだちの深さが50cmもあり、そのデコボコ具合は道と呼ぶのをためらうくらい。どんな遊園地にもこれほどの激しく揺れるマシンはない、と思うほど揺れた。
数秒おきに津波がやってくるような揺れで、ひどいときは1mくらい体が跳ね上がる。”跳んだり、跳ねたり”とはまさにこのことで、5秒と同じ場所に腰を下ろしていることは不可能だった。しかも乗り込んだら最後、ネパール国境までの30分以上ノンストップで、あちこちに体をぶつけながら苦痛の時間だった。
♨️温泉でヒマラヤ越えの汗を流す
そんなこんなのやっとの思いで、ネパール側国境の町コダリに到着。国境地帯は土砂崩れで半壊しており、かろうじて入国管理の建物くらいが残されていた。想像した国境のイメージとは別世界だった。
入国審査を済まし、余った人民元をネパール・ルピーに両替。そこから山道を4km歩いて下った。荷物を背負いながら皆で、この数日間の苦難を語り合いながら行くと、そこにはネパールの温泉町(タトパニ)があった。

僻地だけど、質素でこぎれいな宿を見つけてチェックイン。さっそく近くの公共温泉(!)へ行き、埃まみれで真っ黒になった体を流した。ちょうどよい湯加減で、まさに生き返る思いだった。
思えば寒さに肩を震わせながら宿を出て、公安に捕まって足が震え、トラックに乗って全身が震えた長い長い一日が終わった。

中国編はここで終わり、次回からは南アジアに入ります。試練の多いインドに入る前の桃源郷、ネパール編です。
国境越えツアー(ジープ5日間)を企画しヒマラヤ山脈へ
10/16 23シガツェ
10/17 24ラツェ、25オールドティンリー
10/18 26エベレスト・ベースキャンプ、27ニューティンリー
10/19 28ニュラム、29ダム
同日ネパール国境到着 30タトパニ
