🇯🇵出発編0-2|世界一周を決めた3つの出来事と出発【教科書に載っていない世界一周】
なぜ安定した会社を辞めてまで、世界一周に出ようと思ったのか。
振り返ってみると、それは10年以上かけ少しずつ形になった決断だった。いくつかの出来事が重なり、気がつけば「世界を自分の目で見なければならない」と思うようになっていた。
(この記事はこれまで110ヶ国を訪問した筆者が、そのなかで最も刺激的だった2001年からの13ヶ月にわたる世界一周🌏を、現在の目線で振り返ったものです)
🇳🇬西アフリカで見た「世界の現実」
大学時代、ぼくはある国際交流サークルに入っていた。試験に合格すると海外の企業でアルバイトができるという少し変わったサークルだった。
希望していたドイツの求人はなかったが、唯一空いていたのが西アフリカのナイジェリアだった。ほとんど聞いたことのない国だったが、オファーが来たので、何かの縁だと思い行くことにした。
しかし、そこで待っていたのは想像とはまったく違う現実だった。
治安は悪く、警官の恐喝が横行していた。私のお金も奪われた。夜は身を守るため、ナイフを握りしめて寝たこともある。仕事は毎日の停電でほとんどなく、もらえた給料も出国するために都度要求された賄賂で全て消えた。連絡の行き違いで受け入れ体制もほとんど機能しておらず、栄養失調で倒れそうになったこともあった。
何度も「なぜこんな国へ来てしまったのだろう」と後悔した。だが、2ヶ月半後、仕事を終え、苦労してその国を出国できたとき、ある感覚があった。
「これで、大抵のところへ行っても生きていけるかもしれない」
それが、外国で生きることへの最初の自信だった。
✈ 最初の海外旅行が開いた世界
もっとも、海外に興味を持ったきっかけはそれより少し前にさかのぼる。
大学二年の夏休み、高校時代の友人から電話がかかってきた。
「一回くらい海外へ行ってみーへん?」
当時の私は海外旅行にほとんど興味がなかった。危なそうだし、お金もかかる。それでも
「一生に一度くらい外国を見ておいたほうがいい」
と押し切られ、タイへ行くことになった。
そこで初めて泊まったドミトリー。世界中から旅人が集まってくる場所だった。昨日までインドにいたという青年は
「インドでは毎朝、"今日もまだ生きてる” と実感できる」
と語っていた。
別の旅人は
「ヨーロッパはユースホステルが多く、意外に安く旅ができるよ」
と教えてくれた。
世界には、自分の知らない場所がいくらでもある。そしてそこへ実際に行っている人がたくさんいた。
私は冒険好きな性格ではなかったが、こう思うようになった。
「もう少しだけ、自分も見てみたい」
この“最初で最後の海外旅行”のつもりだった旅が、人生の方向を変えた。半年後にはヨーロッパへ一人旅に出発し、大学を卒業するまでに20ヶ国を訪れることになった。
💼 世界を理解するため金融の世界へ
その後、私の関心は「旅」から「世界の仕組み」へと広がっていった。
大学生の頃、湾岸戦争が起きた。日本政府が右往左往している様子を見て、国際社会の中で日本がどう行動すべきなのかを考えるようになった。
外交の世界に関心を持つようになった私は、まず世界を動かしているものを理解したいと思った。それは政治だけではない。お金の流れ、つまり金融だ。
そこで就職先に選んだのが野村證券だった。
幸運にも、営業、ディーラー、商品開発、アナリストなどさまざまな仕事を経験することができた。株式だけでなく為替や外国債券など、国境を越える取引にも関わった。
学生時代とは違う視点で、世界を見ることができるようになった。
しかし同時に、あることにも気づいた。
ネクタイを締めていると、見えない世界がある。
出張ではローカルバスに乗ることも、屋台で食事をすることも難しい。会う相手もビジネス関係者ばかりで、本音を聞く機会は少ない。
「本当の世界を見るには、会社を離れて旅をする必要があるのではないか」
そう思うようになった。
⚖ 夢の仕事か世界一周か
退職を決めたころ、思いがけない話が舞い込んだ。
世界的な格付機関がアナリストを探しているというのだ。面接を受けてみると、なんと採用の通知が届いた。
入社以来憧れていた仕事だった。社会的な評価も高く、給料もものすごくよい。そこで悩んだ。
このまま社会的にも経済的にも安定した道を進むべきか。それとも、収入の保証の全くない旅人の人生を選ぶべきか。
考え続けた末、こう自分に問いかけた。
若い今しかできないことは、どちらだろうか。
柔軟な感受性も体力もあるこの時期にやるべきことは何か。
ぼくは世界を自分の目で見ることを選んだ。
🛤 出発は富山の片田舎から、さようなら日本!
2001年8月23日、東京の生活を引き払って帰省していた富山から旅立った。
前日までの台風がすっかり過ぎ去り、空は快晴。
「がんばれよ!」と応援してくるような空だった。
実家のJR北陸本線 石動(いするぎ)駅を発ち、特急サンダーバードに乗り込んだ。通り過ぎた琵琶湖はキラキラと輝き、
「こんな日本のきれいな景色も、当分見られないんだ…」
としみじみ感じる。
大阪に到着。山陽新幹線に乗り福岡へ。歯磨き粉やフィルムなど日本最後の生活雑貨を買い込む。友人にも見送ってもらいカプセルホテルで日本最後の夜を過ごす。翌朝福岡港へ。から釜山行きフェリーに乗船。日本を出国した。
🌊 いよいよユーラシア大陸へ!
計画はこうだ:
日本 → 韓国 → 中国一周 → チベットからヒマラヤ越え → インド一周 → 中東横断 → アフリカ南北縦断 → 北米 → 南米一周 → 南極 → ヨーロッパ一周 → ユーラシア大陸横断 → 日本
一年かけて綿密に計画したルートだ。
フェリーは青い海、玄界灘を走っていく。遠くに対馬(つしま)が見えて、さらにその先には、うっすらと朝鮮半島の影が浮かんでくる。ユーラシア大陸の東の端だ。
福岡からフェリーでたったの3時間。でもその先はまるで「別の国」だった。そして、そこに待っていたのは、予想外の「孤独」だった。

