🇧🇭バハレーン編5-3| 温泉のようなペルシャ湾の海水浴【教科書に載っていない世界一周】
(この記事はこれまで110ヶ国を訪問した筆者が、2001年からの13ヶ月にわたる世界一周🌏を、現在の目線で振り返ったものです)
🔥 気温50度、海は温泉――バハレーンの夏
ペルシャ湾は石油で汚れた海――そんなイメージを持つ人も多いかもしれないが、実際に目にした海は、うっとりするほど美しい海だった。明るいスカイブルーのような海が水平線まで続いている。
かつてこの国では、石油が発見される前、真珠採取が国家の基幹産業だった。日本のミキモトが養殖真珠に成功するまで、世界の高級真珠市場を支えていたのが、ここペルシャ湾沿岸だったことを思えば、この海の美しさは納得できるだろう。
バハレーンの「夏」は、日本とはまるで別物だ。この国では、12月〜4月を除いた期間はすべて夏と言って差し支えない。ピーク時の気温は50度近くに達する。
日差しは鋭く、日中に車のボンネットをうっかり触れば、文字通り火傷する。「車の上で目玉焼きが焼ける」と耳にしたていたが、冗談と思えなかった。
屋内に入っても油断はできない。蛇口をひねれば、冷水も温水も、どちらも“お湯”が出てくる。外気温そのものが給水管を温めてしまうのだ。
そんななかでこの国に赴任した当時、最初の週末(7月)に向かったのがペルシャ湾のビーチだった。
見た目は日本のビーチとさほど変わらない。でも砂浜は、太陽に焼き尽くされていて、裸足では一歩も歩けない熱さ。サンダルが無いと火傷してしまう状態だった。
せっかくなので、海に入ってみた。当然、海は海水までしっかり温められている。水温はまるで日本の温泉だった。暑い、というより「熱い」。
暑いので「海だ!」と、海水浴へ来たのに
「なぜ僕は、この酷暑の中で、わざわざ"温水プールのような海"に浸かっているのだろうか・・・?」
と、我ながら不思議の思った。30分が限界。確かにビーチに来ていたのは相当に物好きな外国人だけだった。
夜になると、多少暑さは和らぐが別の現象が起きる。島国であるバハレーンは、周囲を海に囲まれているため湿度が異様に高いのだ。
夏の夜、車を運転すると、クーラーの効いた車内と外気との温度差で、フロントガラスの"外側"が結露する。雨は降っていないのに、水滴で前が見えなくなるのだ。その結果、どの車も晴れているのにワイパーを動かしながら走ることになる。
砂浜と海、そしてワイパー。日本ではまず体験できない、不思議な夏だった。

👑 最も豊かなのは王室だった
ビーチでは、湾岸諸国の王室の桁外れの豊かさを象徴する、忘れがたいエピソードがある。
数年前に国王が交代し、現在は廃止されてしまったが、当時は
「シェイクス・ビーチ(王様のビーチ)」
と呼ばれていた、国王のプライベートビーチがあった。
驚くべきことに、ここは我々外国人であれば無料で出入りできるビーチだった。空の色をそのまま映したような、透き通るペルシャ湾で、何の制限もなく海水浴ができた。
さらに驚かされるのは、ビーチの“砂”。ビーチに敷き詰められた膨大な量の白い砂は、イタリアから直輸入されたものだった。
そして場内で提供される飲み物は、すべて無料。もはや「公共施設」というより、王族の庭園にたまたま入れてもらっている感覚に近い。
そして、時折そこに国王が滞在していることもあり、その時にビーチにいると声がかかり、お茶に招かれることがあるらしい。同僚の日本人の中には、実際に招かれて、国王とお茶を楽しんだ人も何人もいた。
そしてお茶の後には、必ずお土産が出る。聞けば、一本10万円はする高級腕時計が定番なのだとか。
時計目当てでぼくも何度かビーチをうろうろしてみたが、さすがに声はかからなかった。王さまも人を選んでいるようだ。。。
👫王室だけが豊かなわけではない
もっとも、豊かなのは王室だけではない。(ペルシャ)湾岸諸国では、石油による富が国民全体に広く分配される仕組みが整っている。
所得税や住民税などの税金がなく、電気・ガス・水道も政府が負担。住宅も政府が準備してくれる。電話料金も無料だった。仕事に就けない国民がいれば、公務員という形で政府が雇ってくれ、国民のほとんどはそこそこの手取りがもらえる仕組みが整っていた。
実際、二十歳そこそこの若者のほとんどが、立派な日本車(当時最も人気だったのはトヨタの"マークII")を所有している。高額であるにもかかわらず、湾岸では(クウェートを除き)日本車が最も人気。それがこの地域では、ごく普通の大衆車なのだ。
家電も、日本で見かけるものは一通りそろっており、生活の質という点では「発展途上国」という言葉はまったく当てはまらない。

💵石油の国から、金融の国へ
今でこそ中東といえば石油の代名詞だが、
ペルシャ湾で最初に石油が発見された国が、実はこのバハレーンだった。
しかし、埋蔵量は決して多くなかった。やがて石油生産の主役は、サウジアラビアやクウェートへと移っていく。そこでバハレーンが選んだ道は、「石油そのもの」ではなく、「オイルマネーを扱う国」になることだった。
金融、保険、投資。中東でいち早く制度を整え、世界の金融機関を受け入れ、この小さな島国は湾岸の金融センターへと姿を変えていった。
資源が尽きる前に、次の"飯の種"を用意する。それが、バハレーンという国の現実的な生存戦略だった。
▶️次回はバハレーンという国の本質について
(トップ写真は赴任時によく訪れたマナマのホテルのビーチサイド)
