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【教科書に載っていない世界一周】〜2-7天空の世界チベット

🏔️ チベット仏教での最大の御利益はお金?

ラサではチベット仏教の山寺をまわり、ラサ河の清流を散策したり、王宮(ポタラ宮)を見学したりした。

なかでもラサからバスで4時間くらい郊外にあるガンデン寺は、標高4200mの高台。ふだん体験できないような高地から、チベットの壮大で荒涼たる大地を見渡すことができたのは、かなりの興奮だった。

チベットの名刹(めいさつ)ガンデン寺[中央]


ラサ
では、チベット仏教の世界が日常だった。
道を歩けば、すれ違う人の4人に1人は赤い袈裟(けさ)を身につけた巡礼者
彼らは五体投地(ごたいとうち)と呼ばれる礼拝の姿勢で、手と膝を大地につけ、全身を投げ出すように進む。
その動作を繰り返すから、10m進むのに1分以上かかる。
日本人の感覚では想像しがたいほどの(あつ)い信仰心に気が遠くなる。

だが、一方でがっかりしたこともある。
巡礼者の姿に身を借りた物乞いがあまりに多かった。
子供の物乞いも「お金、お金」と手を差し出してくる。
寺に入れば、そこでも「お金」。入場料撮影料。どれも部屋毎に課金される。

一方、仏像には紙幣がベタベタ貼られ、現地の信者たちは仏さまに向かってお札を次々と投げ入れていく
ここではお金こそが御利益(ごりやく)に直結すると信じられているようだ。
精神的な信仰を重んじる日本の仏教とあまりに違う姿に、正直少し幻滅した。


🦅 人の死体をハゲタカに食わせる儀式 ― 鳥葬


チベットには「鳥葬」という葬儀がある。
遺体を焼くのでも埋めるのでもなく、ハゲタカに食べさせる儀式だ。

ラサの旅行者の間では、この“鳥葬”見学の話題で持ちきりだった。
この儀式は直接自分の目で見ることができるらしく、ほとんどの旅人が”見学”に行っていた。
「他人の葬儀を、身内でもない者が見るなんてモラルに反する」
と思った僕は気が進まず、旅仲間を見送ってホテルで留守番。
だが数時間後、戻ってきた彼らが語った光景は衝撃的だった。それは。。。

現場では、前日に亡くなった少女の遺体が運ばれると、前掛けをつけた数人の大人が周りをとりかこみ、解体作業を始めていた。
裸にされた少女の皮膚は鉄のカギ爪で剥(は)がされていった。
まるで人形を解体するかのように、手際よく、皮と肉と骨が分けられていった。

全ての部分をハゲワシに食べてもらうことが大切であるため、
肋骨や頭蓋骨をハンマーで砕く。血しぶきを上げながら。
数メートル離れていても、時々血のついた肉片がグチャッと飛んできたらしい(帰ってきた彼らの服には、血痕がついていた)。

その間、血の匂いを嗅ぎつけたハゲワシが何匹も空に集まり、旋回を始める。時折、フライング(おてつき)するハゲワシも現れ始める。ご馳走を目の前に待てない彼ら。
いつしか少女の遺体は骨と肉と皮の塊に分けられ、解体を終えた人々が下がった瞬間、ハゲワシは一斉に舞い降り、死肉をついばみ始めた。
もはやそこにあるのは“死体”ではなく、物質となったハゲワシの餌だった。

親族の気持ちを考え、他人が安易な気持ちで見に行くべきでないと思い、見学を控えたが、それは僕の思い上がりだったようだ。
親族の人たちはみな冷静。
他人に見られることに抵抗は全くなかったらしい。

チベット人の価値観では、死を迎えた肉体はもはや人間ではなく、物質に過ぎないらしい。
自然から授かったものを自然に帰す、これがチベット仏教の考えという。
死んでしまえば親族も他人も関係ない。

死に対する感覚と価値観はどこの国へ行ってもさほど変わらないだろうと思っていた僕は、この話を聞き、死に対する考えのギャップに目から鱗(うろこ)をはがされた思いだった。(この思いは3ヶ月後に訪れたルワンダで更に強まることとなる。)


👧 子供まで逮捕する中国政府

ラサ観光では政府公認のガイドがついた。その女性はどう見ても中学生にしか見えなかったが、実際は18歳彼女が語ったその半生も衝撃的だった。

多くのチベット人同様、彼女は物心ついたときには、チベット仏教の指導者ダライ・ラマに憧れていた
だが、彼女のすごいところは、実際にインドまで会いに行ったことだ。
(ダライ・ラマは中国の共産主義革命以降、政府の迫害を受け亡命。インド北部に住んでおり、チベット独立運動の象徴とされている。)
そしてそのままインドの親戚のもとで数年を過ごした

しばらくして帰国し、両親のいるラサの実家に戻ると、公安(中国の警察)が押しかけてきた。すぐ警察へ連行され、

インドで何をしてきた?何を見てきたんだ!?

と尋問が始まり、そのまま反政府活動の疑いで6ヶ月間留置所に拘留。
両親との面会も許されず、毎晩淋しくて泣いていたらしい。
その後、無実が明らかになり解放された彼女は、インドで学んだ英語を生かし、政府系旅行社のガイドで生計を立てている。どう見ても反体制家などには見えない彼女の、子供っぽい顔つきからは信じられないような話だった。

上段右がガイドさん[下段左が筆者]

驚きの身の上話だったが、これはチベットで起こっていることのほんの一例にすぎないそうだ。
中国で政治犯として投獄されている人の数は世界一ともいわれ、チベット人の漢民族への反発は強かった。言葉も中国語ではなくチベット語が使われており、郊外やチベット人の多い地域では、中国語を話すと嫌な目つきをされたり、無視されたりすることがあった。
また、ここでは亡命経験者が多いため、中国語よりも英語の方が通じる

一般にChineseというと中国国内に住む全ての人々を想像しがちだが、チベット人は漢民族のことをChineseと呼んでおり、このチベット自治区は中国の中では別世界だった。
風景や人などを見ても、我々日本人のイメージする中国という印象からは、かけ離れており、同じ国に含まれているのが不思議に思えた。

これらは20年前の話だったが、その後状況は改善したのだろうか。今後、中国政府の強い統治力が弱まることがあれば、チベットもウイグル人自治区などとともに、別の道を目指すようになるのかもしれないと感じた。

▶️次回予告

次回は中国という国と中国人についての解説をさせていただきます。

その後は、陸路でインドを目指した筆者がラサを後にし、チベット入境時以上の苦難と苦痛の末にエベレストベースキャンプに到達。国境を越え、ネパールへ下った話が続きます。(陸路でインド南端まで達した後は中東を経てアフリカを縦断します。)お楽しみに。

(トップ写真はラサの王宮ポタラ宮)

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