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【各国の本質⑤🇧🇭バーレーン】なぜこの小さな国は、今も存続できているのか?

ペルシャ湾の地図を見ると、バハレーンという国は点のようにしか見えない。人口は約160万人面積はシンガポールとほぼ同じ。石油もさほど多くなく、国内には宗派対立という不安定要因もある。

それにもかかわらず、この小さな島国は長い間、一つの国として存続してきた。なぜなのだろうか?

バーレインと書かれているが、現地ではバハレーン、日本ではバーレーンと呼ばれる

💎 真珠が生んだ湾岸の中心地

石油が発見される前、(ペルシャ)湾岸地域の主力産業は真珠だった。18〜19世紀、真珠は極めて価値が高くダイヤやルビーと並ぶ宝石。ヨーロッパやインドの王侯貴族が競って求めていた。

そんな天然真珠の最大の産地が、遠浅で水温が高くでプランクトン豊富なペルシャ湾だった。なかでも特に質の高い真珠が採れたのがバハレーン近海だった。海底から淡水が湧き出る場所が多く、真珠貝が育ちやすい環境が整っていたためである。

19世紀末には数千隻の船と数万人のダイバーが真珠採取に従事し、島の経済のほとんどが真珠産業に依存していた。バハレーンは単なる採取地ではなく、取引・流通の重要な拠点としても機能していた。


⚔️ 外来王朝が生んだ政治構造

湾岸の豊かな中心地であったバハレーンが争奪の対象となるのは当然の流れだった。1783年、当時ペルシャ系勢力の影響下にあったバハレーンを征服したのが、アラビア半島の部族連合に属するアル=ハリーファ家。これが現王朝の起源となっている。

バハレーンは歴史的にシーア派住民が多数を占めていたが、この時以降、スンニ派の王家による統治が続くことになった。バハレーンは湾岸唯一の"外来王朝"であった。現在存在する外来王朝は少なく、ヨルダンなども見られるが、バハレーンの場合は他と異なり、王朝とは宗派を別にする多数派を支配しているという点で、政治的に難しい構造となっている。バハレーンではこの征服の歴史が、現在まで続く政治的緊張の背景になっている。


🛢 石油が少なかったことの意味

20世紀に入ると、湾岸地域では石油が発見される。バハレーンは1932年に湾岸で最初に石油が発見された国だったが、油田の規模は小さかった。サウジアラビアやクウェートのような巨大油田は存在せず、国家財政を十分に支えるほどの資源ではなかった

もし巨大な石油資源があれば、政府は豊富な収入を使って補助金や公務員の給与を増やし、国民の不満を和らげることもできただろう。しかしバハレーンにはその余裕がなかった。


🛡 2つの強国との関係で成り立つ安全保障

そこでバハレーンが選んだのは、資源ではなく2つの国の力によって国家の安定を確保する道だった。

一つはサウジアラビア。莫大なオイルマネーによる補助を受け、その実質的な衛星国となった。現在サウジアラビアとは全長25kmの橋で結ばれており、経済や安全保障の面で強い影響を受けている。2011年のアラブの春による民衆蜂起を鎮圧できたのも、出動したサウジアラビア軍のおかげだった。

もう一つは米国。首都マナマには、アメリカ海軍第5艦隊の司令部が置かれている。これは中東最大級の米海軍基地であり、カタールに存在する米空軍基地と並んで、中東で最大の軍事基地。ペルシャ湾全体に睨みを効かせる重要な拠点となっている。

米国海軍の艦船

🌍 バハレーンという国の本質

ここまで見てきた歴史から、この国の本質が垣間見える。

湾岸諸国の多くは、巨大な石油資源を国民に分配することで政治の安定を保ってきた。しかしバハレーンは石油が少なく、しかも外来王朝という政治的に不安定になりやすい条件を持っている。

そんななかでこの国が頼りにしたのは、資源ではなく2つの強国との関係だった。サウジアラビアとの安保体制と、アメリカ海軍基地の存在。これらは単なる外交関係ではなく、国家の安全を支える仕組みでもある。

つまりバハレーンとは、「石油地帯の中心にありながらも石油に依拠できず、外来王朝という制約のもとで二つの安保体制に大きく依存せざるを得ない国」なのである。

では、もし2つの国の方針が変化したならば、この国はどのような道を歩むのだろうか。その問いこそが、バーレーンという国を理解するうえで最も重要なテーマなのかもしれない。

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