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【各国の本質13🇹🇿タンザニア】「タンザニア人」を作った国

アフリカには植民地時代に国境線が引かれた国が多い。そのため、一つの国の中に数十から百を超える民族が共存していることも珍しくない。

その結果、多くの国が民族対立や内戦に苦しんできた。しかし130以上の民族を抱えながら、独立後ほぼ内戦を経験していない国がある。それが🇹🇿タンザニアだ。


🌍 130以上の民族が暮らす国

タンザニアは人口7,000万人を抱える東アフリカ有数の大国。完全に南半球にある国の中では世界最大面積は日本の2.5倍と大きい。

多くの野生動物を見られる🐆サファリや⛰️キリマンジャロで有名な東アフリカ随一の観光大国だが、この国の本質は観光資源ではない。

タンザニアにはビクトリア湖周辺、高原地帯、海岸部、内陸のサバンナなど多様な地形が広がる。それぞれに異なる民族が暮らすため、現在でも130以上の民族が存在する。ただし、最大民族(スクマ族)でも人口の15%に過ぎず、タンザニアには国全体を支配できるほど大きな民族が存在しなかった。

⛵ 海上交易が生んだ共通語

一方、インド洋に面する海岸部では、1000年以上前からアラブ人ペルシャ人インド人との交易が盛んに行われていた。この海上交易の中で生まれたのがスワヒリ文化。その共通語として発展したのがスワヒリ語だった。

スワヒリ語は特定の民族の言葉ではなく、多くの民族が交易のために利用した言語だったため、中立的な共通語として広まっていった。

🏛️ 「タンザニア人」を作ろうとした男

そして1961年に独立を迎える。
この時、タンザニアが抱えていた最大の課題は「どうやって130以上の民族を一つの国にまとめるか」。

官僚制度や議会が整っていないアフリカでは、一人の政治家の登場がその国の歴史の方向性を決定づけることが多い。タンザニアでは初代大統領ジュリウス・ニエレレがその人であった。

🤝 民族ではなく国家を選んだ

ニエレレは「民族ごとに競争すれば、いずれ国は分裂する」と考えた。そして民族よりも国家を優先する政策を進めたのである。その象徴がスワヒリ語だった。

多民族国家であるがゆえに、どの民族語を国語にしても他民族の反発を招く。しかしスワヒリ語は誰のものでもなかった。

彼は民族よりも国家を優先した。学校教育や行政でスワヒリ語を積極的に活用。「私は何族か」よりも「私はタンザニア人だ」という意識を育てようとした。この政策は大きな成果を上げる。

周辺国では民族対立や武力紛争に苦しむ国も少なくない。🇷🇼ルワンダでは民族対立が虐殺へ発展。🇨🇩コンゴ民主共和国では現在も武力紛争が続いている。しかしタンザニアでは独立以来、大規模な民族内戦はほとんど発生しておらず、アフリカでは珍しいほど安定した国となった。

📉 苦戦した経済

一方で、ニエレレは経済面では社会主義を導入した。
タンザニアは人口密度が低く都市も育ちにくいことから、大規模な市場が自然には発生しないため、国家主導で資本を配分した方が効率的だと考えたようだ。

農村を集団化したが、生産性は伸びず経済は長く停滞。社会主義を放棄して久しい現在でも、一人当たりGDPは約USD1,200と、隣国🇰🇪ケニアの約USD2,100の半分程度に過ぎない。

🚢 平和が生んだ観光と物流

だが、彼の築いた政治的安定を背景に、サファリ観光、キリマンジャロ登山、ザンジバル島への観光は重要な外貨獲得源となった。また、ダルエスサラーム港は🇿🇲ザンビアや🇷🇼ルワンダなどの内陸国を世界市場へ結ぶ、東アフリカ有数の物流拠点としての役割も担っている。

平和による配当として、近年は人口増加経済成長が続き、東アフリカ有数の大国へと成長している。

アフリカ最高峰キリマンジャロ(約5,900m)

🇹🇿 タンザニアの本質

こうして振り返ると、タンザニアの本質は豊かな自然でも観光でもない。広大で多様な土地が民族の分散を生み、海上交易が共通語を育て、その共通語を活用してアフリカでは珍しく”国家を統合”できたことにある。観光大国としての現在はその結果に過ぎない。

タンザニアとは、多民族社会を国家としてまとめ上げることに成功した、アフリカでも数少ない国なのである。

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