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ジャームッシュ⑨ 映画 『コーヒー&シガレッツ』 COFFEE AND CIGARETTES

2003 年公開 97分。ジム・ジャームッシュ監督9作目

コーヒー&シガレッツ Coffee and Cigarettes

人が座る。コーヒーを飲む。タバコを吸う。ちょっと噛み合わない話をする。コーヒーとタバコは、人と人のあいだに置かれる“間”の道具。意味が生まれそうで生まれない会話。物語をぐいぐい進めるより、人がそこにいる時間、沈黙、間の悪さを大事にする「ジャームッシュ時間」だけを抽出したような映画。ドラマチックな展開を期待すると退屈かもしれないが、喫茶店で隣の席の会話をぼんやり聞くような楽しみ方ができる人には、かなり刺さるだろう。

最初から1本の長編映画として企画されたものではない。始まりは1986年、人気番組『サタデー・ナイト・ライブ』用の短編として撮影された第1話から。ジャームッシュ監督は、映画製作の合間に、気の合う仲間たちを誘って、少しずつ短編を撮影し続け、2003年、最終的に全11編をまとめ、1本のオムニバス長編として公開した。

本人役が織りなす虚実の境界線

登場人物の多くが本人役で出演しているのが大きな特徴。完全なドキュメンタリーでもなく、監督が書いた台本をもとに、役者たちの素の空気感やアドリブを交えて撮影された。

計算された視覚・聴覚のこだわり

一見、ただの雑談に見えて、映像と音の構築は非常にスタイリッシュ。単にモノクロ映像というだけでなく、黒いコーヒー、白い煙・灰皿・砂糖、多くのエピソードで白黒チェックのテーブルクロスが使われ、視覚的統一感を持たせている。各エピソードで必ず一度は、俯瞰で見下ろす構図が入り、作品のトレードマークとなっている。オープニング・エンディング以外は、劇伴(BGM)はほとんど使わず、カップがカチャカチャと鳴る音や、タバコを吸い込む音など、リアルな「間」の日常環境音のみ。全11編は17年間にわたる撮影で、時代によって撮影手法が異なる。初期作品はモノクロ用フィルム(35mm)で撮影され、ざらついたリアルな質感が特徴。後期作品(ケイト・ブランシェットの回など)は、高度な映像合成や衣装のディテールを際立たせるため、あえてカラーフィルムで撮影し、編集段階でモノクロに変換された。エピソードごとに少しずつ異なる黒の深みや階調が生まれ、独特のリズムを与えている。

描かれる人生のオフタイム

ジャームッシュ監督は本作について、「ドラマチックな出来事でなく、人々が休息をとるような、何でもないオフタイムを描きたかったという。 気まずい沈黙、小さな見栄の張り合い、嫉妬、勘違いなど、人間が誰しも持つ、ちょっとしたおかしみや愛おしさが、コーヒーとタバコを介して浮き彫りになる。特に最終話「シャンパン」は、それまでのコミカルなトーンから一転、人生の終盤や静かな孤独を感じさせる、詩的で美しいラストへ繋がっていく。

11のエピソード

スティーヴン・ライト、ロベルト・ベニーニ

第1話 🌟 STRANGE TO MEET YOU
出演: ロベルト・ベニーニ、スティーヴン・ライト

ロベルト・ベニーニと、スティーヴン・ライトによる、記念すべき第1作は1986年撮影。アメリカの長寿バラエティ番組『サタデー・ナイト・ライブ』の短編コーナー用に4時間で撮影された。台本はほとんどなく、監督が2人に「コーヒーとタバコを前にして、とにかく噛み合わない会話をしてくれ」とだけ指示。100%アドリブ。当時、ベニーニ(イタリア人)は英語がほとんど話せず、妙にハイテンションで何を言っているか分からないガタガタの英語やジェスチャーは演技でなく、リアルな姿。対するスティーヴン・ライトの何を言われても動じない超ローテンションとの温度差が見どころ。終盤、スティーヴンが歯医者に行かなきゃいけないと言うと、ベニーニがなぜか俺が代わりに行ってやる!と身代わりになるエキセントリックな展開も現場のノリで生まれたアドリブで、監督は2人の奇妙な化学反応を見て「このテーマで映画を撮り続けよう」と決意したという。

サンキ・リー、スティーヴ・ブシェミ、ジョイ・リー

第2話 🌟 TWINS
出演: ジョイ・リー、サンキ・リー、スティーヴ・ブシェミ

『ミステリー・トレイン』にも出演のジョイ・リーとサンキ・リー(実の兄妹)と、スティーヴ・ブシェミによる1989年の作品。最初の台本ではウェイター役は「ブツブツ文句を言う50代の太った中年の男」。しかし、監督の親友スティーヴ・ブシェミが「その役、俺にやらせてよ」と志願。独特の痩せ型でギョロリとした風貌に合わせてキャラが書き直され、あの胡散臭いウェイターが誕生。ブシェミが熱弁する「エルヴィス・プレスリーには、生後すぐに死んだと言われている。双子の兄(ジェシー)が実は生きていて、エルヴィスの代わりにマフィアに消された、俺たちが知っているエルヴィスは偽物だ」という珍説。これはジャームッシュ監督がどこからか仕入れてきた都市伝説。双子を演じたジョイ・リーとサンキ・リーは、映画監督スパイク・リーの実の妹と弟。ジャームッシュ監督はニューヨークのインディペンデント映画界でスパイク・リーとも親交が深く、その縁から兄妹がキャスティングされた。息の合った、仲の悪い掛け合いは、本物の兄妹だからこそ出せる空気感。

イギー・ポップ、トム・ウェイツ

第3話 🌟 SOMEWHERE IN CALIFORNIA
出演: イギー・ポップ、トム・ウェイツ

ロック界のカリスマ2人が共演、1993年のカンヌ国際映画祭で短編賞を受賞した伝説的一編。初対面ではなかったものの、お互いに強烈な個性とプライドを持つミュージシャン、撮影初日、2人の間には映画さながらの「本物の緊迫感とピリピリした空気」が漂っており、ジャームッシュ監督もハラハラしたという。作中、トムがイギーに対して「ジュークボックスにお前の曲も入ってない」と言う嫌味など台本にないトムのアドリブ。撮影が進むにつれ、2人は即興の掛け合いを心から楽しむようになり、最終的には大笑いしながら撮影を終えたという。イギーは後に、トムとの共演はまるで極上のジャムセッションのようだったと振り返る。ちなみに、劇中2人が、禁煙に成功したとお祝いに1本吸うシーン、当時トムは本当に禁煙中だったため、撮影のため渋々吸ったという裏話も。

ジョー・リガーノ、ヴィニー・ヴェラJr、
ヴィニー・ヴェラ

第4話 🌟 THOSE THINGS'LL KILL YA
出演: ジョー・リガーノ、ヴィニー・ヴェラ、ヴィニー・ヴェラJr

他に比べ地味に見えるが、ジャームッシュ監督の「マフィア映画」への愛とユーモアが詰まった隠れた名作。出演しているジョー・リガーノ、ヴィニー・ヴェラ、そしてヴィニー・ヴェラJrの3人は、アメリカの伝説的マフィアドラマ『ザ・ソプラノズ 哀愁のマフィア』などで活躍した、本職風の強面バイプレイヤーたち。彼らのリアルなニューヨーク・イタリアン系の佇まいと、独特のだみ声を非常に気に入ってキャスティングした。ヴィニー・ヴェラと、父親から金をせしめていく若者は、実の父と息子。

タイトルの「Those Things'll Kill Ya(あんなもの吸ってたら死ぬぞ)」は、ニューヨークの街角でタバコを吸っていると、見ず知らずの通りすがりの人から本当によく言われる定番のお節介フレーズだったという。

ルネ・フレンチ、E・J・ロドリゲス

第5話 🌟 RENÉE
出演: ルネ・フレンチ、E・J・ロドリゲス

銃のカタログを眺めながらコーヒーを飲む美しい女性ルネと、彼女になんとか話しかけようとする、おせっかいなウェイター。主演ルネ・フレンチは、女優ではなく、アメリカの著名漫画家(グラフィックノベル作家)で映画監督。ジャームッシュ監督は、彼女のミステリアスな美貌と独特のクリエイティブな感性に惚れ込み、彼女のため役を書き下ろした。劇中、ルネはウェイターがコーヒーを注ごうとするのを頑なに拒み、「ちょうどいい温度(色)なの。これ以上足すと薄まるし冷める(あるいは熱くなる)」と静かに怒る。これはジャームッシュ監督自身の「コーヒーの飲み方に対する強いこだわりが投影されたセリフ。全11編中、最もセリフが少ない。ルネの冷たい視線と、ウェイターの的外れな親切心がもたらす「気まずい空気」だけで数分間持たせており、構図の美しさが際立つ一編。

アレックス・デスカス、イザック・ド・バンコレ

第6話 🌟 NO PROBLEM
出演: アレックス・デスカス、イザック・ド・バンコレ

フランスの名優イザック・ド・バンコレと、アレックス・デスカスが演じる、カフェでひたすら沈黙が続く男たちのエピソード。2人は、ジャームッシュ監督の『ナイト・オン・ザ・プラネット』や『リミッツ・オブ・コントロール』など、数々の作品で重要な役を演じてきた監督の絶対的ミューズ。気心が知れた2人だからこそ、あの絶妙な空気が作られた。「何か怒っているのか?」「いや、何もない」「悩みがあるのか?」「何もない」という会話が延々と繰り返される。アレックスが勝手にイサックの状況を心配し、イサックは本当に何もないので困惑しているという、日常によくある「親しすぎるがゆえのすれ違い」を、あえて大真面目に演じることでシュールな笑いを生み出している。ジャームッシュ監督は、映画においてセリフで状況を説明することを嫌う。このエピソードは、「親友同士なら、言葉がなくても、ただコーヒーを飲んでタバコを吸うだけで1本のドラマが成立する」という、監督の映画的実験室のようなミニマルな名作。

ケイト・ブランシェット(一人二役)

第7話 🌟 COUSINS
出演: ケイト・ブランシェット(一人二役)

上品な大女優ケイトと、彼女に嫉妬するパンクな従姉妹シェリーを、ケイト・ブランシェットが演じ分けている。当時すでに売れっ子だったケイトのスケジュールは非常に過密。そのため、このエピソードはわずか2〜3日(一部の記録では1日とも)で一気に撮影された。2人のケイトが自然に会話をしているが、当時としては高度なモーション・コントロール・カメラを使用し、カメラの動きを正確に再現し複数回撮影、後から合成したもの。ケイトは誰もいない空間に向かって、完璧なタイミングで演技を成立させた。メイクや衣装を変えるだけでなく、姿勢、声のトーン、タバコの吸い方、さらには「まばたきの頻度」まで完全に変え2人を演じ分けた。ジャームッシュ監督は彼女のこの演技力に圧倒され、「本物のカメレオンだ」と大絶賛した。

メグ・ホワイト、ジャック・ホワイト

第8話 🌟 JACK SHOWS MEG HIS TESLA COIL
出演: ジャック・ホワイト、メグ・ホワイト(ザ・ホワイト・ストライプス)

当時ガレージロック・リバイバルの旗手として大ブレイク中だったザ・ホワイト・ストライプスの2人が、不思議な発明品「テスラコイル」を挟んで会話する一編。ドラマーのメグ・ホワイトは、極度の人見知りでメディアへの露出も少なく、役者として出演した生涯唯一の映画作品。劇中でジャックがテスラコイルについて熱弁するのを、彼女がタバコを吸いながら冷ややかに、かつ的確に見守る空気感は、彼らのリアルな関係性そのもの。劇中でジャックは、発明家ニコラ・テスラが「世界にフリーエネルギーを供給しようとしたためブラックリストに載せられたという陰謀論的な歴史を熱弁する。これは演技ではなく、ジャック自身の本気の趣味。彼はインタビューで、映画オファーは断るつもりだったけど、大好きなアメリカン・フォーク・ミュージックとニコラ・テスラが絡む話だったから断れなかったと語る。2人が会話しているカフェの壁には、俳優リー・マーヴィンの肖像画が飾られている。これは、ジャームッシュ監督やトム・ウェイツらが結成している実在の秘密クラブ「リー・マーヴィンの息子たち(Sons of Lee Marvin)」の遊び心だという。

アルフレッド・モリーナ、スティーヴ・クーガン

第9話 🌟 COUSINS?
出演: アルフレッド・モリーナ、スティーヴ・クーガン

自分が親戚だと証明して近づくモリーナと、彼を格下と見て冷たくするクーガンの、痛烈な格差コント。イギリスを代表する2人の名優、アルフレッド・モリーナと、スティーヴ・クーガンが繰り広げる、「人間の虚栄心と格差」を痛烈に風刺した本作屈指のコメディ回。劇中では、落ち目のモリーナが必死に媚びを売り、売れっ子のクーガンが彼を冷たくあしらうという構図だが、実際の役者としてのキャリアや知名度は、当時モリーナの方が遥かに上だった。ジャームッシュ監督はあえてこの「現実の立場」をひっくり返すことで、2人に最高に意地悪で滑稽な心理戦を演じさせた。モリーナ演じる男が、自分がクーガンの親戚であることを証明するために家系図を熱心に説明するシーン。自分のルーツや家系図を調べることはモリーナ自身の本気の趣味。ジャームッシュ監督は彼のそのプライベートな一面を知り、「それをそのまま映画のプロットに使おう!」と思いついたそう。クーガンは、イギリスで「自分が大好きな傲慢な男」を演じさせたら右に出る者はいないと言われるコメディアン。劇中で、モリーナを下に見て携帯電話ばかりいじり、ファンだという美女から声をかけられて鼻高々になるものの、実は彼女の目当てがモリーナだと知った瞬間に態度を急変させるという「器の小ささ」は、クーガンの得意な演技プランが完璧にハマった名シーン。17年間にわたって撮影された本作において、このエピソードは「携帯電話」が小道具として重要な役割を果たす唯一の回。
撮影された2000年代初頭の、少し分厚い携帯電話をクーガンがこれ見よがしに使う姿は、当時の「売れっ子業界人」の象徴として描かれており、映画の時代の移り変わりを感じさせる面白いポイント。観ていて少しヒリヒリするような「大人の気まずさ」が、2人の圧倒的な演技力によって極上のエンターテインメントに昇華されているエピソード。

GZA、RZA、ビル・マーレイ

第10話 🌟 DELIRIUM
出演: GZA、RZA(ウータン・クラン)、ビル・マーレイ

ヒップホップ界のレジェンド(RZA & GZA)が、ハーブティーを飲みながら、変装して変な飲み物を飲む名優・マーレイに遭遇。ポップカルチャー史上最も奇妙でアイコニックなコラボ。劇中、ビルはウェイターでありながら、RZAとGZAのテーブルからコーヒーを勝手にポットごと奪ってガブ飲みする。この「ビル・マーレイが他人のコーヒーを勝手に奪う」という行動は、ネットミームにもなっている現実のビルの奇行(都市伝説)をジャームッシュ監督がそのままセルフパロディとして台本に盛り込んだもの。映画中、RZAとGZAがビルに「ノンカフェインのハーブティーが体にいい」と勧め、ビルが「俺の喉の痰(タバコによる咳)はどうすればいい?」と聞くコミカルな掛け合いがある。撮影を通してビルは彼らを非常に気に入り、これが縁で、のちにジャームッシュ監督のゾンビ映画『デッド・ドント・ダイ』でも再び共演を果たすことになる。

ビル・ライス、テイラー・ミード

第11話 🌟 CHAMPAGNE
出演: ビル・ライス、テイラー・ミード

うらぶれた清掃員を演じている2人、実はニューヨークのインディペンデント・アート界を何十年も支え続けた本物の高名な芸術家。テイラー・ミードは、ポップアートの巨匠アンディ・ウォーホルの映画のミューズとして、1960年代のビート・ジェネレーションを象徴する伝説的パフォーマーで詩人。ビル・ライスは、演劇人でありながら、ニューヨークの街並みを独自の視点で描き続けた著名な画家。ジャームッシュ監督は、若き日にニューヨークのダウンタウンで、彼らから多大な影響を受けており、2人への深いリスペクトを込め、この最終話を撮影した。当時、2人はすでに70代の高齢。劇中でテイラー・ミードが遠くを見つめながら語る、人生の終わりや孤独についてのセリフの多くは、彼自身のアドリブや、彼が日頃から書いていた詩のニュアンスが反映されている。ジャームッシュ監督は、2人が生きてきた本物の歴史が醸し出す「枯れた美しさ」をそのままフィルムに収めた。本作で唯一、劇中で美しい音楽がはっきりと流れるド。ビルが持ってきた古いラジカセから、マーラーの『交響曲第5番』第4楽章(アダージェット)が流れる。これは映画『ベニスに死す』でも使われた「愛と死」を象徴する名曲。不健康なコーヒーを「極上のシャンパン」に見立てて乾杯する2人の姿にこの曲が重なり、何気ない日常の休息が、まるで人生の終着駅のような厳かな瞬間に変わる。1993年撮影され10年後に映画は完成し、公開直前の2004年1月、ビル・ライスが73歳でこの世を去った。結果的にこの「シャンパン」というエピソードは、ビル・ライスという偉大な芸術家への追悼であり、彼が残した最後の美しいポートレートとなった(テイラー・ミードもその後、2013年に88歳で亡くなっている)。

『コーヒー&シガレッツ』は、この2人の静かな乾杯と、ビル・ライスが目を閉じて眠りにつく(あるいは旅立つ)ようなカットで幕を閉じる。17年間にわたるジャームッシュ監督のプロジェクトを締めくくるのに、これ以上ないラストエピソードだ。

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