なぜ、農作物が獲れるほど「経営」は苦しくなるのか?~増収の罠と、農業経営を改善する「2つの法則」~
※本稿は、農業経営に関する3つの先行研究(八木, 2012 / 茅根・草野, 2002 / 浅井・南石, 2019)の客観的データに、一般経営学の知見を用いた筆者独自の考察を交えて構成しています。
1. はじめに:「豊かにならない増収」のミステリー
農業界には、昔から絶対に疑われない一つの常識があります。「反収(単位面積あたりの収量)を上げれば儲かる」という信仰です。
現在、施設園芸(ハウス栽培)の現場では、環境制御を用いた「スマート農業」が普及し、素晴らしい増収技術が次々と生み出されています。しかし、最新技術を現場に実装していく中で、ある恐ろしいパラドックスに直面することがあります。 それは、「収量が上がったはずなのに利益がそれほど増えず、むしろ農業経営全体が疲弊してしまう」という現象です。
「こんなに獲れているのに、なぜ一向に豊かにならないのか?」 この罠の正体は、先行研究のデータと経営学の理論を掛け合わせることで、極めて論理的に解き明かすことができます。
2. 資源制約とTOC:「一番細いパイプ」が利益を決める
【研究データが示す事実】
経営科学の分野において、制約条件の理論(TOC)を線形計画問題として数理的に分析した八木(2012)の研究では、以下のことが数学的に証明されています。 「ある工程の『スラック変数(余裕)』がゼロの制約条件となっている場合、他の工程の能力をいくら改善しても、全体の目的関数(利益)は絶対に増加しない」
要するに、「農園の中で一番遅い作業(例:袋詰め)がすでにパンクしている状態で、他の作業(例:栽培)だけを頑張って収量を増やしても、全体の利益には結びつかない」ということです。
【経営学の理論を用いた私の考察】
MBAの経営戦略の授業で学んだ「RBV(リソースベースドビュー)」という考え方があります。企業の競争力は、自社が持つ「限られた経営資源」をどう活かすかにかかっているという理論です。
これを現場のオペレーションに落とし込んだ理論として、私は本から「TOC(Theory of Constraints:制約条件の理論)」を学びました。TOCとは、イスラエルの物理学者エリヤフ・ゴールドラット博士が世界的ベストセラー『ザ・ゴール』で提唱したマネジメント手法で、「どんな組織やシステムであっても、全体のパフォーマンスは、その中で一番能力の低い工程(制約条件=ボトルネック)によって決定づけられる」とする考え方です。
農園を1本の「パイプ」に見立てたとき、パートさんたちによる「袋詰め」のパイプが1日100kg分の処理能力しかなかったとします。ここがスラック(余裕)ゼロの、農園で一番細いパイプ(最大の資源制約=ボトルネック)です。
この状態で、ハウスの環境制御を極めて「1日120kg」の作物を実らせたらどうなるでしょうか?出口(袋詰め)の資源が限界を迎えているため、あふれた20kgは選果場に山積みになります。 「袋詰め」というボトルネックを放置したまま「栽培」に資源を全振りして増収しても、経営の数字は1円も良くならない。これが数学的に証明された「部分最適の罠」の正体です。
3. 早朝3時半からの作業:経営者の作業負担が大きすぎないか?
【研究データが示す事実】
この「ボトルネックの放置」がもたらす悲劇は、日本の農業現場の実証データにも生々しく記録されています。
茨城県の露地野菜作(レタス)の作業構造を調査した茅根・草野(2002)の研究では、包装機を導入して機械化を図ったにもかかわらず、前段の手作業である「皮むき・軸切り」が追いつかず、作業が詰まってしまう事例が報告されています。 さらに、農業あるあるではありますが、この目詰まりをカバーするために、収穫最盛期には「早朝3時30分からの作業開始」という長時間労働が常態化し、経営者自身が機械を止めて「皮むきの応援」に回っていたという事実です。
【経営学の理論を用いた私の考察】
増収技術の選択で「収量の閾値(オペレーションの限界)」を超えてしまったツケは、必ず従業員や家族の「長時間労働」という形で現れます。
本来、新たな販売先の開拓や戦略を練るべき「農業経営の根幹の頭脳」を持つ経営者自身が、ボトルネックのカバー(単純作業)に忙殺されている。これでは、経営が上向くはずがありません。
4. パイプの先をどこに繋ぐか?(バリューチェーンの法則)
【研究データが示す事実】
三重県で施設野菜を生産する株式会社浅井農園の競争力強化に関する事例研究(浅井・南石, 2019)では、同社が単なる生産にとどまらず、マーケティング、研究開発(R&D)、生産、流通開発までを統合していることが示されています。 さらに、複合環境制御や労務管理といった「数値化経営(ICT)=データ農業」を導入することで、生産性を高めるだけでなく、顧客の需要に応える「再現性のある生産体系」を確立していると報告されています。
【経営学の理論を用いた私の考察】
農園内部のボトルネック(袋詰めなど)を解消し、パイプを太くしたとしても、そのパイプの先(市場・顧客)で「価値」が認められなければ、ただの価格競争に巻き込まれます。 ここで必要になるのが、マイケル・ポーターが提唱した「バリューチェーン(価値連鎖)」の視点です。
浅井農園の事例が示す通り、スマート農業やICTとは、単に反収を上げる魔法の杖ではありません。自社のバリューチェーン全体に安定性と再現性を持たせ、「顧客へ価値を確実に届けるためのインフラ」なのです。「作る」だけでなく、「誰に、どんな価値を届けるか」までを一貫してデザインすることが、持続的な経営の鍵となります。
5. 結論:経営者は「鳥の目」で内外を俯瞰せよ
誤解してはならないのは、本稿は決して「反収(収量)を追求すること」自体を否定しているわけではない、ということです。スマート農業によって収量を極限まで高め、売上のトップラインを伸ばすことは、間違いなく立派な成長戦略です。
しかし、どれほど強力なエンジン(増収技術)を手に入れても、農業経営内外の「全体最適」の視点が欠けたままでは、真の意味での生産性は絶対に向上しません。経営者が日々の「皮むき」や「袋詰め」のカバーに追われている限りでは、その先にあるバリューチェーン(価値連鎖)を生み出すための時間が生まれないからです。
農業経営を力強く成長させるため、私たちが取るべき戦略の順番は明確です。
内側の観察(RBVとTOC): 経営者が「鳥の目」で農園全体のフローを俯瞰し、農業経営のボトルネック(最大の資源制約)を見つけて全体最適化を図る。
外側の観察(バリューチェーン): 現場の単純作業から解放された時間を使って、自社の生み出した価値を、確実に顧客へと届ける戦略を立てる。
強力な増収技術を持ちつつ、それを全体最適化されたフローに乗せ、明確な顧客価値へと繋いでいく。現場をミクロな虫眼鏡で見るのではなく、「鳥の目で俯瞰的に内外を観察し、戦略を立てる」。これこそが、技術者から真の「経営者」へと脱皮するための絶対条件なのです。
<参考・引用文献>
八木英一郎 (2012)「制約条件の理論 (TOC) に基づく改善に対する一考察」『東海大学紀要政治経済学部』第44号, pp.265-274.
茅根敦夫・草野謙三 (2002)「機械利用による露地野菜作の作業構造と生産性」『農業経営研究』第41巻第2号.
浅井雄一郎・南石晃明 (2019)「農業バリューチェーンの最適化による施設野菜経営の競争力強化 -三重県における株式会社浅井農園の取り組み-」『農業経営研究』第57巻第1号, pp.36-41.
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