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なぜ江戸の料理人は「かえし」を作ったのか― 和食を支えた調味料の歴史



「和食は面倒」
「和食は手間がかかる」
そんな声をよく聞くようになりました。
確かに和食は、出汁を取り、調味料を計り、味を整えていく料理です。
料理が苦手な人にとっては、少しハードルが高い料理に感じられることもあるかもしれません。

しかし、江戸の料理人たちは決して、暇を持て余し手間暇かけて料理をしていたわけではありません。
むしろ江戸の人たちの暮らしは、今よりもずっと忙しかったとも言われています。
彼らは台所の合理化の達人でした。
その象徴ともいえるのが「かえし」という合わせ調味料です。

「かえし」とは、醤油・砂糖やみりんを合わせて作る日本の合わせ調味料の元祖です。
江戸時代後期、蕎麦文化の発展とともに生まれたと考えられています。

当時の江戸は人口100万人とも言われる世界有数の都市でした。
町人文化が栄え、屋台や蕎麦屋が街中に立ち並んでいました。
しかし蕎麦つゆをその都度作るのは大変です。
そこで料理人たちは、醤油と砂糖、みりんをあらかじめ合わせておく方法を考えました。
この「かえし」に出汁を加えるだけで、すぐに蕎麦つゆが作れる。
つまり「かえし」は、江戸のファストフード文化が生んだ合理的な調味料だったのです。

ここで忘れてはならないのが、江戸の醤油産業の発展です。
江戸時代、関東では醤油づくりが急速に広がりました。
とくに現在の千葉県にあたる銚子や野田の地域では、醤油の醸造が盛んになっていきます。
その背景には、利根川水運の存在がありました。
銚子や野田で作られた醤油は、船で利根川を下り、大量に江戸へ運ばれていきました。
江戸という巨大都市は、醤油消費都市だったとも言われています。
この豊富な醤油があったからこそ、江戸では、
蕎麦
天ぷら
寿司

といった、いわゆる「江戸前料理」が発展しました。
そして、その味の土台を支えたのが醤油を使った合わせ調味料「かえし」だったのです。

江戸の料理文化は、料理人の工夫だけではなく、醤油醸造の発展と流通の仕組みによっても支えられていました。
「かえし」は、江戸の食文化と醤油文化が交わる場所で生まれた日本初のコラボ合わせ調味料だったとも言えるのです。

かえしにはいくつかの作り方があります。

〈生かえし〉
醤油・砂糖・みりんなどを火を入れずに合わせる方法です。
醤油の香りが生きた、フレッシュなかえしになります。

〈本がえし〉
醤油・砂糖・みりんを一度火にかけて砂糖を溶かし、熟成させる方法です。
江戸の蕎麦屋で広く用いられていたとされています。
熟成することで味がまろやかになります。

〈半がえし〉
火入れや熟成を軽くした中間の方法です。
家庭では扱いやすいかえしとも言われています。

では、なぜ江戸の合わせ調味料が「かえし」と呼ばれるようになったのでしょうか?
もっとも有力なのは、味を「返す」調味料だからという説です。

出汁にこの調味料を加えることで味が完成する。つまり味を整え、味を返す。
そこから「かえし」と呼ばれるようになったと言われています。
また、蕎麦屋では「かえし」を作り置きし、継ぎ足しながら使うこともありました。
調味料を使いながら返していく。
そんな職人用語から生まれたという説もあります。

江戸料理では、この「かえし」が幅広く使われました。
蕎麦つゆ
天つゆ
丼もの
煮物
照り焼き
つまり「かえし」は江戸料理の基本ソースとも言える存在でした。
料理の味の決める重要な合わせ調味料だったのです。

では、なぜこの便利な調味料が家庭から消えてしまったのでしょうか。
その理由は、めんつゆの普及です。
1960年代以降、市販のめんつゆが広まりました。
その結果、家庭でかえしを作る習慣は次第に少なくなっていきました。

その2の理由は、料理をする人そのものが減ってきたことです。
味噌や醤油はもちろんのこと、合わせ調味料を自分で作る文化も、少しずつ失われていきました。

そして和食はいつしか、悲しいかな
「手間のかかるめんどくさい料理」
というイメージを持たれるようになったのです。

本当は、江戸の料理人たちはとても合理的でした。
気が短い江戸っ子が、手早く料理をする必須アイテムが「かえし」でした。
一度作れば料理の味が決まりやすくなる。
つまり、江戸の時短調味料とも言えるのです。

私は5月の大阪・阪神百貨店での木桶醤油の催事で、木桶仕込み醤油で作る
「3種類のかえし」を提案させて頂きました。

濃口しょうゆ 奥出雲 森田醤油
たまりしょうゆ 岐阜県 山川醸造
しろたまり 愛知県 日東醸造 
この3種類の個性あふれる醤油で「かえし」
を作ります。
ズバリ!どれも美味しい!
醤油が変わると料理の味も変わる。
それぞれの個性を料理の中で感じてほしいと思っています。

江戸の町は、世界最大級の都市でした。
その巨大都市の食を支えたのは、醤油という発酵文化と、「かえし」を象徴とする、台所の合理的な知恵でした。

そして、その醤油の多くは、木桶で時間をかけて醸されてきたものです。
醤油も、味噌も、酢も、その消費量は年々減っています。
理由はとてもシンプルです。
料理をする人が減っているからです。

どんなに良い調味料も、使われなければ文化にはなりません。
だから私はもう一度、江戸の知恵である「かえし」を台所に戻したいと思っています。

料理をする人が増えることが、食文化を未来へつなぐことだと私は信じて、今日も料理を教えています。


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