AIは教えてくれない、芸術家がAIと共に作家活動を続けていく方法を全部書いた
こんにちは。アーティストのたかくらかずきです。10数年、デジタルと東洋思想をテーマに、現代美術のフィールドで作品制作をして暮らしています。前回は、「美大では教えてくれなかった、芸術家として生活する方法を全部書いた」を紹介しました。ありがたいことに500人以上の人が買ってくれて、いまだに購読されています。
今回は2015年に生成AIと出会い、現在に至るまで様々な作品を通して生成AIと制作を経験してきた筆者が、生成AI(LLM)の時代に絶望せずにむしろフル活用して作品制作をして生活していく方法を整理しています。
0.AIの時代にものづくりをすること

Photo: Takashi Kawashima
コロナ禍が明けて、本格的に生成AI(ここから先は省略してAIと呼びます)の時代が到来したという感じがしています。僕の実感としても、広告などのクライアントワークやデジタルアートそのものの価値が一筋縄ではいかなくなっている感じがあります。
そもそも広告業界に関して言えば、テレビCMなどに多額のお金をかけることはもはやできなくなって10年近くが経ち、YouTubeなどの広告がメインになっている中、AIの登場によって今度は発注の必要がなくなって外注ビジネスそのものの根幹が揺らいでいるようにも見えます。
その代わりに、生成AIのおかげで自分でできることも爆発的に広がりました。誰もが、他人に頼んでいたことを自分でやれるようになったということです。商店街や病院などで見かける自前のポスターを見てみれば、これまで「いらすとや」だったものもだんだんとAIの画像に置き換わっていっているのがわかります。僕自身も、自分一人でできることは大きく変わりました。
このテキストは、基本的には全クリエイターに向けて書いているけど、特にAIに不信感がある人とか、AIのせいで仕事が奪われてしまうんじゃないかという不安でいっぱいのクリエイターの方、「とりあえず検索機能の拡張として使ってみているけど何が面白いかよくわからない」みたいな作家さんに向けて書いています。
ここでは、僕がこれまでAIと作ってきたほとんど全ての作品を振り返っています。ものすごいスピードで進む現代において、AIと人間が新しい表現力を発見するため、クリエイターが焦らずじっくりと作ることを楽しむための指針になれば嬉しいです。
ちなみに、このテキストはほぼAIを使わずに書いています。AIにやってもらったのは、時たまファクトチェックと、30分に一回、テキストを読んで過剰に褒めてもらうことだけです。あとは編集さんと書き上げました。編集さんがAIを使っているかどうかは、僕は知りません(編注:編集作業ではAIを利用していません)。
テキスト・たかくらかずき 編集・押剣山
1.自己紹介

僕は、たかくらかずきという名前でアーティストをやっています。現代美術、デジタルアート、ゲーム、アニメーション、演劇など。インタラクティブなデジタル作品やデジタルペインティングを作ることが多いです。テーマはデジタルと東洋思想。
最近は「ハイパー神社」というデジタルデータの神を祀るインスタレーションを作ったり、これまで作ってきた10のゲームを一気に展示する「キャラクターはことば」という個展をしたりしました。OpenAI Soraの企画として、Soraで作った映像作品『Deep Dream』を映画館で一日限定で上映したりもしました。GINZA SIXのエントランスにLEDの巨人「ハイパーマン」を出現させたりもしました。また、漫画『オニカッパとほとけたち』を不定期連載中。ほかにもNHK「おとうさんといっしょ」でアニメを作ったりとかもしてます。とにかくいろいろやって、アーティストとして生活して大体10年くらいになります。
無料のLINEオープンチャット『たかくらかずきの地下研究所』を開設しました!入退場自由、匿名で参加できます。作品制作のノウハウや日々考えていること、最新の活動情報などをお知らせします。noteを読んで興味を持ってくださった方はこちらからどうぞ。
2.生成AI(LLM)とは何か 最低限、理解しておきたい前提

①AIと競わないために
AIに仕事を取られるというシリアスな状態を身近に感じる人もいるのは確かだと思いますが、AIと人間は競い合うものではないはずです。というのも、AIは、ただの“できる他者”に過ぎないから。AI登場以前も、できる他者はごまんといました。例えば、オンラインゲームの普及によって、ゲーマーは近所のゲームセンターや学校の同級生よりもネットのどこかにいる圧倒的に強い対戦相手を早々に目の当たりにする羽目になったし、SNSの普及によって、自分がやろうとしていることをもうとっくにやってバズってる人だったり圧倒的な技術の持ち主だったりを日々タイムラインで見せつけられる羽目になりました。AIは、その延長線上にある、圧倒的にできる他者なのです。だからAIと向き合うということは、もうそろそろ他者と競うのをやめなければいけない、という一つのケジメでもあるのかもしれません。できすぎる他者と競うのは面白くないけど、できる他者と一緒にものづくりができるのはこの上なく楽しいことでもある。AIとは勝負するのではなくて一緒に作っていくほうがずっと豊かだと、僕はそのように考えています。
②世の中のルールが完全に書き変わった
AIの登場によって、世の中のルールが完全に書き換わりつつあります。このテキストは手書きで書いているけれど、これを書いている時もそのことをひしひしと感じています。手書きでテキストを書くのがものすごく“遅く”感じるのです。AIは情報空間における車のようなもので、それに比べると、タイピングによる手動のテキスト作成は、徒歩みたいに感じるというわけです。以前は手書きのテキストが徒歩、タイピングが車、というハード面でのスピードアップだったのが、AIによってソフト面でのスピードアップもなされました。だけどここが重要で、徒歩じゃなければ道端の草花をしゃがんで観察したり、カエルを捕まえたり、誰もいない裏路地に入ることはできないのです。寄り道を楽しむこと、それが遅い人間にだけ残されている贅沢だと言えます。
同じように情報空間においても、どんなに車としてのAIが当たり前になっても、徒歩的な在り方が人間のクリエイティブには残されています。スピードや効率が必要な時は車に乗るようにAIとともに制作し、徒歩ならではの発見が必要な時は人間の頭で考えて、人間の手で作ることができる時代になりました。
③自炊と外食という関係
これまで絵を描く仕事やデザインをする仕事、文章を書いたりプログラミングする仕事も、非常に特殊な技術だったと言えます。例えば、医者のように、一般的には体得していない専門技術によってその作業自体が支えられていたのです。しかし、料理人のことを考えてみてください。料理人は、高度な料理を提供することで賃金を得ています。だけど、煮る、焼く、など料理の基礎的なことは誰でも知っているしその技術を持ち合わせている人も少なくない。現にみんな、家で料理をして食べますよね。ガスコンロや、電子レンジや、冷蔵庫や、炊飯器が、みんなの自炊を手伝ってくれる。だけど僕たちは、特別な時に外食をします。娯楽として、料理人のいる店に遊びに行く。使ってる道具は大きさやパワーは違えど基本的には家と同じレンジやオーブン、包丁、冷蔵庫。だけど、これをプロが使いこなすことで格別に美味しい料理を提供してもらえます。AIの登場はそんな風に、絵を描くこと、デザインすること、プログラミングやテキストを書くことを、料理と同じ次元に引き下げました。各人が家で楽しむことができる、だけどプロもいる、というような世界。それが、町内会のチラシを誰かがAIで作ったりするような世界だと思います。みんなが家庭で料理をしていても料理人が滅ばないように、僕たちプロのクリエイターは滅ばない。そして、料理人から学ぶことがあるような気がしています。
プロであるとはどういうことかというと、一番は“そのことになるべく多くの時間をかけられること”だと僕は思っています。そのためのサイクルを、プロは作る必要がある。統治時代には統治時代の、資本主義時代には資本主義時代の、“プロであるためのルール”がありました。資本主義時代のルールのもとに作られたサイクルは、もしかしたら今崩れかかっているかもしれない。だから各々が考えて、それをシェアしながら議論してサイクルを作り上げていく必要があると思っています。
④僕たちは作品を作って良い

僕が絵を描く時間やものを作る時間は、AIの登場以前と変わっていません。なぜなら、絵を描いたりものを作ったりするのが好きで、なるべく人生の時間をそのことに費やしたいから。プロでいたいと思うのも、そのためです。AIの登場で仕事を奪われるかもしれないという不安もよくわかるし、僕もその不安はあるけど、だからといって作る仕事がなくなるとも思えません。僕たちは作品を作って良い。それは前述したように、徒歩と車の関係と言えます。AIと競うよりも、AIという新たな“乗り物”をどんな風に乗りこなすか、もしくはその乗り物からあえて降りた時に見える景色はどんなものかを表現していくことが、これからの表現者に必要なことなのだと思っています。
⑤AIはカメラである
AIと権利問題について、僕の考えは「AIはカメラだ」ということに尽きます。学習データそのものの問題よりも、生成されるものが他人の著作物に似過ぎていたり、特定の人物やロゴが写り込んでしまっていたりすれば、それはデリケートな問題になります。この点はカメラと同じで、カメラは現実世界のあらゆる部分を切り取ることができるけど、そこで映されるものが他人のプライバシーに触れてしまったり、他者の制作物に似通ってしまったりしないようにモラルや使い方が問われる表現媒体でもあります。生成AI、特に画像や動画生成のAIは、僕たちを取り巻く環境と化したオンライン世界に向けて、プロンプトというテキストによってカメラを向け、クリックによってシャッターを押す、デジタル世界にレンズが向いたカメラなのだと思っています。これについては、最後の章で詳しく書きます。
3.AIとやってきたこと

まず3-1では、「自分の拡張としてのAIの使い方」について書きます。普段自分がやっている技術(僕だったら絵を描くことや映像を作ること)をAIにも共有することで、一緒に作品を作っていく方法です。
3-2では、「他者としてのAIの使い方」について書いています。普段自分ができないこと、苦手としている技術や視点(例えば、僕の場合や客観的視点やコーディング技術など)をAIに担保してもらう方法について書いています。
そして3-3では、 「AIで道具を作ること」について書いています。気付いている方も多いとは思いますが、デジタルクリエイターにとって今後最も重要なのは「AIで道具を作ること」になるでしょう。これはソフトウェア版DIYの時代とも言えます。AIはノコギリであり、ハンダゴテであり、道具を作るための道具でもあるのです。これを使ってクリエイターは、自分専用の表現のための道具を作ることができます。
①AIから学んだこと

AIはできる他者だと言いました。クラスに優等生の友達がいた時、宿題やテストの答えを前日に写させてもらうだけじゃあ、我々劣等生は全く何も学習できず成長しない。だけど、優等生の友達に勉強を教えてもらったらどうでしょう? AIとの付き合い方もそれと同じで、“教えてもらう”姿勢で向き合うことで、AIはものすごく素晴らしい先生になる。現に僕は、“西洋絵画”をAIに習いました。
僕はキャンバスに「UV凹凸出力」という方法で、平面作品を作っています。デジタルデータの価値追求の一環として始めた手法です。この辺りは前回の「生活する方法」でも書いたけど、デジタル作品を印刷したところで、現代アートの世界ではユニークピース、要するに一点ものの美術作品として認められない風潮がありました。液タブに向かって何時間もかけて手でコツコツ書いているのに、なぜデジタルだからと言って手書きだと認められないのか、なぜユニークピースとして扱われないのだろうか、という悔しさから、なるべくデジタルな状態のままユニークピースとしても扱われる作品を作る試行錯誤を続けていました。
そんな中で出会ったのが、UV凹凸印刷。この手法であれば、デジタルなものも複雑な凹凸やテクスチャをつけて出力できます。そしてUV凹凸印刷で、AIのコラージュとドット絵の組み合わせによる、奇妙な質感の作品をつくりはじめました。この作戦はうまくいって、デジタル起点でありながらもキャンバス作品として扱ってもらえるようになっていきました。そしてAIの出力する“油絵っぽい”ストローク、そして構図、そういったものを見ながら、自分の中になかった西洋絵画の文脈を少しずつ学習していきました。油絵の具の匂いが苦手で、これまで西洋絵画を描くことには全く興味がなかったけど、AIというテクノロジーを通すことで興味を持てるようになったというのは大きかったです。現代美術やデジタルアートにおいてはそれなりのキャリアを積んできたけど、西洋絵画においては今のところ、僕の先生は生成AIなのです。
3-1.自分の拡張としてのAI(絵・動画)
PCやスマホ、テレビといったデジタルテクノロジーを、僕は“窓”の派生だと考えています。例えば、電車や車の窓は、乗る人間に外の動く景色を見せてくれます。テレビは、世界中の風景や出来事を見せてくれます。そこにこちらから影響を及ぼせるようになったのが、ビデオゲームやコンピューター、スマホでした。そしてAIという装置は、さらにそれらの進化系として、「窓でありながら、鏡でもある=マジックミラー」の状態を作り出すことができます。
AIに自分の意見や見解、視点、技術を教え込む“学習”や日々の会話により、AIはユーザーのパーソナリティに適合して、それに即した意見や技術を教えてくれます。そこにはあなたを映し出し拡張する“鏡”と、あなたではない向こう側の景色を映してくれる“窓”が同時に存在する。その点でAIは、自分が乱反射し拡張される「マジックミラー」的な効果を持つテクノロジーだと言えます。
3-1では、鏡的な要素を持つ、「自分の拡張としてのAIとの付き合い方」について、僕がこれまで作ってきた作品をあげながらまとめています。僕の場合は絵を書いたり、動画を作ったりという、そもそも自分がやってきたことをAIにお願いしながらそれをディレクションし、時には自分も加筆したり編集したりと、AIと自分の間を作品が往復して完成していくようなプロセスを採用しています。
①2015年、AIとの出会い 範宙遊泳の演劇『幼女Xの人生で一番楽しい数時間』(2015)

「DeepDream」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。僕がこの言葉を知ったのはおそらく2015年のこと。僕が大好きなテリー・ギリアム監督の映画『ラスベガスをやっつけろ』でのめくるめく幻覚シーンが、GoogleのAI・DeepDreamというプログラムによってさらにバッドな感じに加工されているのをたまたま見て、「これはものすごいことになるぞ」という予感がしたのがAIとの出会いでした。
シュルレアリスムの再来──要するにかつて多くの作家によるムーブメントとして成し遂げようとした「人間の無意識の発掘」を、今度はAIが試みるのではないかという予感に心躍ったのを覚えています。その後、無料公開されていたDeepDreamのツールを試しに使ってみたくなり、ちょうどその頃制作していた、僕が所属する範宙遊泳という劇団の『幼女Xの人生で一番楽しい数時間』のチラシに、エフェクトとして取り入れてみました。僕が作った3DCGの鳥居やちょっとしたオブジェクトにDeepDreamをかませて、うっすらと目のようなものを表出させた。とても控えめな使い方だったけど、この時すでに十分、僕の心はAIに惹きつけられていました。
AIにやってもらった範囲:作者が作った3DCG素材にDeepDreamのエフェクトをかけた
作者がやった範囲:AIが作った画像と作者が描いた絵をコラージュして作品にした
②キャンバス作品を作りながら学ぶ 「仮想大戦」 (2022)

その後しばらく経って、2022年に「DALL・E 2」というモデルが、OpenAIからリリースされました。DeepDreamとの出会いでシュルレアリスムの再来を感じていた僕は、シュルレアリスムを代表する作家の一人である“ダリ”という名前を冠したプログラム名を見て、「だよね!」と思ったのを覚えています。やっぱりAIはシュルレアリスムの再来なんだ、と。
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