孤独よ、ありがとう。キミは絶望だけじゃない。
孤独には、2つの顔があると思う。
ひとつは、耐え難き苦しみと絶望感を伴う黒孤独。もうひとつは、快適で心地のいい白孤独。
黒孤独は、親しい人との別離や失恋、理解されない意見や価値感など、絶望の暗闇に突き落とされる苦しみのこと。できれば味わいたくない地獄である。
白孤独は、自分ひとりだけの自由気ままな状態のこと。誰からも干渉されない天国だ(寂しがり屋さんには地獄かも)。
こんな二面性のある孤独だから、勝手に白とか黒とか名付けて親しんでいる。
今日は私がもっとも大事にしている、白孤独の話しをしてみたい。
白孤独は、ひとりを満喫すべく積極的に獲得したい孤独のことだ。でも、ただのひとり時間のことじゃない。
楽しいとか興奮するとか美味しいとかのひとり時間に、思考が加わると白孤独になる。
しかも孤独というくらいだ。ちょっと寂しい気持ちになれば思考するにはもってこい。
例えばひとりで美味しいお店に行ったとき、または美術館で心が震える作品に出会ったとき、その昂揚感を伝える相手は隣にいない。そんな軽い寂しさがあればいい。
本を読んで映画を観て、感動したりちょっと違うなと考えたり、思ったことを伝えたいのに誰もいない。誰に伝えていいかもわからない。
こんな虚しいような寂しさが、熱くなった気持ちに水を差す。
そうすると、感情が言葉になって騒ぎ出す。自分が何を思い、何に心を動かされ、何に寂寥感を覚えたか。
楽しい場であればあるほど、ひとりの寂しさは身にしみる。だからこそ、嬉しさや興奮の気持ちが際立つのだ。
言いたくてたまらない想いや感動は、文章にして一気に吐き出してしまえばいい。
そしたら気持ちがスーッと落ち着く。寂しさもフーッと消える。まるで誰かに「今日すごい面白いことあってさ」なんて話すみたいに。

誰かに話して盛り上がるのもいいけれど、書く方がずっとずっと冒険的。
とにかく書く。ちゃんとした文章にしなくても、文字には起こす。
それすなわち、自分の心との対話なのだ。
お、ワタシ、ちょっと深いこと思ったんじゃないのと喜んで書いたら、なんだかすごく薄っぺらかったりする。
妄想を文字化すると、往々にして陳腐になるのだ。
浅はかな内容だと気づいたら、いや、ほとんど浅はかなんだけど、それなりに考えを膨らませてみる。ひとりで一喜一憂して、なんとか言葉を積み重ねると、思考はどんどん強固になる。
こんなこと、ものを書く人なら当たり前にやっていることかもしれない。
それでも敢えて記事にしたいと思った。我が友・白孤独に感謝の気持ちを込めたくて。
白孤独は意識しないと獲得できない。本も映画も旅行もショッピングも、楽しく過ごすだけの繰り返しなんてうんざりだ。
そんなの飽きる。疲れる。受け取るばかりじゃつまらない。
吸収したものを、自分なりに編集して積み上げていくから飽きないのだ。
このnoteだって、いろんな思いが編集された記事の集まり。
だからきっと面白い。アフィリブログにありがちな、お店やコンテンツ紹介とは違った顔がある。

メンタル・自己啓発系の記事ではありません。
白孤独は、筆者のただの性癖です。
白孤独は、文章を書くためのトレーニングではない。確かに役には立つけれど、それはそれ。
感動や疑問や得た知識なんかを文字化して、思考して、自分らしい考え方や価値感を紡いでいくのは、刺激的で楽しい冒険である。
大げさにいえばアイデンティティ、自分スタイルの発掘だ。
そこまで壮大じゃないけれど、まあ、ものは思い込みだし。
こんな話しは面と向かって話せない。照れるだけだ。でもここに本音をこっそり書いて、私はちょっとスーッとしている。
