料理をすると心が整う。料理下手でも料理を愛する、唯一の理由
私は以前、料理するのが嫌いだった。いや、苦手だった。
今は信じられないくらい、料理をするのが楽しい。
▼手を掛けることでかえって面白くなった
そうなったきっかけは、炊飯器が壊れたことだと思う。
とりあえず、手持ちの鍋で米を炊いた。
そしたら目からうろこ、いや舌を疑うほど美味しくて驚いた。
鍋で炊飯してみて、米が炊けるまでの過程が目に見えた。
自分の手で作り上げる面白さに出会ってしまったのだ。

洗い方、水加減の試行錯誤、
米の種類の試行錯誤、
どれも全然、味が違う。
めちゃくちゃ楽しい。
▼「料理をする」ことの思想を知る
そしてもう一つ。料理研究家の土井善晴先生の本との出会いが決定的になる。
「おいしいもののまわり」という本には、レシピはいっさい書かれていない。
命を繋ぐ「食べること」とは何か、料理を「作ること」とは何かを教えている。
そんな大事なことが、やさしい言葉で澄み渡るように書かれている。
読むだけで心が落ち着く、お守りのような本だ。
レシピ以前のもっと大事な考え方、料理をすることの思想である。
この頃は素材の大切さを物語ることが少なくなったように思う。素材そのものの話よりも、「どうやってつくるの?」という話ばかり。気がつけば、私たちは自然からずいぶん離れてしまっているのかもしれない。
「おばあちゃんは芋を煮るのが上手だったね」という。それは、おばあちゃんは芋を上手に煮る技術よりも大切なことを知っていたからだ。
〜中略〜
それは、おいしく煮えるお芋を求めること。里芋であれば新芋が採れる秋。それも堀立てのツルリと皮がむけるような芋であれば、どのように煮ても……たぶん、誰が煮てもおいしく炊き上がる。おばあちゃんは、芋を煮ようと思う時期を間違えないし、おいしく煮える芋を選んでいる。

こういうことを考えながら、作りたい。
何がきれいなことか、美味しいことかを考えたい。
だから、家の中で「料理を作る人」になりたくなる。
では、正確に計量すれば、百点満点のおいしいお料理がつくれるかといえば、そうではない。
〜中略〜
そもそも料理はつくり手の五感を総動員してつくるもの。おいしくつくろうとすれば、無意識のうちに感性も働かせている。ところがレシピに頼れば、人間は油断するのが常で、自らの感性を働かせなくなる。流れ作業のように機械的につくると、料理はその程度の味になる。

▼美味しいと感じること。その正体は所作
本に書いてあることを、ただ淡々と真似していく。
・季節の食材を使う。
・肉や魚や野菜など、食材によって布巾を使い分ける。
食器用、レンジ用の台拭き、食卓やお膳の蚊帳布巾も全部、別。
これらは衛生管理上、必要なことである。
・右手は、包丁などの道具を持つ手。左手は、素材に触れる手。
衛生管理だけでなく、素材の様子をしっかり手に伝えるために。
他にも多くのことが、そうする意味と共に書かれている。
これらは、料理をするひとの所作だ。
所作とは、立ち居振る舞いやしぐさのこと。
美味しい料理を作るための基本は、所作ではないかと私は思う。
なにも流麗で細やかな動きで作る、ということではない。
食べることを考え、清潔な手で道具や食材を丁寧に扱うということだ。
背筋をピンと伸ばして、しっかり見て、手を動かすということだ。

所作が整うと、食材や道具、器と対話しながら作るようになる。
ここで切れば味の染みこみはどうだろう、塩加減はこれでいいのか。
美味しくなるかを食材や道具に聞き、その答えを手で感じとる。
土井先生は、こういう流れが「きれいなお料理」を生むと語っている。
五感を働かせると、心が鎮まり、自分自身が段々整ってくる。
落ち込んだり調子の悪いときこそ、心を無にするよう務めてみる。
モヤモヤした胸の辺りに、冷や水浴びるような落ち着きが得られるから。
▼楽しいはきれい、きれいは美味しい
洗ってザル上げした米が、ふっくら綺麗な乳白色になってくれると、米にありがとうと声を掛ける。
玉子焼きが輝くような黄色に仕上がると、上等のお皿に盛り付け直す。
大根のぬか漬け具合がいいと、いつもより厚めに切って愛らしく盛り付ける。
そうすると、料理はきれいになる。楽しくなる。美味しくなる。
そんな心のリズムが出来てくる。

水に浸さなくてもふっくらツヤツヤ。
余計なぬめりのない、
サッパリもっちりのご飯に炊き上がる。

冷蔵庫の残り物でも、
きれいに見せたい。

手作り時間は、1分弱。
この時間、惜しむ理由ってある?
いまだに、豪華なレシピが作れない。
流行のメニューが作れない。
得意料理も確立していない。
そんなことは、おいおい覚えればいいと自分を甘やかす。
でも、きれいな料理を食べることはやめたくない。
所作さえ整えれば、きれいな料理は完成する。

「さあどうぞ」と心穏やかに差し出すものが出来たのなら、それは多分、きれいな料理だ。
卵かけご飯、ひとつであっても。
