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物語を“摂取”すれば、シアワセ度数が上がる法則

3年も前に投稿した記事が、少々悩ましい。
田山花袋の『蒲団』について書いた記事だが、最近、こんなコメントをいただいた。

ハルカさんの記事を拝読していますと、
中年男性の恋心みたいなのを、
よく理解されてるなあと、
読んでいて全部見抜かれてるようで、
すごいなあと感服しました。

<自らを中年男性と称される、
坂本猫馬さんからのコメント抜粋>


いや、それは、ただの耳年増ききかじりでして・・・


などと返信コメントをつけたものの、ついに本心は書けなかった。

だって私、中年男性の人生を歩んだことがあるのだから。
いやもちろん、本の中でのことだけど。


物語は、自分のもうひとつの人生


だいたい私は読書において、ストーリーの面白さより主人公になりきって世界観を楽しむ方が断然多い。

そのせいか、登場人物の感情リアリティには少々うるさい。
SFやファンタジーの突飛な世界観設定でも、人間の感情にリアリティがあれば没入できる。
屈折して問題を抱えているタイプに肩入れしてしまう方だ

冒頭に出した田山花袋の『蒲団』もそのひとつ。



主人公は竹中時雄という中年男。このオッサン、読めば読むほど気色悪い。意気地がなくて傲慢で卑劣で見栄っ張りで、女弟子への恋心が最後まで見苦しい。
だからこそよくわかる
人の心はおよそ醜い。それが赤裸々に語られている本作は、妙に危なっかしくて放っておけない。
そこまで下劣になれるかと呆れながらも、よくわかるのだ。
不甲斐なく身悶えし、懊悩おうのうし尽くすオッサンの想いが。どうしようもない欲望が。およそ恋とは、こういうものかもしれないと。

最後のページを読み終えたとき、ハァァ・・・と深い溜息が出た。やっと苦しい恋人生から解放される安堵感に、炭酸水をガブ飲みして人生を出直したくなるような。

女の私が、いつの間にかオッサンの人生を一緒に歩んでいたのである。
裏目裏目に出る行動に、まるで自分ごとのように人生の滑稽と過酷さと己の愚かさを感じながら。

こんな感情や感覚を、“自分ごと”として味わうのは妙味かも。
いや、妙味だと知っているからやめられない。

そもそも読書というのは、私にとっては栄養成分摂取なのだ。
自分の感情がカラッカラになってきたら、いてもたってもいられなくなる。
成分不足の危機的状況。
早く物語に浸れ浸れと、心がざわつく。

そんなとき、noteなんかは手軽に読めてすごくいい。
ばーっとたくさんの作品に目を通し、「うわっいいな」と、せっせせっせと成分摂取。
物語成分は吸収がいい。いっぺんに私の血中濃度が高まって、体中を駆け巡る。こめかみの辺りまでじんわりと。

過去記事で書いた覚えがあるのだけれど、私は本を読了した直後に再読する。今度は最初からばーっと流し読み。15分ほど眺める感じで。いま吸い取った成分を、全身に浸透させたいダメ押しで。


恋愛ストーリーは、生きるための特効薬


このような没入感は、恋愛ストーリーにおいて爆裂する
そりゃあそうだ。
誰もが一度や二度、あるいはそれ以上を経験したい欲望であり痛みであり、希望だから。

主人公は男でも女でもいい。相手に惹かれ、苦悩したり失敗したりイジイジする想いがあれば、その感情をむさぼるように吸い尽くしたい。
主人公がひとつの恋に破れ、絶望の淵に立たされながらも生きている日常を感じたときが最高のカタルシス。
自身では決して経験できない壮絶、あるいは爽やかな恋愛ストーリーを、物語の中で「自分のもうひとつの人生」として歩むだけ。

読了後は、不遜だろうがなんだろうが、自分がひとまわりいい女になったと錯覚する堂々と錯覚する。これこそ摂取して自分の人生みたいに感じる醍醐味だから。
涙を抑えながらも幸せホルモン全開で、肌艶アップ。プラシーボだろうけれど、思い込みってすごく大事。


まあ一度、お気に入りの恋愛ストーリーを思い浮かべてみてほしい。
往年の恋愛大作『タイタニック』とか『風と共に去りぬ』とかでも、涙した新作だって何だっていい。
頭によぎっただけで胸の辺りがどくんときたら、きっとシアワセ。

物語との伴走は、どんなときもやめられないだろうな。
たとえバアちゃんになっても、恋愛小説だけは摂取しているに違いない。
物語はなんだって許してくれるのだから。




▲冒頭のコメントを下さった坂本猫馬さん。
坂本猫馬さんは、田山花袋や谷崎潤一郎とのお笑い架空対談記事も掲載されています。


▲この記事で『蒲団』の紹介を好き勝手にしています。

▲『蒲団』は青空文庫で無料で読めます。恋地獄の懊悩おうのう世界をぜひ。
*「懊悩」なんてコトバ、『蒲団』で初めて覚えました。