優美な死骸#3「サビだけ歌ってマーメイド」

Spotifyの3ヶ月間無料キャンペーンに登録していて、3ヶ月が終わる頃に登録を解除しようと思っている。
Spotifyっておしゃれっぽい音楽が充満していて、うああなんかおしゃれだ〜!しか言葉が出てこない。したがって、おしゃれっぽい曲ばっかりお勧めされるので、わたしには敷居が高いな?!と慌ててしまう。
で、キャンペーン終了の解約予定日をきちんとスマホのカレンダーに記して通知をお願いしているのだけど、「あれ?まだSpotifyしてていいんだっけ?」とすぐ不安になってしまうのだ。2日に1回はカレンダーを見に行って、Spotifyの解約日を気にしている。
3ヶ月という永久性に驚かされるな。こんなに使わせてくださってよいのです?オールナイトニッポン0も聴けます。とてもありがたい。辞めるけど。
1年間でトイレに使う時間は通算〇〇時間です、とかいうのあるよね。私の場合、Spotifyの登録解除を気にしている時間でこの計算ができそうだ。できたところで、だから何、だけど。
はい、集合!
Spotifyの3ヶ月無料といえば、謎すぎアーティストもどきのシニエルさんがCMソングを担当していましたね?覚えている?ここで胡散臭いご報告なのですが、シニエルの歌詞は、私、三日月が担当しています。シニエルは、ソーダさん(あのソーダさんです)と三日月の二人組でやっています。
詳しくは後ほどシニエル公式アカウントのほうから発表されると思いますので、そちらをご確認ください。
以上!解散!

コンビニのうた【ご報告】
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こんにちは、シニエルです。
ソーダの作った楽曲『コンビニのうた』を僕が歌ってみたので、こちらに投稿しますね!動画の最後にはご報告があるので、そちらまでご確認ください。
◾️『コンビニのうた』原曲はこちら→
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▼コメント
シニエルのボーカル、ソーダ本人だったんだ、、、
こんな報告動画初めて見た笑笑
シニエルって、ソーダだったの?!?!
ソーダみたいな才能のやついるなと思ったら、ソーダ本人だったわ
ソーダ生きてたんだな、よかったよ。
だから私シニエル好きだったんだ〜〜〜納得〜〜〜
天才すぎ
シニエルのチャンネルで『コンビニのうた』っていう文字を見る日が来るとは、、、、、
この人、何やってもセンスで成功するんだわ
ソーダさんめちゃくちゃ声いいんだ.....好きになる.....
コンビニのうたをシニエルが歌ってて、しかもそれがソーダってのは頭バグる
シニエル全部聴き直そ
ソーダが生声で歌ってると思うとなんかエロいな
ふつうに泣ける
この動画すごくね?シニエルのチャンネルで、コンビニのうたが流れてるんだよ?しかもソーダの生声で!
シニエルもソーダさんも本当に好きです。
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芸能人が、シニエルの曲を【歌ってみた】動画。Twitterのトレンドに並ぶ、#シニエル#ソーダ#三日月の3連単。たまに、#コンビニのうた。これはソーダ作詞作曲のふざけまくった名曲ラップ。テレビをつければソーダの歌声、ネットを開けば三日月の歌詞。
あらゆるランキング、ストリーミング再生、何もかもでシニエルの文字。過去の楽曲まで聴き返され、過去に投稿したソーダの音楽も急上昇。
シニエルが結成された渋谷のヒカリエのスターバックスが一部の人たちの間で〝聖地〟となり、三日月ブログはファンの数が跳ね上がった。
「都合のいいパラレルワールドみたいですね」
「東京によく似た街で、偶然おれらが流行ってるみたいなかんじがするなー」
顔は出していないので、外を歩いても指をさされたりしないわたしたち。だけど精神の根っこがインドアなので、あいかわらず作業部屋に引きこもっていた。
生活の絵面がほとんど変わらないのに、外側の世界は動いていく。シニエルという怪物は、たくさんの人々からの注目を集めてぶくぶくと肥えていく。CDなどの形に残るものは販売していない。あくまで、ネットでの活動のみに専念するとソーダさんは断言した。楽曲制作以外の作業はなるべくしたくないらしい。
「CDなんて作ったら、大変なことになるぞ」
「印税セレブになれますよ」
「お金はあるとあるだけ大変だから、今くらいでちょうどいいの」
「ほえー」
「お嬢様には分からんでしょうよ」
ソーダさんは、じゃんじゃかギターを弾きながら話している。たまにじょうずな口笛を吹く。もう、うろ覚えでは歌わない。ほんとうに楽器が好きだというのが伝わるので、ソーダさんの音色はいつも楽しい。
それにくらべて、わたしは来月ぶんの歌詞をいまだ書けずにいた。どうしようにも書きたくないのだ。いっそこのこと、書けなくなりたい。そういう、気分。
「でも、わたしも自分でお金を稼ぎましたよ」
「重版かかってるらしいね、おめでとう」
「ありがとうございます、焼肉ご馳走してあげましょうか?」
「いらん、じぶんの金で食う」
思ったことをすべて歌詞にしなきゃいけないという強迫観念みたいなものに駆られている。この世にある言葉は有限だから、使いすぎるとわたしの言葉は枯渇してしまうのだ。
ある程度の数字が約束されている、シニエル。そこでは、いまのわたしが持っているいちばん力強い言葉を使いたい。でも、いまのわたしが好きなのは、綺麗なだけの言葉だったりする。なんの意味もなくて、ただの、見た目が美しい文字を並べたい。
そうしたら、みんなはがっかりするだろうか。私の好きなシニエルはこんなんじゃないって、非難するだろうか。あるいは、シニエルの曲を誰も再生しなくなって、実質的にしんでいくのだろうか。
だからって、書きたくもないものを書くのは、そんなのもう、趣味への冒涜だ。もし、今もこの現状を〝趣味〟と称してよいのなら。
「人の金で食う肉は美味いって、ことわざで聞いたことがありますよ」
「おまえの金で食う焼肉がうまかったら、おれはいよいよだめになる」
「わたしのほうが若いから?」
「そーかもね」
ふひゅう、口笛を吹くオオカミ少年。わたしは、何度だって騙されてあげるやさしい大人。わたしにとってのソーダさんは、いつまでたっても少年のままだ。第一印象が、清潔でぶっとんだ男子高校生のところで止まっている。垢抜けたとも思うけど、わたしはそんなにソーダさんの外見に興味がないから分からない。髪の毛切ったのとか、気づいてあげられたことないし。
「いつか、ソーダさんに美味しいお肉をじぶんのお金でご馳走したいです」
「だまれクソガキ、学生は牛角に行け」
わたしよりもはるかにクソガキポイントが高いくせに、そんな言葉を吐き出すソーダさん。そういうところがクソガキなのでは?とは言わなかったし、言わなかったけど、思ってることはどうせ見透かされている。
相手の気持ちがわかることと、思いやりがあることとでは、だいぶ大きな違いがある。わたしたちは、お互いの気持ちがわかるというよりも、お互いについての察しがいい。これは単に過ごした時間と密度のおかげだと思う。
「ぎゅうかく?」
「そ、牛角で甘辛いタレがかかってる豆腐を食べろ。ちょううめー!ってなるから」
「焼肉屋さんで畑の肉ですか」
「それが通(ツウ)ってもんなのよ」
ソーダさんのお茶を濁すような会話は、わたしの呼吸を整える。ソーダとお茶でややこしいな、ソーダ水と苑田彗はリリックが心地いい。
「ソーダさん」
「どした?」
「歌詞、かきたくないです」
「どして?」
「ほんとは、今日までに提出する日だって覚えていたんですけど、わざと書くのを忘れてきました」
「あらら、職務放棄だ」
その月の初めて会う日までに、必ず、書き上げた歌詞を提出するという約束だった。奇跡的にこの5年以上はそれを守ってきたけれど、わたしははじめて約束を破った。
わたしは、忘れ物がひどい。ここにくるまでの道のりで、ソーダさんに買ってきてとお願いされたものはほとんど買い忘れてくる。きちんとレジまで持って行くことができても、受け取って帰るのを平然と忘れたりするし、お金を払い忘れそうになったこともある。そのたびに、店員さんに本気の土下座したくなる。
あらかじめファイルで送っておく歌詞だっていつも誤字だらけだし、いまだにソーダさんの家にひとりでは辿り着けないので運転手さんに送ってもらっている。だけど、歌詞を提出することと、毎日ブログを書くことだけはこの5年間でいちども欠かしたことがなかったのだ。
「まあ、忘れ物は、三日月のすぐ隣にある言葉だから仕方ないね」
たしかにソーダさんは、コンサルの仕事が向いているかもしれない。すぐ情緒不安定になるわたしのカウンセリングをよくやってくれているし。
定期的にもう書けないなーって思ってしまう。これはきっと、ある種の自衛だ。ほんとうのところは、文章を書くのがとても好きなのだと思う。そもそも、脳内でいったん文章に組み立ててから、機械的に出力するような生き方をしている。
だけど、こわいのだ。好きだからこそ、好きなものを誰かに否定されるのが怖くて仕方ない。
シニエルの歌詞は、どんなにつまらなくてもある程度の人間の目に触れるものだ。それが約束されている。誰にも読まれない言葉なら、ものすごく気が楽だろう。肯定されない代わりに、否定されることもない。じぶんだけが肯定していれば、あとは、わたしを見つけてくれない世間がわるいと思い込めばいい。
そうしているほうが、ずっといい。今のわたしは三日月の実力の無さがばれることに怯えていて、そのくせ、ほんとうはもっと凄い力が眠っているんだぞって言いたくて、どうしようもない。
「大衆にウケる音楽を、嫌いになってしまいました」
流行りのラブソングを、聴けなくなった。それは、ばかにしてるとか、ラブなんぞまやかしだとか言うのではなくて、しょうもない嫉妬によるせいだ。それも、えー!こんなすげーものが描けるのか!というポジティブな嫉妬じゃなくて、ふうん?こんなつまんない曲が売れるのか?というネガティブすぎる嫉妬。
あーあ、もう、さいあくなじぶんに反吐が出る。
わたしだって書けるよ、そんなつまんないラブソングくらい。ラブには経験も自信もないけど、なんか書けるような気がするよ。でも、それをしたら、ただの百番煎じでしょう。盗作にもなりきれない。
売れたい、書きたい、求められたい。でも、へんな売れ方をしたくないし、好きなものしか書きたくないし、自分のためだと言い張りたい。
「ソーダさんは、まね、しますか?」
「するする、めっちゃする」
てきとうに2回頷いて、彼はゲーミングチェアの上で三角座りをした。もともと大柄ではない人だけどさらにコンパクトになったので、少年っぽさが際立っている。まだ、23歳なのだ。出会った頃からずっと成功者なので、つい忘れてしまうけど、まだ、23歳。
それに、ぶっ壊れた倫理観のどこかで、彼は妙に達観したところがある。
「音楽も言葉も有限だもん。どこかで聴いたような音楽しか作れない気がするし、そうなるとまねって言われても仕方ないよなーってかんじのかんじ」
「けっきょくわたしが覚えた言葉はどれもすべて、誰かが使った言葉なんですよね」
このことを考えると、いつもちょっと落ち込んでしまう。ソーダさんのようにゼロからイチが作れない凡人のわたしは、ずっと誰かの二番煎じだ。いつも、どこかで聞いたことがあるような歌詞しか書けない。みんなが感じたものを言語化するのがすこしだけじょうずだったから、共感してもらえただけだ。
この適度な凡庸さが、ソーダさんの過度な才能と相性が良かったのだろう。これは偶然じゃなくて、彼による必然だと知っている。
「でもね、おれは三日月が選んでくれたから、うれしくなるんだよ」
「ありきたりな言葉でも?」
「いいよ、おれには特別にみえるから」
天然と計算のちょうど中間。ソーダさんの口説き文句はあざとくて、だけど自惚れるにはひとつ足りない。お金と言葉はいくら使っても足りないし、愛はすぐに有り余る。それに歪んだ承認欲求は、どこまでいっても満たされないな。
承認されるために書いているのか、自分のために書いたものが星の巡り合わせで他者から承認されたのか。
はじまりは、後者だった。拗らせたチュウニビョウには欲なんかなくて、いま思えば、あれはけっこう綺麗なものだった。それだけは覚えていて、だからこそ、増えていくファンの数字が両の眼に感じてしまう。
わたしの、浅い底を暴こうとしているのでは?作らされた歌詞の低俗性を見抜こうとしているのでは?わたしの書いたものが心から好きで、もっと欲しいと求めてもらえること。その奇跡をありがたがっていたいのに、その当たり前なありがたさを忘れそうになる。わたしは、退屈を嫌いすぎているな。
「いまのじぶんが書きたいものと、シニエルが求められているであろうものが一致しないんです」
「書きたいものを書くんじゃだめなの?」
「むしろ、いいんですか?いろんな数字がめっちゃ減るかも」
「べつに減ってもいいよ、趣味だもん」
音を重ねて音楽を作るという、彼最大の趣味に勤しんでいるソーダさんは強がりでもなんでもなく、本心から言ってくれているのだろう。パソコンに三角座りで向かいながらへんてこな音をごちゃごちゃさせているソーダさんが、この世でいちばんソーダさんだ。音というおもちゃを与えられた、麗しの悪童ってかんじがする。
「ソーダさんは、悪魔ですね」
「最初に言ったでしょ、おまえのタマシイはいただきましたって」
BGMにしてはがっちゃんがっちゃん混雑した音楽が、スピーカーから流れてくる。どんな曲を作るつもりなの。会話の邪魔になっている音楽にむかついて、編集しているパソコンの画面を睨みつけた。
笑ったソーダさんは、キーボードを素早く叩いて音の数をいっきに減らした。すると、いきなり音の質が良くなって、うつくしい音色に変化する。これは、効率よく日光を当てるために伐採された竹林みたいな感覚だといつも思う。完璧なバランスで余計なものが削除されて、すっきりと見通しが良くなるのだ。不思議。
「わたしがこんなにくるしんでいるっていうのに、休めば?の一声をかけてもくれないんですね」
「そらそーよ、知ってるからね」
才能しか持たない悪魔は、退屈そうに口笛を吹く。何かの曲を完璧な音程で演奏しているのだろうけど、わたしはソーダさんほど音楽に詳しくないので分からない。わたしの知らないものをあなたが知っていることですら、うらやましく思ってしまう。
「なんの曲?」
「おしえない」
「じゃあ、何を知ってるんですか」
訊ねると、彼はゆったりと右側の口角を持ち上げて笑ってみせた。笑顔でも作り笑いでもなく、笑顔に似ている無表情だ。
「三日月は、病めば病むほど良い歌詞を書くってこと。売れれば売れるほど病んでいくし、どんどん最高になっていくね」
孤独だから、詩を書くしかできない。顔のない誰かを呪いながら、人を甘やかす詩を書いている。ほんとうは、誰かを思いっきり傷つけるような言葉が書きたい。それで傷ついた人の顔を見て、自分よりも不幸な人をつくりたい。だけど、手に入れた愛を失いたくない。防衛だけの理由で、やさしい詩を書くことができる。すべてを失ってもよいのなら、平気でわたしは人を殺す詩を書くだろう。それこそ、中学生だったときのように。
「短命なのはおまえだよ、三日月」
わたしはずっと、胸の前で花束を見せながら、背中にナイフを隠していた。ソーダさんだけが、よく研いだナイフの存在を知っている。いまは隠しているだけで、捨てたわけじゃない。いつかわたしは、それで誰かをころすだろうし、あるいはじぶんをころすだろう。
「かわいそうだけど、おれの手によって殺されろ」
それとも、あなたの甘い毒によって殺されるとか。
いずれ詩が書けなくなった三日月を、ソーダさんはどうするのだろう。しょせんビジネスと割り切って、口紅のようにぽいっと捨てるのだろうか。安直に考えるなら、ソーダさんはそういうひとだ。どの扉を開けても応接間、百点満点でしか他者と向き合えない。彼には友だちも同僚もいるし、そういう話もたまには聞くけれど、フィクションみたいにさらっとした手触りをしている。
リアルでの対人関係とは、雨上がりのコンクリートのようにじめっとしたものだ。べたべたとは違う。むん、と息苦しい熱気がある。そして、その湿度こそが人と向き合うことの良さみたいなものであるし、副産物で副反応だと思っている。
ソーダさんには、その湿度と粘度がないのだ。だから気軽に付き合いやすいし、崩れないので綺麗そうに見えるのだけど。いざ踏み込んで触れてみると、それがただのプラスチックだと気付かされる。
「心配しなくていいよ、三日月」
「心配だってしますよ、わたしも」
「おれがおまえのぶんまで心配しといてやるから、おまえは何も考えずに生きてればいい」
とはいえ、わたしのことは、それなりに大事に想ってくれているらしい。そういえばわたしは、ひとから〝おまえ〟と呼ばれたことがなかったので、初めてソーダさんに呼びつけられたときに驚いた。でも、その響きには高圧的とか偉そうだとかっていう下品なかんじはまったくない。むしろ、自分の内側に入れた生物への呼び名ってかんじがした。ペットとか。
「離してあげないそのかわり、いっしょにしんであげるから」
現状維持は退化だと言う人もいるけれど。それでも、変わりゆく環境のなかで同じ温度を保ち続ける、精神の恒温動物であるソーダさんがわたしはすごくうらやましいのだ。
ソーダさんは、詩を書けないわたしを咎めなかった。だからといって、ゆるすこともしなかった。
「架空のアニソン作ってもいいですか」
「ソーダの悪ふざけみたいなことするじゃん」
「ソーダさんの悪ふざけみたいなこと、してみたかったんです」
帰り際にそんな言葉を吐いてみると、ソーダさんは「してもいいけど、おれはおれだし、三日月は三日月でいいんだよ」とつまんないことを言ってきた。小学校の先生かよ。彼自身もつまんないことを言った自覚があるらしく、ぐるんと目玉を回して肩をすくめた。たしかに、わたしはソーダのアンチかもしれない。
帰宅してからは、インプットが足りないのかもしれないと考えて、読書したり適当なインターネットを漁ってみたりした。東野圭吾の『毒笑小説』をぺらぺらと再読して、やっぱりいいなと頷いた。上品なブラックジョークは好きだ。
これは、わたしが超現実主義(シュルレアリスム)を好む理由とわりと近くて、皮肉に教養を着せてあげることで芸術として扱われるのを楽しく感じる。しかも、描いてるほうも気持ちが良さそうだ。
わたし自身、そういう詩が書きたいのかもしれない。口を開けて待っていればぽたぽたと言葉が降ってくる、雛鳥にもやさしいすばらしき世界。その言葉の群衆から綺麗なものだけをかき集めて、どうしようもない毒を吐きたいと思っている。
創作意欲がすこしずつ湧いてきたわたしは、大学の友だちから貰ったエナジードリンクを舐めながらインターネットを眺めていた。
インドアによる白い肌とか、肉付きの悪い体質のせいもあって、どうにも不健康そうに見えるらしい。いっしょに過ごしている人からの移り香で、死の匂いがするというのもあるかもしれない。そんなわけで、いろんなひとからエナジードリンクをよく貰う。
エナジードリンクは、正直あんまり好きじゃない。蛍光色の液体感は、あまりにも科学の味が強すぎるからだ。しかし、友だちからもらったエナジーを捨てるわけにもいかないので、インターネットのお供にしたりするわけだ。グリーンの爪で引っ掻かれたモンスターと視力を奪うブルーライトのコンビは、いにしえのオタクっぽくてよいかんじ。
それに、三日月やらシニエルやらをひた隠しにして生活しているわたしは、たまにどうにも疲労困憊に見えるらしい。学校の友だちに秘密にしていることが多すぎて、寝不足の原因をうまく説明できたためしがない。心配をかけてしまって申し訳ないなあと思いながら、ありがたくエナジーを受け取っている。
書籍化されたことにより、さいきんは「アルバイトが大変で、ね」というカードで切り抜けようとしているのだけど、さてどうだろう。
ぼんやり見ていたパソコンの画面下に、メッセージアプリの通知がぽこんと現れた。しかも送信主は、ちょうど、エナジードリンクをくれた大学の友人だ。
『ソーダって23歳らしいよ!』
そういえば彼女は、ソーダのファンだったっけ。ものすごく親しいわけではないけれど、同じゼミに所属していてお互いにシニエルを全曲知っていたので、なんとなく仲良くなった。友人作りで大切なのは、共通の話題と価値観の共有。これは、百点満点で他人と接する苑田彗から教わったことだ。
そのメッセージに適当な返信をしながら、やっと年齢を公表したのか、ふうんと思った。軽くSNSで検索をかけると、#ソーダさんや#23歳がトレンド入りしている。ソーダさんの年齢、そんなにみんなが驚くことかな。話題って、ほんと何でもいいんだな。
もしかすると、ソーダさんの年齢が意外と若くて驚かせたってことだけが、みんなの注目を集めているわけではないのかもしれない。普段はプライベートを見せない匿名性の高い存在が、当たり前に歳を重ねて生きていることを公言して、ちょっとした衝撃を与えてしまった可能性はおおいにある。
なんというか、着ぐるみの中の人のプライベートを見ちゃったような、禁忌的な感情。
ソーダさんはプライベートを見せるのが絶妙に上手い。年齢の公表だって、そういうことだ。彼は、自身の動画チャンネルで架空のコンビニの架空のCMソングを勝手に作って投稿したりする。単純に面白くて完璧な音楽センスは、いかにもソーダの真骨頂なのだけど、それだけじゃない。
彼は、そのふざけた1曲に独身男性がコンビニ通うというあるあるをのせることで、じぶんが平凡なひとり暮らしを送っていることを透かして見せるのだ。そういうのに弱い女って、一定数は存在する。そして、そういうことをソーダさんは無意識にやってしまう。
友だちと、メッセージでぽこんぽこんと会話する。
『Twitterトレンドに#ソーダがあると、女は全員いちど呼吸を整えるのよ』
『なぜ?』
『ソーダに対しては全員がうっっっすらガチ恋だから、いきなり結婚の報告なんか見ちゃったら心臓が止まるでしょ』
『ガチ恋なの?』
『うっっっすらね、うっっっすら。ぜったい無理なんだけどさ、アイドルとか芸能人と違って、なんか偶然そこらへんのコンビニで会えそうなんだもん』
こういうとき、ソーダさんの中身はけっきょく苑田彗でしかないなと思う。掴みどころがないというよりも、掴みたいけど掴んではいけないような神秘と狂気。相手を必要とする甘えたがりな愛嬌と、そっと突き放す残酷さの絶妙なバランス。
たしかに、ソーダさんはそこらへんのコンビニで会えそうだし、ファンに会ったらにこにこ喜んでくれそうな少年らしさがある。だけど、ソーダさんはわたし同様、インターネットに顔を出していないので、みんなはソーダさんの容姿を知らない。話しかけるなんて不可能だ。
それでいて、たまに実写の動画を投稿して、自身のきれいな手元を映したりする隙がある。淡い色のホクロが置かれた華奢な手首は、彼の中性的な雰囲気を端的に表していた。ギターを掻き鳴らす自分の指先が退廃的な色気を纏っていること、彼は知っているのだろうか。
あとは、やっぱり声。高いとも低いともいえない、気だるげで退屈そうな歌声。口笛をするときの、短い息継ぎ。そういう一部分から、ファンの方たちはソーダという人間を想像するほかない。
ソーダさんは顔も見せずに日本の女の全員を沼に落とせる、魔性の男だ。
一人暮らしの生活感を垣間見せながら、プライベートは明かさない。その完璧なバランス感覚は、彼が倫理観の代わりに授かった天性の才能のひとつだろう。実際、思い当たる節はいくつもある。初めて会った高校生の時でさえ「あ、このひとモテるだろうな」と思ったくらいだ。
ぽこん、新たなメッセージを受信する。
『三日月〜!あしたうちくる?てか、きて〜!』
なるほど。この男は、さっさと背中から刺されてしぬべきだ。
シュルレアリスムの手法のひとつに、『優美な死骸』というものがある。
複数の人間が、お互いに他の人間がどんなのを制作しているかを知らないままで、自分のパートだけを制作するというものだ。で、それらをがっちゃんこ合わせて出来上がったものが、超現実主義ってわけ。ちなみに、“Le cadavre exquis boira le vin nouveau.”(優美な死骸は新しい葡萄酒を飲むだろう)という、この手法で予想外にできあがった言葉が高評価だったこと。それが名付けの由来らしい。
シニエルの新曲の歌詞の書き方は、いうなれば、優美な死骸に近いものがあった。わたしは、自分の持つ言語能力を超えた存在にひどくときめく性癖がある。だから、無機質なシステム的に言語が組み合わせられることを好ましく思った。
知ったばかりの季語、気に入った俳句の一節、偉人の名言、芸術の用語、綺麗な比喩。見た目が美しい言葉だけをわたしが好きに選んで、それぞれ個々に並べるように置いていっただけの詩だ。たしかに適当ではあったけど、我ながらけっこう気に入った。歌詞に意味なんて無いよ、届けたいメッセージもべつにないし。
ただ、綺麗な言葉が乱雑に並んでいる様は、見たことのない景色だったし、それを作ったのが自分だと考えると、なんだかすごくよかった。
だけれども、自分が勝手に好きなだけの曲を披露できるような位置にシニエルは立っていない。シニエルの新曲をみんなが待ち望んでいて、ソーダには100万人のフォロワーがついていて、三日月は小説家という肩書きを持った。だから、みんなが口遊みやすいように、サビには耳馴染みのいい歌詞をつけた。覚えやすい語感、口にしやすいリズム。
けっきょく、それっぽく整えてしまったので、なんだかつまらないサビになった。わるくは、ない。納得したから、公開した。良くも悪くもないなあ、と、アートをかじる者にとって最底辺の感想を抱いた。
そして、今日も今日とて我々は、ソーダさんの作業部屋にふたりで引きこもっている。
わたしは、どうしても欲しくて再度購入した、自分用のYogiboに乗っていた。こんどは前よりも大きいサイズで、ラベンダー色にした。ソーダさんはインテリアのこだわりがあるのかないのか知らないが、わたしが勝手に私物を置いても怒らなかった。過保護と放任主義がよいバランスだ。
「わーい、シニエルの新曲がSpotifyのランキングで1位だってー」
「三日月はSpotifyを解約したのに」
「お?その話するか?」
「もう謝ったでしょ、ゆるしてくださいよ」
そんな穏和なソーダさんだけど、Spotifyの広告を担当しながら「解約しますね〜」とブログで話したことについては、たっぷり説教された。
いや、でも、ほんとのことだし。あと、わるいけど、いくら叱られたって、どうせわたし忘れちゃうと思う。たぶん、次の広告でも同じようなミスをするし。とはいえ、この件については三日月の正直者っぷりが表に出たのでわりと世間の評価は悪くなかったと思う。そうなんです、わたしは正直者なんです。ソーダさんには「だから何?」と反撃の余地も与えてもらえなかったけど。
そんなことより、だ。そんなことより。
「1位、ですか」
「しかも、他の過去曲がトップ5まで占領してる」
「こーわ」
「ね、こーわいよね」
ソーダが作った楽曲をシニエルで歌って投稿するという暴挙から、【ご報告】と称して自身がソーダであることを公表したソーダさん。そして、いちおう、歌詞は三日月という知る人は知っているブロガーが担当していたと公表されて、シニエルは話題を掻っ攫っていき、新曲は大注目を集めていた。
まるで、夢物語みたいでしょ。めでたしめでたしと添えたくなるようなストーリーだ。いまのシニエルは何を書いても売れるのよ。わたしの名前で書くだけで、てきとうな歌詞も大絶賛される。すごいでしょう。
他のアーティストの方々から、楽曲提供の依頼がたくさんきている。シニエルに関する作詞以外の全てを受け持つ、スーパー会社員のソーダさんは断ったけれど、大学生のわたしはそんなに忙しくもないのでほとんどお受けした。シニエルの歌詞を書くよりも、知らない誰かが歌うものを書くほうがずっといい。
「三日月さ、歌詞書くのヤになったんじゃないの」
ソーダさんがそんなことを言い出したのは、唐突だった。基本的に唐突に、突拍子もないことをやりだす人ではあるけれど、わたしが好きじゃない話題を振ってくるのは珍しい。
しかも、いまは休憩中だ。ソーダさんの家の近くに最近あらわれた美味しいサンドイッチ専門店。そこでテイクアウトしてきたものを、メゾン・ド・苑田のリビングでもぐもぐしている。
ちなみに、ソーダさんはからしマヨネーズのカツサンド、わたしはフルーツサンドを購入した。でも、1袋に2個ずつ入っていたので、ふたりで分け合うことにした。ソーダさんは、華奢な体躯に似合わずがっつり食べる。いや、空腹に気付かなければ何も食さずに生活しているから、がっつりした味が好きなだけかもしれない。
「歌詞を書くのはヤじゃないですよ」
「じゃあ、他のアーティストさんの曲書いてる暇あったら、うちの曲もさっさと提出してちょうだいよ」
「わたし、シニエルがヤなんです」
本音を包み隠さず吐露すると、ソーダさんは舌打ちを鳴らした。どことなく気持ちが毛羽立っているようだ。彼の心情はだいたいわかるのに、わたしはその神経をわざと逆撫でしてしまう。
「おれのことがヤなの?」
「いや、ソーダさんのことは好きですよ」
「じゃあ、なにが嫌なの」
「言ったら、どうにかしてくれるんですか?」
どうせ、わたしがこのどうしようもなく贅沢な苦痛から逃れる唯一の手段を知っているくせに、あなたはそれを実行してはくれないでしょう。わたしが欲しいものをくれたことなんてないくせに、わたしからはしっかり搾取している。
いまなら、わかる。ソーダさんは、わるい男だ。
シニエルが人気になったのも、三日月ブログの読者が増えたのも、ソーダさんのおかげに違いない。だから感謝すべきなのかもしれないけれど、いや、間違いなく恩人だとは思っているのだけれども。
でも、そんなの、わたしは欲していなかった。
反抗的なわたしを、彼はまっすぐに見つめてきた。瞳の色が淡くて、はちみつみたいだ。『トワイライト』に出てくるヴァンパイアのエドワードは、瞳の色がバタースコッチのような黄金だったことを思い出す。ソーダさんも、光の透け方によってはそう見えることがあるかもしれないな。推量の域を出ないのは、日光とソーダさんの印象が重ならないせいだ。
彼は別にヴァンパイアっぽくないけれど、エドワードとの共通点はいくつも見つかる。音楽センスがあるし、人の気持ちが読めそうだし、見た目は老けないまま100年くらい生きてそうだし。
「なに考えてるの」
じいっと焦がす勢いで見つめ返していたせいで、ソーダさんが訊ねてきた。びっくりしたので条件反射で「なんでもない」と答えてしまう。さっきよりも目尻が柔らかく緩んでいるのを見つけて、わたしは少しほっと安堵する。普段まったくと言っていいほど気分にムラがないソーダさんなので、感情を見せられるとどうしていいのかわからなくなるのだ。
「かわいい三日月が嫌がるものは、このソーダさまが何だって排除してあげるんだよ」
「なんだって?」
「そう、なんだって」
訝しむわたしの言葉を繰り返して、彼はふよふよと漂うクラゲみたいに笑った。この表現は我ながら下手だなあと思うのだけど、ソーダさんの微笑みはほんとうにクラゲとしか言いようがない。きれいな痺れを纏う毒。
「うそつき」
「うそかも」
「うそ、つかないで」
「うそ、つかないよ」
こういうところは、ほんとうにきらいだけど。きらいな痺れと魔法抱く。これは、高度な韻です。
正直であることは、必ずしも褒められることじゃないと思う。とくに、大人になるとそれは顕著だ。わたしは大人失格なので基本的に正直だけど、ほんとはたまに嘘をつく。嘘をつかないよって嘘をつくソーダさんは食べかけのフルーツサンドをお皿に置いてから、ゆっくりと口を開いた。
「いくら払えばいい?」
「え?」
「いくら金を払えば、他の奴のためにおまえは歌詞を書かなくなる?」
わざと目を合わせてくれないソーダさんが、視線をサンドイッチに落としたまま弱々しい言葉を吐く。ため息といっしょに溢れてきたような、生気のない声だ。
「お金のためにやってるわけじゃない、です」
「うん、わかってるよ」
「じゃあ、どうして」
一発触発の雰囲気を〝薄氷の上〟と言ったりするけれど、いまはその真逆だと思った。薄い氷のすぐ下の温度感で会話を転がしている。少しでも熱くなったら溶けて割れてしまいそう。ソーダさんが理不尽に怒り出すような気まぐれな人だとは思えないけど、いまの彼には、地雷を踏んだら壊れてしまいそうな危うさがある。
虚無の匂いが強くなる。さっきサンドイッチ屋さんまで歩いたときに見上げた空は、色塗りを忘れたみたいに真っ白だった。空に何も無いと、わたしは怖くなる。理屈のないその恐怖は、わたしがソーダさんに抱くものと限りなく近い。
そもそも、わたしはソーダさんの地雷くらい知っているはずだ。だけど、ちがくて。わたしの知らない地雷を抱えていそうないまこの瞬間のソーダさんからは、久しぶりの〝生〟を感じた。
「三日月が、他人のそれにやりがいを見つけたなんて想像したくもないからだよ」
「だからって、お金で買収しようなんてあんまりです」
「なら、どうしたらいいの?おれは、おまえに何を差し出せばいいわけ?」
自身の価値を提供しないと、対人関係で不安になるソーダさん。ギブアンドテイク、持ちつ持たれつ、それがソーダさんの完璧に乾いた処世術。なにも、いらないのに。あなたとこうやってサンドイッチを食べながら、漫画のこととかお喋りできたら、わたしはそれでいいのに。
「おれは三日月から、奪うことしかできないの?欲しいもの言ってよ、おれが持ってるものならなんだってあげるから」
ようやく顔を上げて、虚無の瞳がわたしを射抜く。色素の薄いビー玉は、奥底までが透けて見えそうで何も見えない。柔らかい浮雲を纏ったソーダさんの声には質量を持った感情が滲んでいて、もうすぐ小雨が降りそうだ。
「ソーダさん」
「うん」
「わたしが欲しいものなんて、あなたはとっくに知っているはずです」
食欲が失せて、放置されたサンドイッチの表面から水分が抜けていく。みんなが支持するシニエルだって、現実はしょせんこんなものだ。
わたしたちは、恋人や友人、家族じゃない。だけど、ビジネスパートナーと割り切れるほど冷めてもいない。乾いていた彼の処世術に、一滴の水か毒かをこぼしたのはわたしだった。じんわりとしめり気を帯びていくそれこそが、対人関係のただしい湿度だ。
「おれから、解放されたいの?」
だけど、そんな、人間みたいなソーダさんはわたしなんかの手に負えない。わたしは何も答えられずに、手持ち無沙汰でウェットティッシュで指先を拭った。
解放されたいと告げたら、あなたはどうするのだろうか。ソーダが引きとめるほどの価値を三日月が持っているとも思えないけど。
「どうして、わたしがほかのひとの歌詞を書いたらだめなんですか?」
「おれがヤだから」
「だから、その理由を聞いてるんです」
逃がさないように、捕まえる。会話だけじゃなくて、物理的に、わたしはソーダさんの両手首を捕らえた。華奢に見えるのに、触れてみるとわたしの手よりもずいぶんがっしりしているので驚かされる。
いつも通りわたしたちは、四角いローテーブルで隣り合う2辺にそれぞれ座っている。同じ辺で横に並ぶほど密な関係でもないし、真正面で向かい合うのも気恥ずかしいというか。そんなテーブルの角っこに距離を詰めて、彼の手首にゆるりと自分の手をまわしていた。ソーダさんの体温は、ひんやりと冷たい。
「むしろこれ以上どう伝えたら、おれの心を拾ってくれるの?」
冷たいけど、このひとも人間なのだ。空っぽなんじゃなくて、心の内、とくに弱いところを見せるのがひどく下手くそなだけ。だったのかも、しれない。
わたしに掴まれていた彼の手首が器用にするりと抜け出して、すぐにわたしの指先に自分の指を絡めてきた。その一瞬の隙にきちんとウェットティッシュで手を拭いたところが、いかにも完璧なソーダさんらしい。切ないほどに理性的だ。
ゆるりと繋がる指先は、何も伝えない。
「ソーダさんが教えてくれなきゃわかんないです」
「ばかみたいに口をぱくぱく開けてれば、過保護なおれが餌を与えてくれるとでも?甘えんなよ」
「じゃあ、こちらの憶測でいいんですね」
「相手の気持ちを想像することを、思いやりって呼ぶんだわ」
たしかにそうだ、わたしにはぜんぜん思いやりが足りていない。彼に甘えるばっかりだった。
「そんなに心配しなくても、三日月の精神の住民票は、ずっとシニエルに在りますよ」
繋ぎ止めた指先から、こころが流れ込んできたらいいのに。言葉なんかなくても分かり合いたいのに、どうしてわたしたちは、ふたりでひとりになれないんだろう。
すると、ぐう、と指からもっと広い面積を合わせられて、貝殻つなぎで握られた手からわたし自身を引き寄せられた。前にもこんなことあった気がする。デジャヴ的な既視感というよりも、ぽふりと包み込まれた虚無の匂いから水で薄められたノスタルジックを感じた。
「ぜんぜん分かってない」
「ソーダさ、」
「おまえは、ほんとに分かってくれないね?シニエルなんかどうでもいいよ。ただ、おれが嫉妬してるだけだって、どうして分かってくれないの」
いつもより早口で、ソーダさんが言わなそうなことを言っている。誰かに操られているみたいだけど、そんなことはありえないからこれは苑田彗そのひとだ。脳を通らず、心と口が直結したような話し方をする。じつは誰よりも慎重で、その場の空気を壊さないように言葉を選ぶソーダさんが、最も嫌う話し方だ。
抱きしめられている。気づいたときにはテーブルのそっち側、ソーダさんの座っていた辺に引き込まれて、わたしは彼の腕のなかにいた。
「三日月が、シニエルをやめたいのはとっくに知ってる。その理由がシニエルを嫌いだからとか、そういう単純で退屈な理由じゃないのもちゃんと分かってる」
「ソーダさんは、分かりすぎですよ」
「分かりやすいこと、しないでよ」
「わたしは正直者なんです」
「正直であることがつねに正義だと思うなよ」
ソーダさんの肩口に顔をうずめているわたしは、曇った声で反撃する。それしか、できない。縋るように背中に回された手が、すこしだけ震えている。心臓が動いている音が間近で聞こえてきたので、ソーダさんはアンドロイドじゃないことを改めて知る。
「おれも、正直になってもいい?」
「もちろん、いいですよ」
わたしも、控えめに彼の背中に腕をまわした。わたしのほうが小さいけれど、気持ちとしてはわたしがソーダさんのことをまるごと抱きしめてあげていた。このへたくそな甘え方が彼の計算だとしたら、わたしはもう絆されることしかできない。そもそも苑田彗に敵うはずがないのだ。
「おれね、シニエルしか、三日月を繋ぎ止めておく方法を知らないの」
シニエルさえなかったら、わたしは、もっと、きれいな感情でソーダさんと付き合えたと思う。合法的にお互いを利用し合うような、曖昧かつ割り切った仲じゃなくて、ふわふわとした実体のないもので繋がっていたかった。
その不安定で柔らかなふわふわこそが、こころであったのかもしれない。こころで、繋がってみたかったな。
「おれは、おまえにあげられるものが何もない。もらってばっかりで申し訳ないのに、おれ、何にも持ってなくて、」
ありあまる才能しか持たずにいる彼は、わたしを腕のなかに閉じ込めて、震える声を隠そうとする。この期に及んで、まだ、弱みを隠すつもりなのか。搾取されてばっかりだと嘆くわたしは、彼の何を欲していたのだろう。得体の知れない自分の欲求がじわじわと満たされていくのを感じながら、ソーダさんが唾を飲み込む音を聞いた。
「皮肉だよね、おれが三日月に返せるものは、三日月と離れてあげるっていうことだけなんだもん」
「わたし、離れたがっているように見えますか」
「うん、見える。でもね、おれは三日月がそばにいてくれたらそれだけでいいの。だから、唯一してあげられることを、おれの勝手でしてあげられない」
ほらね、皮肉だろ。ふは、と苦笑する音がした。ほんの数センチのところにお互いの顔があるというのに、耳と耳が触れ合うようにして抱き合っているので、表情がまったく見えない。
いつのまにかお互いが、相手の肩のうえにじぶんの顎を乗せていた。心臓の位置を重ねながら、反対方向を向いている。なんだかぴたりと組み合わさった体勢みたいで、ようやく、ふたりがひとつになれたような気分になる。
シニエルという名前だけが、わたしたちを、ふたりでひとつにしてくれる。ソーダがいなきゃシニエルはできないし、三日月がいないとシニエルにならない。なんと素敵な関係だろう。うつくしい依存だな。
ソーダさんから与えてほしかったものは、あなたの言葉だった。もしわたしが枯渇してなんの言葉も生み出せなくなったって、三日月としての価値がなくなったって、わたしに手を伸ばしてほしかった。
これはほんとうに傲慢で、ずるくて、契約違反なのだけど。三日月だけじゃない、深月流音というひとりの少女ごと愛してほしいと思っている。祈りでも願いでもない、ただ、思うだけのしょうもなさだ。
それだけのことをうまく伝える術を知らなくて、わたしは遠回りに輪郭をなぞるようにして核を目指す。
「わたし、ソーダさんから離れたいなんて思っていませんよ。ほかのアーティストの歌詞を書くのは、他人事って気が楽だからです」
「シニエルは、気が楽じゃない?」
「楽じゃないですよ。だって、わたし、がっかりされたくないから」
がっかりされたくないから、がっかりされる前に逃げ出したい。理想通りにうまくはいかないから、ここから一歩も動けない。いつも、新曲を書くのが怖い。あの頃の三日月のブログを読んで、とびきり褒めてくれたひとが、いまのわたしを受け入れてくれるのだろうか。
いまは、まだいい。いつか、もっと丸くなって、つまんなくなって、好きだと言ってくれた三日月が変わってしまったとき、がっかりしないだろうか。されたら、どうしたらいいのだろうか。
「おれ、言ったでしょ?他のだれかのことなんか気にしないで、おれのために書いてくれって、」
「ソーダさん」
言葉を遮って、彼の背中をきつく抱きしめながら苦い本音を吐き出した。ソーダさん、わたしは、他の誰でもない。
「───あなたに、がっかりされたくないんですよ」
たったそれだけの原動力で、わたしは最悪な詩を書いている。
シニエルは、ただ、わたしたちがお互いを認め合うためだけの居場所でよかった。インターネットのなかだけでじゅうぶんだった。退屈を口笛が鳴らす、放課後の楽園だった。新曲を作ってはお互いをべたべたに褒め合って、天才だねって、わたしたちはどこまでもいけるよねって、ばかみたいに肯定し合っていた。
それが、数年後に規模が拡大して実現しただけの夢物語だ。いざ、こんなところまで来てしまったら、ふたりだけのシニエルはもういない。お金も地位も人気も評価もどれもこれも、けっきょくわたしたちを満たせなかった。いつの日か衰退していくであろう自分たちを遠くに見据えて、その日を待ち望んでさえいる。
三日月ブログに初めてのコメントをもらった日。たったそれだけの、あの感動を、いまだに飽きもせず幾度となくなぞり続けているのであった。
「おれが三日月に、がっかりするわけないだろ」
「いつまでも、しないって言えるんですか」
「言えますとも」
「ソーダさんは適当な甘いことばっかり言うので、信用ができません」
深く考えないまま疑って言い返すと、ソーダさんはため息をついてわたしをやさしく突き放した。この〝突き放す〟は、肩口からぐっと押されて離されて正面から向き合わされたという動作の意味だ。
そうしてそれぞれのクッションの上に座って、ふたりで向かい合う。わたしの両肩にはソーダさんの両手が置かれているけど、重みはあんまり感じない。その絶妙な力加減から、ソーダさんの無意識の気遣いがうかがえる。
すると、無造作に置かれていたハーモニカをふひゅうと吹くという、ソーダ独特の作法で空気が入れ替えられた。
「じゃあ、もう、やめちゃおっか」
すべてを諦めたように笑いながら、これから手品を披露し始めるかのようにわくわくを煽る雰囲気を纏う。わたしたちのよく知るソーダさんが、久しぶりに現れた。
すべてを委ねてもいいと思える年上の安心感と、他者を弄ぶことへの享楽を覚えている悪童の微笑。これぞ、ソーダさん。This isソーダ。音楽的センスだの、編集能力だの、戦略家だの、そんな、どこかで見たことあるような才能の物差しでソーダを測ろうとしてはいけない。
生粋のエンターテイナーは、べつに音楽を聴かせることが目的じゃない。音楽という自分の得意な手段を使って、世界を翻弄することが彼の快楽なのだ。
「やめる、んですか」
「そ、だって、もう飽きただろ」
「ソーダさんは飽き性ですね」
「三日月のことだけは、飽きないんだけどなー」
甘さも含まずにこんな口説き文句を言えるのは、天性の人誑し故なのか。それとも、まさか、下心が身を潜めている?疑って、整った顔を覗き込むと、それに気づいた彼は意味深ながらも薄っぺらい笑みを浮かべた。
形の良い口を開いて、わかりやすいようにわざとらしく、一語一句をていねいに発言する。
「シニエルを、やめよーぜ」
ああ、もう、くやしい。
最高すぎて、なみだが出そうになる。
これだから、ソーダはやめられない。
この〝よさ〟が、ソーダのファンごときにわかるだろうか。ていうか、わたし以外の誰に分かる?わかってたまるもんか。最悪で最高なこの悪童が、人一倍感じている不安や揺らぎを、両足で踏み潰して隠している。そのうえで、自信たっぷりに無意味なトライアングルをちーんと鳴らすのだ。正しく並んだ白い歯を見せて笑いながら、内側を微塵も悟らせない。
へたくそな感情表現と、じょうずすぎる自己表現。突拍子もないことをいきなり言い出すけど、それには完璧な計画が裏付けされている。
そういうソーダさんが、わたしは、とてつもなく好きだ。そういう天才だからこそ、あなたについていこうと決めて、ここまできたんだよ。
