優美な死骸#2「夜を照らしてムーンライト」

告知から始まってもいいですか?
いいですね?いっちゃいますよ?せーの!
『月の満ち欠け、次の星影』
つきのみちかけ、つぎのほしかげ
いいですね、いいでしょう。こちらは、本のタイトルです。
なんの本かといいますと、、、!このたび、ここ、三日月ブログで気まぐれに公開していた短編小説や詩などをまとめたり加えたりしたものが、書籍化されることになりました!!!
なったそうです!なったんですか?ほんとに?夢かもしれない。すごいですね。これもね、読んでくれる皆様のおかげですよ。そう、いまこれを読んでるあなただよ、ありがとうね。
これからまた、詳しい告知みたいなことを重ねてしまうかもしれません、ごめんね。あと、告知はとても難しいです。今後もこのブログはよちよち続けて参りますので、どうぞよろしくお願いします。

「SpotifyのCMのシニエル知ってる?」
「シニエル?誰それ」
「そこに映ってるやつだよ」
「あー、きいたことある」
「正体不明だけど歌詞も曲も超最高なの」
「シニエルだ〜!好きなんだよね〜」
「まあ、昔のほうが良かったけどねえ」
「え〜むかしの曲しらな〜い」
「あーもう月末じゃん」
「明日はもうシニエルか〜!1ヶ月早いな〜」
「シニエルで毎月の感覚取り戻すよね」
「わかる、先月の曲もマジ最高だった」
「シニエルめちゃいいよね、新曲聴いた?」
「きいたよ、どんどん売れてくよなあ」
「古参アピかよ、初期が好きなの?」
「むかしの尖りはもう無いもんな」
「先月の曲、よかっただろ」
「いや、俺的にハズレだったわ」
みんながみんなシニエルを話題にしているので、わたしの知ってるシニエルとはまた別のシニエルが流行っているのかと思ってしまった。なんかの時事ワードみたいな。
渋谷、スクランブル交差点。大きなモニターにはシニエルの新曲が流れていて、信号を待つ大勢の人々がそれを眺めたり、スマホカメラで撮影したりしている。
わたしとソーダさんも一応それを見るために久しぶりの渋谷を訪れたのだけど、なんだかもう、不思議な気分だ。渋谷っていつも変わらず渋谷なのに、いつも流行に従って変化している。
その真ん中にシニエルがいて、なんていうか、それは親友が遠いところにいってしまったような気分だ。自分のことなのに、おかしいね。
モニターに映し出されているのは、わたしが描いた女の子のイラストがソーダさんの編集によって、歌に合わせてふにゃふにゃ踊っているアニメ動画。程よく脱力したソーダさんの歌声と、無意味に見た目がいいだけのわたしの歌詞と、皆殺しのメロディ。
曲が絞られて、かわりにSpotifyの短い宣伝がソーダの地声で告げられる。身バレを防ごうとしたのかわからないけど、耳元でそっと囁くみたいに話していて、それが絶妙に色っぽい。気だるげな吐息が性的だな。
Spotifyの初回3ヶ月間無料キャンペーンのアイコンに選ばれたシニエルは、テレビCMでも新曲をたっぷり流してもらっている。そのCMがかの有名なスクランブル交差点でも流れるというので、せっかくだし記念に、と思ってふたりで見に来たわけだ。感動の薄いわたしたちは、とりあえず写真だけ撮っておいた。
このCMで彼は初めて、話し声を電波にのせた。シニエルは、また階段をひとつのぼったようだ。
「おいで」
「あ、」
おそろしい人混みなので、ふらついて歩くわたしが他人に迷惑をかけないよう、ソーダさんが肩をごく自然に抱き寄せた。
「ほら、上ばっか見て歩いてると危ないでしょ」
「下ばっか見てるより良いことなのでは?涙がこぼれないように」
「おまえはもう少し前向きになれ」
「それは、そうです」
皺のないスーツからは、近づいても相変わらず何も匂わなくて安心する。ソーダさんを囲む環境がどれだけ変化しようとも、この人自身はずっとそのままでいてくれるのだ。
「シニエル、すき?」
「ふつうです」
「ふうん、俺もふつう」
シニエルであるわたしたちも、まわりと似たような会話をする。ふたり並んで歩いていても、ソーダと三日月だなんてばれることは絶対に無い。
20歳の大学生である深月流音と、23歳の社会人をやっている苑田彗。側からは、淡白な歳の差カップルとでも見えているのだろうか。あるいは、兄妹とか。
いつのまにか彼はふらっと就職して、会社勤めのサラリーマンになっていた。本人もよくわかっていないらしいが、スーツ姿は様になっているのでよいと思う。
『シニエルのモニターをひとめ見ておく』というタスクを片付けたわたしたちは、そのままヒカリエまで歩いた。そこの駐車場に、彼の愛車が停まっているらしい。ソーダさんはヒカリエに対して、なぜかものすごい信頼を置いている。
社会人になったソーダさんは、密かに車を購入した。トヨタのハリアーという、ちょっとごつめのハイブリッドカー。彼は車についてあんまり興味が無いらしく、「みんなが良いっていうから選んだ」と述べている。
わたしもまったく興味が無いので、「いい車ですね」とだけ返した記憶がある。新卒の社員が車を購入するのがどれくらいすごいことなのか分からないけど、彼の貯金がむくむくと膨らんでいることは容易く想像できる。
自由に副業が許されるという理由で入社を決めたみたいだけど、ソーダさんの勤務先はお給料もけっこう良いらしい。そのうえシニエルだって、今やCMにまで起用されるくらいだし、そこそこお金をもらっていたりする。
ちなみにわたしはソーダさんから振り込まれたお金をそのまま受け取っているけれど、金額や振り分けはよく分かっていない。格段に、額は大きくなっている。それくらいしか分からない。お金に関してわたしが知っているのは、「何も思わないほうがよい」ということだけだ。ソーダさん、信頼できるし。
そんな彼は寄り道したヒカリエのパン屋さんで「パンって高ぇ〜でもうめぇ〜」と悩みまくって、選び抜いた2つを購入していた。そのとなりで、金銭感覚が鈍いわたしは躊躇なく12個のパンを購入した。食べたいものが12種類あったので仕方ない。ソーダさんは「いつかルネちゃんは破産するけど、おれが養ってやるからね」と言っていた。
いっぱいのパンを買って大満足のわたしは、ソーダさんのハリアーに乗り込んだ。助手席でBGMを弄る、DJ三日月になるのが役目だ。
「シートベルトした?」
「はーい」
このままソーダさんの家に行くらしい。毎月新曲を公開していくというのはけっこうハードなことなので、レストランでゆっくりディナーをいただく余裕もない。まっすぐ帰宅して作業を進めるわたしたちは、おいしいパンを齧るのが精一杯の贅沢だ。
BGMには、日本のヒップホップを選んでみた。心地よい音遊びは楽しいけれど、スラングがひどいので後から言葉の意味を調べてびっくりする。これはわたしがソーダさんから教わった、悪い遊びのひとつの例。
「最初のときも、ヒカリエで待ち合わせたじゃん?」
「はい」
「今だから言うけど、あれさ、渋谷ならわりとどこからでもアクセス良いし、ヒカリエなら駅直通だから迷いにくいだろ、とか考えて決めたのよね」
ヒカリエの駐車場から脱出しながら、運転手が話しかけてきた。すっかり大人びた23歳の横顔は、大人の中では子供だけど、子供の中では大の大人だ。ゆるりと持ち上がった口角に、悪童の面影を残している。
夜を運転するソーダさんは、退屈な日常をどこか遠くに連れ去ってくれそうな妖しい魔力を秘めていた。
「何線に乗ってくるかも分からなかったし、当時の三日月はまだ中学生だったから、ひとりで歩かせすぎるのも危ないし」
「なるほど」
「でも、けっきょくおまえ、車で送り迎えだっただろ」
ヒップホップと渋谷と夜。俗の塊みたいな空間でいかにも俗っぽい思い出話をしていながらも、ソーダさんだけが神秘を纏っているからちぐはぐだ。こういう、趣味の良いアンバランスから、芸術って生まれるのかもしれない。冬に咲く向日葵は、つねに一定の人気がある。
「そう、わたし、お嬢様なので運転手がいるんです」
「それ知って、めっちゃウケた」
「電車がほんとうに苦手なんですよ。新宿駅から電車に乗ったのですが、電車を降りたら新宿駅だったことがあります」
「ふあ〜?なにそれ、ホンコワじゃん」
「だから、自衛として運転手さんにお願いしてるんです」
でも、ソーダさんの運転さばきを見ていると、わたしも運転免許が欲しくなってくる。身分を証明してくれるカードは、1つでも多いほうがいいし。教習所も行ってみたい。敷地内に信号とか踏切とかあるの、小さな街みたいですごく興味がある。
まあ、わたしは不器用かつ要領が悪すぎるぽんこつなので、運転免許の取得は周囲の人間から満場一致で止められているけれど。
「おれの予想を超えてくるの、この世で三日月ただひとりなんだよなー」
「わたしのアホ具合は、ソーダのイマジンを超えてしまった」
「ジョンのレノンも〝YES〟を言うわな」
「は?」
「うん、気にしないで」
「はーい」
運転中のソーダさんはいつも以上に脳細胞を使わず喋るので、「は?」ってなることをよく言い出す。会話と会話の繋ぎ目が雑になるらしい。知能指数を少しでも高めるために、クラシック音楽に変えてみた。DJ三日月は、こういう気配りができる。
「三日月、さいきんのあほっ子エピソード聞かせてよ」
「あほっ子の搾取ですか?」
「むしろ、笑えないレベルの失敗を笑いに昇華しようというおれのユーモア」
「大丈夫ですか?前ボタンのパジャマをうしろまえ反対で着ちゃう話とか、聞く覚悟あります?」
「なにそれ、怖すぎて聞けないな」
わたしたちは、ソーダさんの作業部屋以外では、不必要にシニエルの話をしない。あの部屋を出ると、ただの友だちってかんじになる。それなりに長い付き合いではあるけれど、あいもかわらずビジネス親友だ。これが彼との適切な距離感なのだと思う。
「もうすぐ着きまーす」
「気を抜いちゃだめですよ、家に帰るまでがお出かけです」
「なんかうるせー」
ソーダさんは、大学生のときの灰色の四角いマンションから、15階建の白いマンションに引っ越した。家賃とかはよく知らないけど、人間のステージが上がったのはなんとなく分かる。
慣れた手つきでバックから駐車しながら、BGMとして流れてきた『愛の挨拶』に合わせてソーダさんが得意の口笛を吹いてみせた。華やかなオーケストラも、彼が音にするといっきに月明かりを纏うので不思議だ。でも、そんな夜が耳に馴染んでしまっている。
わたしは音楽とくに楽譜について、いまだにあまり詳しくない。ただ、この曲を聴くと幼い頃に習っていたバレエのレッスンを思い出す。
そういえば、中学生のわたしは「バレエやめたいんだけど」と言い出すのにものすごく緊張したことがあった。習い事をやめさせてもらうのって、始めさせてもらうのよりもハードルが高い。これまでのお金や時間を無駄にしちゃう感覚とか、あと、わたしが楽しんでると信じて疑わない親を裏切っちゃう気持ちとか。子が親に対して「なんか申し訳ないかも」を感じる初めての瞬間は、習い事を辞めたいと申し出るときなのかもしれないし、違うかもしれない。
ソーダさんの車から降りて少し歩き、エントランスを通り抜けて、虫の入ってこれないエレベーターにふたりで乗り込む。[12]と[閉]を押した指先を見つけて、年月の経過をふと感じた。お金を持つと、人は天へと近づくらしい。
エレベーターの中にある全身鏡を見て、胸の辺りまで伸びた自分の髪を手櫛でささっと梳かした。これをしたからって、変化は無い。エレベーターの中では、「エレベーターに誰か他の人が乗り込んでくると、もともといた2人もなんとなく喋るのやめますよね」という気まずさの話をした。
この話の最中に6階あたりで誰かが乗り込んできたら面白いのだけど、マンションの上りエレベーターで途中から誰か乗り込んでくることなんて普通は有り得無い。ふたりだけを乗せたまま、無事に箱ごと12階に辿り着いた。
ソーダさんに続いて部屋にあがった。彼が大学生の頃に住んでいたマンションよりも、セキュリティやら何やらがしっかりしていて、学生から社会人への進化が見られる。前よりも重たくなった玄関のドアを、ソーダさんはわたしに開けさせないようにいつも押さえておいてくれる。これは507号室のときから変わらない。
その際、腕を広げた彼の無防備な胸もとあたりを擦り抜けるのだが、この一瞬だけは何故だか性的にどきっとするのだ。もっと近い距離で触れ合うことだってあるのだけど、そういうのは彼が意図してわたしに触れてくるものだ。風情のない、人工的なスキンシップ。
それよりも、ソーダさんという隠れた完璧主義者から無防備な人間性が覗く瞬間に、わたしは言語化できない〝よさ〟を感じとってしまうらしい。
この歪みかけた性癖をさすがに口に出すことはしないし、そもそも、相手の善意からなるものなのでノーサンキューにもしたくない。毎回毎回ちょっとだけ、いい意味で心臓がウッとなる。
「お邪魔します」
「うい」
そういえば、今日は水曜日だ。週の真ん中。シニエルの発展につれて作業(金銭が発生するようになったので仕事ともいう)も増えていき、週末もいっしょに過ごしたりすることが多くなった。
毎週水曜日の放課後、Yogiboに乗ってだらだらしていた日々はもう戻ってこない過去。よく片付いた玄関では、未開封のAmazonのダンボールが不気味に微笑んでいた。いつもいるね、きみ。その他に何も置かれていないから、なおさら存在が目立つのだ。
靴を脱いだら、洗面台で手を洗わせてもらう。不躾に棚を開けたりはしないけど、手を洗っている最中に、洗面台付近に置かれたものを目視で確認する癖がついてしまった。
「ソーダさん、恋人できました?」
「うん?なんで?」
「わっかりやすく、口紅が置いてありますが」
「うわあ、まじ?明日の朝ママから電話で叱られる〜」
肯定も否定もせず、ソーダさんはにこにこ笑って、そのルージュを脱衣所に置かれた小さいゴミ箱にまっすぐ捨てた。使用済みの丸めたティッシュを捨てるような自然さだったその手つきは、ほんとうにただのゴミとして処理をしていることを表している。余計なことをしてきた女性へ憤慨することも、少なくとも自宅に招く以上の関係性である相手のものを廃棄することへの躊躇もない。
その口紅が、きんぴかりんでYSLとか描かれているゴージャスなのじゃなくて、シンプルな直方体のジンジャーリップバターと呼ばれるタイプのものだったのを脳裏は鮮明に記憶した。ふうん、ナチュラル志向っぽいおねえさまですか。苑田彗の女性の好みは、季節といっしょに移ろう気がする。やれやれ、いつか刺されてしまえ。
「パン食いながら作業しよ、コーヒーだけ淹れるわ」
「すみません、お気遣いなく」
「やっぱその前に着替えてくる、ちょっと待っててね」
スーツ姿のまま寝室らしき部屋に消えていったソーダさんをぼんやり見送る。わたしはそのドアの内側に入ったことがないけれど、なんとなく想像がついた。
どうせ虚無だ。この人のなかには、何もない。才能とか愛想とか気遣いとか、相手に自分の価値を提供することしかできなくて、自分自身の中には何も残っていない。
歪んだ自己愛は、過度なサービス精神に変換されている。
この家は今いるリビングと、そっちの寝室と、それからもうひとつ作業部屋がある。作業部屋がいちばん落ち着くことを知っているのでさっさと移動したいけど、さすがに、勝手に侵入するほど打ち解けた仲ではない。親しき仲にも礼儀は必要だし。
モデルルームの備え付けみたいなシンプルな家具。住人の癖や嗜好が一切見えてこないので、ここで殺人事件が起きたら推理するのが難しそうだ。あまりにも、手掛かりが少ない。
〝生活〟のない部屋は相変わらずで、他人の情がそこかしこにべったりと染み付いていた。彼にたいして重たい愛情を抱く人間がここを訪れて、掃除やら料理やらをしてくれていると簡単に推測できてしまう。
食事にも料理にも興味がない家主を持ちながら、よく使い込まれたキッチンが生々しくて、わたしはそっと目を逸らした。
気を紛らわせるためにテレビをつけると、ちょうど、音楽番組の特番が放送されていた。年代別の人気アーティストを紹介していたのだが、シニエルは20代に支持されているランキングに入っていた。
『ティーン世代に大人気のシニエル』
『歌詞が良すぎて泣ける!言葉選びが最高!』
『正体不明の天才シンガー』
こういうのを、素直に喜べなくなってしまったのはいつからだろう。かつてのわたしなら『20代が支持しているアーティスト』の4位だなんて飛んではしゃぎたくなるハッピーなニュースだったのに。
『4位ですかあ、もっと上いくかと思ったな〜!』
スタジオでコメントを残す芸人さんに、心の赤べこがべこべこ首を振って激しく同意した。
外側は妙に冷静で、意識の遠くでテレビを眺めている。そのくせ内側では、1位じゃないのか、と少し落ち込んで、いま流行りのトップアーティストの方々の負の側面を探していた。わたしだって失恋ソングを描いたらもっと簡単に売れるし、とか。ソーダさんが顔を出したらこんなイケメン風シンガーなんかよりも人気になるし、とか。
流行として消費されるのが怖いのに、シニエルも、まさにその一部になっているような気がする。スタジオの中ではシニエルの曲の歌詞がべたべたに褒められていて、こんなの、どうしようもなく嬉しいはずなのに、ぜんぜん心が躍らない。
わたしね、みんなが聴きたいシニエルの曲、わかってるよ。先月の曲は正直、大衆に媚びて作ったものだ。すこし尖った言い回しも、思春期の切なさも、努力は報われる精神論も、ぜんぶぜんぶ、みんなが欲しがってるって知っていて選んだ歌詞。
まるで媚びていないみたいなスタンスで、そういう商売戦略までもが、売れるための媚びだった。だから、初期から聴いてくれているひとは「こんなの俺の好きなシニエルじゃない」とか言うだろうし、そんなのこっちはとっくに分かってる。
分かってるけど、もう、誰にも聴いてもらえない曲なんて作れないでしょう。そこに価値や意味を見出せるところに、今のわたしは居ないのだ。
『最新曲は投稿初日に100万再生突破でしたね、シニエルの勢いは止まりません!』
艶のある声のナレーションが、シニエルの楽曲映像に説明を添える。過去最高の再生数が回っていった。求められることをこなしていくだけの楽な仕事の味を知った。CMソングになって、みんなが口遊んでくれた。
こうしてわたしはきっと、高校生のソーダさんが泣き笑いした、あの感動の味を忘れていくのだ。ふたりだけの正しさを肯定していたあの日のふたりには、もう戻れない。
このままいつかは平気でありきたりな失恋ソングを書くようになって、どこかで聞いたような薄っぺらい言葉しか選べなくなって、そんな平凡にみんなが共感して泣いてくれる。
ああ、ほんとうに、ここは地獄だ。
わたしだけの言葉で描いた歌詞は、しょせん4位止まりなのだ。30代、40代の大人たちはシニエルの存在を知りもしない。だったらもういっそのこと、誰にでも言える直接的な歌詞にして、百番煎じの愛でも歌ってもらおうか。わたしは、自分をエモーショナルな人間だと思っている。だけどそれを見せびらかすのは、わたし自身の美学に反する。それでも、ソーダさんのぬるい歌声にのせられたときだけは、そんな感情の過激な振れ幅を許してあげられる気がしていたのだ。
努力が報われるなんて思ってないし、死ぬほど会いたがる恋人なんて信用できない。永遠の愛はたしかにあるかもしれないけど、それを口にするのは永遠を知らない若者だ。満月を綺麗だと言う人は、満たされている状態を美徳とする間抜けな人だと思っている。満腹よりも空腹でいたい。月が大きいと光が強くて、他の星が見えなくなってしまうでしょう。
ああ、もう、いやだ。たまに、全部が嫌になる。買い込んだパンなんて、食べたくない。
「みーかづき、コーヒー飲む?」
部屋着に着替えたソーダさんが、パーカーの袖を捲りながらリビングに戻ってきた。慌ててテレビを消したわたしに対して、ソーダさんは言及しない。
「のまない」
「うん?ほかの飲みたい?」
「なんにも飲みたくない」
「じゃあおれが、子守唄でも歌ってあげちゃう?」
「ぜんぜんいらない」
ないない尽くしで駄々をこねる最悪なわたしに、慣れっこのソーダさんは歩み寄ってきた。それから、よしよしと頭を撫でてくれる。大人しい犬みたいに黙って俯くと、髪を両手でわしゃわしゃにされる。ふふふ、とソーダさんの笑い声が耳をくすぐった。
「面倒だなって、思っていますか?」
「ぜんぜん思ってなーいよ」
「わたし、もう、なんにも書けない気がします」
「うんうん、そかそか」
色っぽさが微塵もないスキンシップだ。ソーダさんに見えているわたしは、中学生で止まっているのかもしれない。もう、20歳になったのに。ソーダさんも、変わらないけど。スーツを脱いだらふざけていきなりハーモニカを吐き出すような、変人の彼のままだ。
「てきとーに聞き流してますね」
「だって三日月、それ毎月いってるもん」
たぶん、来月もまた言うし。でもね、信じてほしいのだけど、これは嘘とか冗談話なんかじゃなくて本気でこの瞬間には考えてしまうのだ。この世にある言葉は有限で、いつかぜんぶを使い切っちゃうかもしれない。そうなったときの自分の価値って、だれが見つけてくれるのかな。
「先月の曲を更新できなかったらどうしようって、すごく不安になるんです」
「うん?更新って?」
「再生回数とか、みんなの感想とか、あと、ソーダさんが気に入ってくれてるか、とか」
「おれが気に入ってるほうがいいの?」
「そうです、ていうか、ソーダさんが気に入ってくれなきゃ意味がない」
勢い余って本音を漏らすとソーダさんはわしゃわしゃしていた手を止めて、甘やかにわたしを見つめてきた。色素の薄い瞳と視線が絡む、至近距離。こんなにも近くにいるのに溶け合えなくて、相手の感情すら分からない。わたしたちは、ふたりでひとつにはなれないのだ。
「わたしは、ソーダさんのためだけに、詩を書きはじめたはずなんです」
ただ、誰よりも、相手を必要としているだけ。彼はわたしの手首を引き寄せて、一瞬で捕まえた。クマのぬいぐるみを抱きしめるみたいに、ぎゅううと強く締めつける。やさしい体温に包まれたわたしは、彼の左肩の上に顎を乗せて、しずかに抱きしめられていた。ずっと奥のほうで冷えていた心臓が、じんわりと暖められて緩んでいく。
溶けることもできないふたりぶんの体温が、ゆっくりと馴染んでいくのを感じて無性に泣きたくなった。
「おれはね、朝起きたらまず最初に三日月のブログを読んで、三日月が生きていることを知る。その生活をもう何年も続けてきた」
「うん」
「三日月の見る世界は情報で溢れているし、それを、おれらの想像なんかじゃ追いつかない表現で教えてくれるでしょう」
透明な声が、近くにある。ソーダを独り占めできるのは、三日月だけの特権だ。でもね、あなたは、わたしだけのものになってくれない。わたしの言葉は、あなたのためだけにあるというのに。
アンバランスな熱量が、ずっと、むなしい。
「前も言ったよね、できることなら、おまえの言葉を丸ごと飲みたいよ。ひとつも忘れたくないし、ぜんぶおれだけのものにしたい」
ソーダさんの愛は、いつも欲してばかりいる。三日月の言葉を求めるくせに、どうせソーダさんは奥底にある言葉なんてくれないじゃんか。ああ、もう、どうしてだろう。美しいはずの言葉がひとつも心に響いて来なくて。だって、わたしが欲しいのは、そんな言葉なんかじゃなくて。
「ねえ、これより最悪の愛ってある?」
わたしを肩口から放した彼は顔を正面で見合わせて、整った眉を下げて困ったように笑ってみせた。思わずなんでも許したくなっちゃうような、かわいい顔をする確信犯。こんなときでも自分の魅せ方を完璧に把握している俯瞰的な男に、わたしはやっぱり泣きたくなった。
だけど泣かずに彼の腕からすっと離れて、持参したノートパソコンを起動する。ソーダさんもそれを引き止めはしなかった。これを最悪な愛と呼ばずして、なんと呼んだらいいのだろう。
いまこそ最高の詩が書けるということを、わたしもソーダさんも知ってしまっているのだ。
三日月の実年齢を公表した。
じつは先日20歳になりました、という旨のブログをしれっと更新したところ、SNSの波が小さく荒れた。ソーダさんの目論見通り「じゃあ、あの頃の三日月は中学生だったってこと?」と逆算され、思い出バイアスによって天才みたいな扱いをされたのもある。それと同時に、「三日月って若いのにこんなの書いちゃってたのか、嫉妬する」というコメントもつけられたりした。これは巧妙に褒められているようでいて、嫌悪に変わるのと紙一重だ。
それ以来〝三日月は中学生の頃から天才だった〟と言われ出して、わたしは笑った。中学生のわたしを、ソーダさん以外のだれも発見してはくれなかったじゃないか。ソーダさんがすごいだけだ。
「ノイズだな」
自分が表現したいものの邪魔になる騒音を〝ノイズ〟と称するソーダさんが、ため息を吐いた。ついでに、ちーんとトライアングルも鳴らした。それこそノイズじゃんと思ったけどもう慣れた。
たとえば、三日月ブログにとっての、深月流音というお嬢様である中身はノイズにあたる。ブログのおもしろさが圧倒的に下がるらしい。共感性がバグっているソーダさんだけど、この件については赤べこよりも頷いて同意したい。本当にその通りだと思う。関係ないけど赤べこは可愛い。
「ソーダは、年齢出さないんですか」
「出すつもりなんだけど、なんか、嫌にもなってきた」
彼は夕食のカップ麺を割り箸ですすりながら、眉を顰めた。激辛の真っ赤なラーメンに、一味唐辛子をかけて食べている。わたしはソーダさんに来るときだけ、合法的にコンビニメシを食べられるので、それをちょっと楽しみにしていた。
きょうは、新商品のミートソースつけ麺を食べた。あんまり食事に興味がないので、知らないものを買って食べるというイベントを楽しむことで、気付いたら終わってしまう。味はよく分からない。
あと、いまだにローソンとファミリーマートの違いも分からないな。水色のほうが、どっち?
きょう、ここに来たときにもコンビニに寄ってソーダさんからお願いされたものを購入してきた(つもり)なのだけど。その際、「おれ、Lチキ頼んだのにー!」と嘆かれたのだが、彼が何に怒ってるのか分からなくてきょとんとしてしまった。そのあとも「これはファミチキだろ?な?おまえが行ったのはファミマなの、そうだろ?」と推理みたいな説教をされたけど、けっきょく話が分からないまま終了した。そういう日々だ。そういう日々である。ソーダさんも「なんか食ってるうちにローソンの口になったわ、さんきゅー」とか言い出したし。彼のそういうところには、好感が持てる。
「年齢を出したい理由は?」
「一時的に話題になる」
「じゃあ、出したくない理由は?」
「作り手が生々しいと、なーんか冷めない?」
こちらは分からなくもないけれど、ソーダさんは顔を出したらさらに人気が上がると思う。なんたって、顔がいいので。
わたしは、あんまり他人のルックスに関心がない。言い方を改めると、他人のルックスの良し悪しを勝手に決めたくないと思う。しかし、ソーダさんの容姿がわりと万人に広く好まれることは否定しない。私服姿の苑田彗は、少女漫画で三角関係の当て馬になる美少年の作画をしている。癖がないし今どきなかんじで、メインヒーローより人気があったりするやつ。
ソーダさんがファッションにこだわりを見せない理由やインターネットに顔を出さない理由は、けっきょくノイズになるからだ。ソーダさんは、得体の知れなさと、明るいインドアが持て余した才能を放り投げているだけの、天才による脱力感がちょうどいいわけである。
容姿によって掴んだ女性人気など、ソーダさんが欲している承認の手段じゃない。そんなのでは彼を満たせない。そもそも、自分よりもはるかに恵まれた人間が作った自虐的な芸術なんて、魅力半減だとおもいませんか。べつに、おもいませんかね。
すると、ソーダさんがぱん!と膝を叩いて立ち上がり、わたしからの注目を集めた。
「よーし!いま、ノリで年齢公表しちゃおっかな」
「ノリで?」
「うん、現状に飽きちゃったし」
ノリで行動するなんて、彼らしくない。まあ、実際のところそうは言っても100パーセントのノリではないだろうけど。そして、年齢を公表したから何、とわたしは思うけど。ノイズだらけで装飾過多な張りぼてコンテンツがウケる世の中だ。
「ノイズにならないですか?」
「なるだろうね」
「ソーダさんって、ノイズをめちゃくちゃ嫌うじゃないですか。いいんですか?」
「でも、ソーダつまんねーって思われるのがいちばん嫌なんだよなー」
ぐーっと背伸びするソーダさんが漏らした声は、限りなく本音に近い位置で聞こえた。わたしとはまた違ったところで、彼はいつも見えない敵に怯えている。
「思わないでしょ」
「思うでしょ」
「だれが?」
「おまえが」
いきなりこちらに矢が向いてきたので「え?!」と声に出してしまった。驚いて2回ほど瞬きすると、「白々しいわ」と睨まれた。えええ、どうして。理不尽すぎる。
「わたしが?ソーダつまんねーって?」
「ソーダ死亡説を唱えて、シニエル陰謀論で20万字書くんだろ」
「この三日月のことを、なんだと思ってるんですか」
「おれのアンチ」
「いや、まさか」
思わず間髪入れずに返してしまうけど、ソーダさんはあんまり信じてくれないようで涼しげな二重まぶたを細めて睨みつけてきた。
「おれらが一蓮托生だってこと、ゆめゆめ忘れることなかれだぞ」
そう言われても、知らないしオブザイヤーだと思った。こういう理不尽はたまに遭遇する当たられ事故なので仕方ない。
ところで、自慢じゃないがわたしは忘れ物が多い。持ち物、日程、宿題、いろんなことをぽこーんと忘れる。そのせいでよく失敗を犯すし、めちゃくちゃ反省する。自慢じゃないのだが。
とはいえ、忘れ物の半分くらいを忘れたままで、むにょむにょ生きているような気もしているのだ。過去のぜんぶを反省していたら、自我の芽生えと同時に自己嫌悪で首を掻っ切って死んでしまっていたに違いない。
なにが言いたいのかというと、とにかく不器用なのだ。そのうえ、困り果てることに、半径1メートル以内の人間(友人数名、家族、ソーダさん)にしかそれが伝わっていなかったりするから迷惑だ。
読書が好き、文章を書ける、容姿が落ち着いている。このぐらぐらな3本柱によって、三日月のキャラクターは支えられているといっていい。別にキャラクターを作っているつもりはないのだが、インターネットなどの他者に見せるための場面ではある程度の用意ができるのでそんなに失敗しない。気づいてない失敗はあると思うけど。
そんな三日月がこれまで炎上もせず、さらには身バレすることもなくインターネットを続けて来られたのは完全にソーダさんのおかげである。
意外にもソーダさんは、おっそろしく用意周到で、心配性で、完璧主義だ。これが難しいところというか。まあ、人間っていろんな側面があるから、ふわふわ漂うように生きているだけがソーダさんの全てじゃない。語彙力は人間性の係数にはならないし、こう言ってはなんだけどソーダさんは歪んだ自己愛の人なので、失敗した自分を想像するだけで吐血すると思う。
わたしは彼を生物に例えるとクラゲだなと思っている。ふよふよ泳いで綺麗だけど、見かけによらず危険なので触って掴めないかんじがまさにそれ。あと、生物に例えても、人間ではない。ソーダさんは人間みたいなときがあるものの、ヒトの形をしているだけだ。お母さんのお腹から産まれてきたらしいけど、嘘っぽいから信じていない。
そんな彼が、いきなり、ふひゅー!とハーモニカを大きく鳴らした。自宅なら何でもしていいわけじゃないのだが、この悪童を裁く法律はいまだ存在しないらしい。仕方ないのでわたしは耳を塞いだまま「なに?」と訊ねた。
両耳に当てていた両の手をべりっと剥がされて、至近距離で話される。
「こーひょーしよう!」
「なにを公表するんですか」
両手首をゆるく捕まえられたままわたしがもういちど訊ねると、彼はうれしそうに笑って言った。
「シニエルがソーダと三日月だってことに、決まってるでしょーうよ!」
手首が解放されたかと思えばしゃばーんとシンバル音が響き渡って、じゃかじゃかとiPadのアプリでドラムを演奏しはじめた。ソーダさんは、楽器を鳴らすのが好きすぎる。これは音楽家的な意味じゃなくて、音が鳴るおもちゃにキャッキャとはしゃぐ子どもの意味だ。
「三日月が嫌だったら、もちろんやめる」
「嫌、ではないですけど、」
「じゃあ公表しよ、シニエルのチャンネルで報告動画をあげてもいい?」
ソーダさんのなかで、公表することはもう決定事項だ。彼にしたら、わたしの意見なんてどうとでもできる。だけど、こちらにも譲れないところはあるわけで。
「いや、あの、わがままなんですけど、わたしは、じぶんのブログで先に言いたいです」
「うん?」
「シニエルからブログに流れてくるよりも、ブログの読者さんがシニエルを聴いてくれるほうがうれしいので」
たどたどしいわたしを、ソーダさんはふわりと笑って包み込む。
「そっか、そうだね」
「だからわたしが言うまでは、ソーダさんからは何も言わないでほしいです。ソーダさんが公表するほうが大々的になるとは思うのですが、その、」
「いいよいいよ、三日月のタイミングに任せるから」
ほんとうは、ソーダさんにはソーダさんの完璧な計画があることなんて分かっていた。わかったうえで、それでもわたしは、三日月のブログで言いたかったのだ。どこで言っても変わらないと思うかもしれないけど、気持ち的にはぜんぜんちがう。
三日月のブログ読者が5万人程のいま、いや、これも凄すぎることなのだけど、シニエルのチャンネル登録者数は200万人を超えている。そうなると、シニエルやソーダさんから、ブログに入ってきてくれる人がめちゃくちゃ増えると予想できる。それで良さそうにも思えるけど、わたしはそれが嫌なのだ。
せめて、ブログを読んでくれている人だけには外側で判断せず、言葉だけに触れてほしい。言葉の威力を間違えないでほしいのだ。うまく言語化できなくてくやしいけど、その熱だけで毎日ずっとブログを書き続けている。
「じぶんの意見が言えてえらいねえ」
「わたしは我儘が言える子です」
「うん、言ってくれてありがとう」
「ソーダさんは我儘を聞けるからえらいですね」
「三日月のしか聞けないよ、とくべつね」
口先からすらすらと溢れてくるソーダさんの優しさは、わたしをやんわりと閉じ込めて縛っていく。依存させるのがじょうずなひとだ。幼い頃は、おもちゃを壊すのもじょうずだっただろうと想像する。
ソーダさんはいやらしさがなく、わたしに触れる。吐息が混じった声からは退廃的な色気を感じるのに、わたしの右頬をひんやり包み込む左手には甘やかな湿りがまったくない。
「三日月」
「はい」
「おれね、才能が枯れるとかは思ってないのだけど、いつか飽きられるとは思っているのよ」
「それは、」
「シニエルだって消費されるだけ。こっちが頑張って作った音楽もしょせんはBGMにしかなれなくて、受けとってほしい感度の7割と届かない」
聞き分けのわるい反抗期の娘に、やさしく言い聞かせるようなはっきりした口調だ。そこには、綿菓子のように不確かな愛が込められている。たしかにソーダさんは、わたしのことを大切な楽器のひとつとして見ているだろう。じぶんが最高のパフォーマンスをするための、道具のひとつ。そういう言い方だとこのひとの冷酷さが際立つかもしれないが、ソーダさんを冷たい人として片付けるのはあまりにも早計だ。
ちがう、ソーダさんはもっと。
「シニエルを知ってること、聴いてること、そういうステータスはありがたいけど、もう、ただの手段だよ」
もっと、かわいそうなひとだ。
「誰かを救うとか励ますとかそういう大義もなくて、ただ、作りたくて、作っていないと死んじゃうから勝手に作って投げてるだけ」
コンテンツを提供することでしかソーダとしての価値を見出せないし、その延長線上で彼は女性と肌を重ねている。相手が欲しがるじぶんの部分をよく理解していて、それを差し出すことでしか承認欲求の満たし方を知らないのだ。
気楽な人付き合いとか、すべてを見せ合える関係性とか、そういう機能が苑田彗には備わっていない。音楽を作って、それを完璧なかたちで投稿する。そこに押されたイイネボタンでしか、栄養を摂取できないようなひと。
私が、私なら。
あなたの心臓を撫でてあげられるかもしれない。
でっかい岩に刺さった剣を抜けるたったひとりの勇者のように、私こそが、選ばれし者なんじゃないかって期待する。そうして、ばかみたいに自惚れて、自滅していく人間がすぐに廃棄されるルージュの伝言を残すのだ。
「これまでもこれからも、わたしはソーダさんについていくだけです」
だからわたしは、自惚れたりしない。ソーダさんともシニエルとも適切な距離感を保ってきたから、ここまでやってこられたんだ。
深月流音は、ふつうの大学生。ふつうよりもちょっと裕福だったりするかもしれないけど、それでも、みんなと同じくひとりぶんの人生しか歩めない。シニエルの寿命はわたしの寿命と関係ないし、ソーダさんの生活はわたしが知るべきことじゃない。
「ずっと?三日月はすぐになんでも忘れるから、何度も確認したくなる」
「そうですね、忘れてしまったらどうしようもない」
「忘れるのってほんとずるい。俺だけが覚えている思い出とか、虚しくなるからやめてよね」
「むなしいのは、お互い様ですよ」
反射的に言い返すとソーダさんは一瞬だけ鳩が豆鉄砲を食らった顔をして、すぐさま悪童らしく口角を持ち上げた。目を細めずに口もとだけで笑うので、こちらに感情を読ませない。これは彼の悪癖のひとつである。
そして「でも、これは忘れてほしくないな」と言葉を置いてから、わざとわたしの目の前に人差し指を突き立てて、オクターブを降りた声で囁いた。
「おまえは、顔の見えない誰かのために歌詞を書いてるんじゃない。おれだけのために、書いてくれ」
まるで、ひとむかしまえの俺様みたいなことを言うね。ソーダさんらしくない熱のある感情が透けて見えて、わたしは視界を塞ぎたくなった。弱々しいソーダさんなんて、他人が見ていいものじゃない。
「おれにはね、三日月がいないとだめなの」
──────ああ、うそつき。
それから、SpotifyのCMソングが他のアーティストの曲に変わった頃。
使い捨てられたニューシングル。
ベストアルバムは光るごみ箱。
三日月の書籍が発売する直前に、シニエルの正体(大袈裟な言い方!)を明かすことになった。そうすることで、書籍のほうも売れ行きが伸びるだろうというソーダさんの戦略だ。戦略〜ってかんじがする。わたしにはまったく分からない。風が吹けば桶屋が儲かる的なあれなの?いや、そんなに遠くないか。
「ソーダさん、お忙しそうですね」
彼はゲーミングチェアをくるくるしながら、ものすごい速度でキーボードを打ち込んでいた。ときどき狂ったようにトライアングルを鳴らしたりするので、こちらが発狂しそうになる。パーカーにジーンズという大学生みたいな格好のソーダさんはペットボトルのペプシネックスを飲み干して、いきなり叫び出した。
「会社がなー!あー!!!会社さえなければなー!」
「なんのお仕事してるんでしたっけ」
「人材をコンサルする会社で、うまくいかねー企業とかにアドバイスしたりする仕事」
「ソーダさんからアドバイスされるんですか?」
「そういうこと。まあ屈辱だよね」
会社員には、繁忙期という期間がある。ソーダさん曰く「大学生でいう学期末みたいな忙しさ」らしいけど、どうなんだろう。平日は仕事が大変らしくて、シニエルとしての作業は週末に詰め込んでいる。無趣味のショートスリーパーアンドロイドとはいえ、なんだかほんとうに多忙で辛そうだ。
パソコンに向かう日曜日の作業部屋。わたしとソーダさんの都合がなかなか合わせられなくて、週の終わりの今日になってしまった。
シニエルも収入が得られるようになったので、すき放題の仕事はできないし、うーん、なんだか、おかしなことになってしまっている。おかしいかんじは、する。でも、それを正す労力と時間が足りない。
「三日月は、書籍化の準備も順調?」
「まあ、初めてのことなので右も左もあれやこれやですが」
「どっかの事務所的なのに所属するの?就職とかは?」
「嫌なことを聞きますね、放っておいてください」
将来のことなんて、いちばん聞いてほしくない年頃がちょうどいま、20歳だ。わたしが分かりやすく不機嫌なポーズをとってみせると、ソーダさんは呆れたように肩をすくめた。
「三日月、ほんとに将来のこと話すの嫌うよね」
「不安になるだけですもん、のらりくらりとその場しのぎで生き延びたいです」
「そっちのほうがリスキーだろ」
「退屈が嫌いなんですよ」
ソーダさんは、強炭酸とか激辛とか爆発とか刺激物は大好きなくせに、人生はそれなりに堅実だ。でないと、こんなぶっとんだ才能を隠してサラリーマンなんてやってない。来月のスケジュールとか組み立てられるんだろうな、サラリーマン。あと、ネクタイも締められる。わたしは1週間後の歯医者さえ予約を忘れてしまうというのにね。
「まじ、おまえって、あー言えば」
「こー言います」
わたしたちはあんまり似ていなくて、なんなら真逆みたいなところがある。だけどふたりで過ごすのは苦にならないし、ソーダさんもソーダさんなりに気を許してくれていると思うのだ。でなきゃ、ソーダさんはこの部屋に入らせてくれないと思うし。
「ここにある漫画、読んでも良いですか?」
「ものによるな、どれ読みたいの」
相変わらずこの8畳に広がった空間だけは、ソーダさんの息が聞こえる。お酒をのんで酔っ払うとへんてこな楽器を購入するという悪癖があるので、名前の知らない楽器が増えていた。本棚は部屋のランクに合わせるように大きくなった。ソーダさんは電子書籍派だと思っていたけど、紙の漫画も集めているらしい。ビジネスに関する本は見当たらないので安心する。そんなの読んでいるソーダさんは絶対に嫌だ。
作業を放棄したソーダさんもゲーミングチェアの王座から、こちらの本棚を眺めはじめた。こんなにもパソコンに齧り付いているオタクなのに、視力がよろしいのはどういうことだ。
「これとか、いいですか?」
「いいけど、3巻じゃん。さてはおまえ、勝手にこっそり読んでるだろ」
「えっちなのは、わたしが届かない高い棚に並べているのも知ってます」
「は〜!おまえってやつは!おれは漫画の棚にはめちゃくちゃこだわりがあるんだよ」
大きなパソコンの画面が2つ、彼がお気に入りのチョコレートみたいなキーボード。音楽に使う何やらこれやらと、机には3体の女の子のフィギュア。これがあると生活が豊かになるらしい。窓にはカーテンが掛かっていて、マグリットのポスターはきちんとポスターとして壁に飾られていた。あと、なぜか、わたしがシニエルの映像用で描いたイラストをわざわざ印刷してポスターにしたものもすぐ隣に貼られている。それは娘が描いたパパの似顔絵でやるやつだよ。
「じつはシニエルも、いろんなレーベルからめっちゃ連絡来てるんだよねー」
「あら、断ってるんですか?」
「うん、いまのところね。勝手にやりたいのよ、勝手にやって勝手にやめたい」
「メジャーデビューしちゃえば?」
「これでメシ食ってこうって思ってないし。[ソーダ]は永久に趣味のハンドルネームにしておきたいのよね」
ふうん。女子高生が織りなす日常マンガの3巻を手に取って、ぱらぱらと読んでいるふりをしながら話を聞く。やっぱりこれ、読んだことあるな。他人の本棚を探るのってものすごく無礼だと思っているので、彼以外の本の趣味をしっかり観察したことはない。わたしは、ソーダさんにプライバシーがないと思っている節がある。
ぱらぱらとページをすすめる。平和な日常マンガがこんなにも心の拠り所となるなんて、ソーダさん(の本棚)と出会うまで知らなかった。
「でも、さいきんぜんぜんソーダさんの活動できてないですよね」
「そ、忙しくてねえ」
「SNSにはソーダ死亡説が流れていましたよ」
「だからこそ、シニエルが生きてくるのよ」
現実の日常はこんなにほんわかしていない。殺伐としてるわけでもないけど、意外なところで人は怒るし、とつぜん悲しくなったりもする。
「ゾンビみたいな話ですね」
「でも、俺はゾンビと違って自我がある」
いつかのようにソーダさんがエゴサーチを始めて、それをスクリーン代わりの白い壁に投影した。[シニエル]というワードで、ものすごい数がヒットする。ひとつひとつの感想を大切に読み込めなくなって、莫大な数字だけを確認するようになったのは、いつからだろう。
動画に残してもらったコメントだって、今はもうきちんと追えていない。そのくせ、コメントの件数はずっと気にしているままだ。コメントはすべて、誰かがひとつひとつ打ち込んでくれたもの。それは以前と変わらない重みをを持ってしかるべきはずなのに、5件だった頃と5千件になった今とでは、1件に対するこちらの感情のウェイトが明らかに異なっている。
正しい威力で言葉を受け取れなくなったのは、わたしも同じだ。
「計画通りで最高だわ、やっぱ三日月と組んでよかった〜」
くるくるとゲーミングチェアで回りながら「目が回る〜」と叫んでいる23歳だけが、この世の不変であると改めて感じて安心した。
