締め切りのない島|ショートショート #0006
その島に来た理由は、みんな同じだった。
「締め切りに追われるのが嫌になった」
島には百人のクリエイターが住んでいた。
画家、作家、音楽家、イラストレーター。
島の憲法は一つだけ。
「完成させる義務はない」
浜辺のアトリエには、未完成の彫刻が転がっていた。乾きかけの絵の具のチューブ。白紙のまま風にめくれる原稿。誰もそれを気にしなかった。
最初の三ヶ月は、幸せだった。
好きな時に起きて、好きなものを描いて、気が向いたら書いた。誰にも何も言われなかった。
半年が過ぎた頃、松本は気づいた。
自分は何も完成させていなかった。
描きかけのキャンバスが五枚。書きかけのノートが三冊、どれも最初の数ページで止まっていた。手をつけたまま乾いていく粘土が、棚の上に、いくつも並んでいた。
他の人たちも似たようなものだった。
食事の時間に、住人たちは話した。
「いいもの作ってる?」
「いや、まだ途中で」
「俺も」
「私も」
島に来て一年が過ぎた。
ある日、一人の作家が荷物をまとめた。
「帰るの?」と松本は聞いた。
「うん」
「締め切りがあるところへ?」
「そう」
「なんで」
作家は少し考えた。
「締め切りがないと、終わらせる理由がないから」
松本はその夜、自分で締め切りを作った。
「一週間後に完成させる」
誰にも言わなかった。
一週間後、キャンバスは真っ白なままだった。
数本引かれた線が、昨日と変わらぬ位置で止まっていた。
誰も困らない。
自分が描かなくても、世界は何一つ揺るがない。
その静寂が、松本には何よりも恐ろしく感じられた。
彼は、島を出ていったあの作家の言葉を、もう一度思い出した。
「締め切りがないと、終わらせる理由がないから」
あの人には、たぶん、本当に困る誰かが、待っていたのだ。
松本は、久しぶりに、島の外へメールを送った。
「今、描いているものがあります。来月、見てもらえますか」
返事は、まだ来ていない。
それでも、キャンバスの前に座る時間が、前より少しだけ増えた。
あとがき
「Taka's ショートショート」は、日常の中でふと引っかかった違和感や、人生の小さな問いを、短い物語として残していくシリーズです。
今回は、締め切りをなくしたら自由になれると思っていたら、そうでもなかった話を書きました。
自由と、終わらせる理由は、どうやら別のものだったようです。
杉田崇(Taka)|エストループ(AESTROOP)
キャラクターデザイナー/クリエイティブディレクター
日常と創作のあいだにある「心の余白」をテーマに発信しています。
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