『評伝中勘助』覚書(6) 古寺巡礼のころ
中勘助「和辻さんの思ひ出」より
《その後ある年に私は奈良方面の美術建築等の見学旅行をした。私は東大寺の現在観音院のあるとこにおいてもらつてたが、ある日博物館の玄関を出ようとする時ちやうどはひつてくる和辻さんにばつたり出会つた。その晩和辻さんは私の寓居を訪ねてくだすつた。爺さん婆さんは映画を見に出かけ、私がひとり留守番をしてるところで心おきなく静に話すことができた。相当夜をふかして帰る和辻さんを大仏さんのへんまで見送つた。月がかうかうと照つて人つ子ひとり通らぬあのすばらしい公園の夜は幾十年のおつきあひのなかの最も忘れがたい思ひ出である。》
中先生が奈良方面に見学旅行に向ったのは大正7年の5月から6月にかけてのことです。ちょうど同じころ、和辻先生は古寺巡礼の旅に出かけて中先生と出会いました。中先生はそのおりの様子を伝えています。
・『鶴の話』所収「随筆」より
《三十年ほど前私は三月堂のそばの元吉講といふところに仮寓しれ大和の美術建築などの見学の旅をしたことがあつた。それは二月堂のもの日に講中の泊る建物で、ふだんは留守居の老夫婦のほか誰もゐなかつた。あちらによくある粗末な土塀をめぐらした閑静なところで、私はその奥まつた仏間の隣の部屋においてもらつてゐたあ。狭い庭にちやうど満開の豪華な牡丹一株、夜は間近に鳴くすさまじい牡鹿の声に目をさました。そこで精進料理をたべながら一日は下調べ、次の日は見学、次の日は休養をかねて博物館通ひといふやうなしかたで暮した数十日は私に非常に大きなものを齎したにもかかはらず、はじめて身をもつて接する飛鳥天平の文化に圧倒されて文筆のうへには全く何も残す事が出来なかつた。それがやうやく今日になつて、その昔この胸の花園にこぼれた千古の種子が思ひもかけず忽然と俳句の小さな花を咲かせた。今がはじめての花である。》
・和辻哲郎「古寺巡礼」の旅
横浜の原家の若い連中といっしょに出かけた。
書簡より
大正7年5月15日
汽車中にて。この日に出発した。
5月16日
神戸にて。神戸到着。
5月17日ひる
汽車の中にて。京都に向う車中。この日は3日目。
5月17日夜
京都、南禅寺、叔父の家にて
5月18日
奈良行汽車中にて
5月19日
奈良にて。ホテル到着。同行者は西郷健雄。善一郎夫妻は明日到着の予定。5月20日
奈良ホテルにて。善一郎夫妻到着。いっしょに新薬師寺へ。
5月21日
奈良ホテルにて。浄瑠璃寺へ。
5月22日
奈良ホテルにて。
《今朝、博物館の入口でバッタリ中さんに逢った。明日は中さんに逢いに行こうと思う。》
(*)博物館=奈良帝室博物館
5月23日
奈良ホテルにて。
《今、中さんのところから帰って来てこの手紙を書く。中さんのいる家は、三月堂に向って右の方へ半町ほど行った所にある。ちょっと門を出ると、前に三月堂が見えるいい所だ。月の光にぼんやりと見えている大仏の南大門をぬけ、大仏殿の屋根が、空の色よりこころもち濃いぐらいのいい色(古い仏画にのこっている、はげた紺青のような色)にうすく見え、金色の鴟尾(しび)がその上にほんのり光っているのを眺めながら、森の間の細い道を辿って行った。そうして石段をのぼり切ると、三月堂が月光の下にハッキリと立っていた。いい景色だった。
中さんとは気持よく話した。二人で考えて見ると、中さんにはもう一年半も逢わないでいたのだ。中さんは、奈良の最も奈良らしい所に腰を据えて、もう大和一円は大体見て廻ったのだ。ああして見物すれば、奈良もはっきり頭へ這入ってくるだろう。今は夢殿を材料にして小説を書いているらしい。
今日は遠い当麻寺へ行って、あまり時間がかかり過ぎたので、予定だけは見ずに帰った。それでも食事がすんだら八時半だった。それから中さんへ行ったので、今はもう十一時過ぎだ。これから湯へはいって寝る。》
5月24日
法隆寺、中宮寺へ。
5月26日
夜7時国府津着と電報が打たれた。
