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【季語とは何か】イチゴを冬だと思ってしまう私たちへ

イチゴの季節はいつでしょうか、といきなり質問すると、かなりの生徒がこう答えます。
「冬。クリスマスケーキに乗っているから」

でも、季語としての「苺」は、夏です。「苺の花」であれば春です。
これは、覚え間違いといった問題だけでは片付けられないと思っています。

世界のほうが、時代の変化により変わってしまったのですから。

季語は「自然を表す語句」というだけではない

季語というと、「その季節に見られる自然の言葉」だと思われがちです。
だいたいあってますが、厳密にはそうではありません。

季語は、目の前の自然を写しとった語句ではなく、季節を共有するための決まりです。

どこから春が始まるのか。 どこで夏が終わるのか。
人は、どの瞬間を「季節の変わり目」だと感じてきたのか。
その「感じ方の記録」が、季語なのです。
自分の感覚で冬だと思っても、昔から夏だと決まっている共同体の記憶のアーカイブが優先されます。

現代の個人の感覚よりも歴史として積み重ねられてきた集団の伝統が重視されます。
私たちが本当の意味で俳句を詠もうとするならば、その伝統の年輪を意識して、積み重ねる必要があります。

季語は、最初からあったわけではない

重要な事実があります。
季語は、日本の詩に最初から存在したものではありません。

『万葉集』や『古今和歌集』の和歌には、四季の歌は多くありますが、「季節の言葉を必ず入れる」「季節をはっきり示す」といった決まりはありませんでした。
和歌は、恋や思い、心の動きを語る詩であり、季節は感情に寄り添う背景にすぎなかったのです。

季語が必要になった理由 ― 連歌という文学

季語が本当に必要になったのは、連歌という文学が生まれてからです。
連歌は、複数人で、その場で、即興的に句をつないでいくという、非常に特殊な文学でした。

連歌に関しては以下の記事をお読みください。

そこで、一つの問題が生まれます。
「いま、この場はどんな時間の中にいるのか?」
これが共有できなければ、次の一句が出せません。

季語は「場の時間」をそろえる装置

連歌の最初の一句を、発句といいます。
発句には、その場の空気を決める役割がありました。
いまは春なのか、夏なのか、秋なのか、冬なのか。
これを一瞬で全員に伝える必要があったのです。

そこで使われたのが、季節を示す言葉です。 桜と言えば春。蝉と言えば夏。説明はいりません。
季語は、場の時間を一語でそろえるために生まれた言葉でした。

なぜ季語は「体感」と「暦」が混ざっているのか

連歌には、さまざまな人が参加しました。
年齢も、立場も、住んでいる場所も違う。
そのため、「暑い・寒い」という体感や自然現象だけでは、ズレが生じます。

そこで、旧暦という共通のカレンダーや年中行事が、季語として取り込まれていきました。
こうして季語は、「自然の体感」と「暦という文化」が混ざり合った言葉になります。

だから、季語はよく間違えられる

ここで、よくある例を見てみましょう。
※旧暦では1月から3月が春、4月から6月までを夏、7月から9月は秋、10月から12月を冬とします。

  • 五月雨は夏 「五月」とあるので春だと思いがちですが、五月雨は旧暦五月の長雨=梅雨。五月は夏です。

  • 七夕は秋 七月七日だから夏、ではありません。旧暦七月は、今の八月頃。七月は秋です。

  • 残雪は春 雪があるから冬、ではありません。冬が終わったあとに残る雪。時間は、すでに春へ向いています。

  • 苺は夏  ハウス栽培もクリスマスケーキもなかった時代、苺は初夏に畑で実る果物でした。ちなみにメロンは夏で、スイカは秋です。

  • 落葉、枯木は冬 葉がなくなって、すべてが終わった姿が冬です。

私たちは、どこで季節を見失ったのか

現代の私たちは、温度を空調で管理し、食べ物を一年中手に入れ、行事をカレンダー通知で知る生活をしています。
その結果、季節は「体験」ではなく「情報」になりました。

だから、花の季節がわからない。
野菜の旬がわからない。行事の意味がわからない。 ということが起こります。

季語は「失われた感覚のバックアップ」

季語は、正解を当てるための知識ではありません。
人はいつ春が来たと感じ、いつ夏を見送り、どこで秋を受け入れ、どう冬を越えてきたか。
季語は、その感覚の保存データです。

今日、あなたの目の前にある季節は?

この記事を読み終えたら、少しだけ周りを見渡してみてください。

今日、あなたが食べたサラダの野菜。
それは本来、いつの季節が旬でしょうか。

通勤や通学途中の道端に咲いていた花。
それは、これから来る季節を告げているのでしょうか、それとも去りゆく季節を惜しんでいるのでしょうか。

季語を知ることは、難しい漢字を覚えることではありません。
スーパーに並ぶ食材や、足元の草木に対して、「いま、ここに、たしかに季節がある」 と気づくこと。

それだけで、ただ通り過ぎていた日常の景色が、少しだけ鮮やかに見えてくるはずです。

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