なぜ万葉集は1000年以上も「推され」続けるのか?①【柿本人麻呂】
前回の記事はこちらです。
中学3年の国語の教科書には、必ずといっていいほど万葉集が載っています。
学校では「日本最古の歌集」として習いますが、実はこの本、単なる「奈良時代の古本」ではありません。
読む人と時代が変わると、まったく違う顔を見せる
―いわば、時代ごとに何度も生まれ変わってきた本なのです。
著作権の切れたこの最強の古典が、なぜ1000年以上も日本人の心を掴んで離さないのか?
その理由を、万葉集の「読み方」を変えた四人のキーパーソン、 柿本人麻呂・源実朝・賀茂真淵・正岡子規 を通して追いかけてみたいと思います。
第一回は、万葉世界の“殿堂入りロックスター”こと、柿本人麻呂です。
今回の柿本人麻呂は「読み手」ではなく実作者ですが、万葉集の“核”を作った人物として、最初に登場してもらいましょう。
【歌の聖】柿本人麻呂 ― 国家の「スピーチライター」かつ愛を叫ぶ「ロックスター」
万葉集には数多くの歌人が登場しますが、後の時代に「歌聖(かせい)」つまり「歌の神様・聖人」とまで崇められたのが柿本人麻呂です。
なぜ彼はそこまで特別視されるのか? それは彼が、とてつもない「ギャップ」を持った人物だったからです。
① 表の顔:冷静沈着なエリート官僚
実は人麻呂は、天武・持統天皇に仕えるバリバリの宮廷歌人でした。
天皇の気持ちになり代わって歌を詠む「代作」や、国家的な儀式での歌を作る、現代で言えば「大統領専属の敏腕スピーチライター」。
ミスの許されない、国家の“公式な声”を担う重鎮です。
② 裏の顔:寂しがり屋のロックスター
しかし、ひとたび公務を離れると、彼は驚くほど人間臭く、弱く、熱い男になります。
亡き妻を思って胸をかきむしるような歌や、恋人を待ちすぎて朝露でビシャビシャになる姿……。
「国家の重鎮が、ここまでプライベートな痛みをさらけ出すのか!?」
その衝撃は、まるでスーツを着た堅物の上司が、ライブハウスで愛の歌を絶叫しているのを見たような感覚に近いかもしれません。
百人一首でもおなじみのこの歌も、そんな彼の「人間臭さ」全開の一首です。
あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む
(山鳥の垂れ下がった長い尾のように、果てしなく長く感じるこの夜を、私はひとりで寝るしかないのか……寂しい!!)
現代語訳してみると、「寂しい!」というシャウトが聞こえてきませんか? 1300年前の国家公務員が、今の私たちと同じように、眠れない夜に孤独を感じていたのです。
この「完璧ではない、人間味あふれる弱さ」を、飾らぬ言葉でロックに歌い上げたからこそ、人麻呂は時代を超えて私たちの胸に響いたのです。
※人麻呂の生涯には謎も多く、百人一首の「あしびきの山鳥の尾の……」も、実際に人麻呂本人の作かどうかについては、学問的には異論もあります。それでも後世の人びとは、「これは人麻呂の声だ」と信じて受け取り続けてきました。
次回は源実朝をお送りいたします。
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