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短編小説 | 私たちの世界地図

草の生い茂る駅に降り立った時、美咲は自分がこのまちの「客」になったことを悟った。
美咲が生まれ育った海辺の実家の旅館は、今や弟夫婦がテキパキと切り盛りしている。活気はあるが、もう自分の居場所はない。美咲は、両親の仏間に都会から戻ったことを報告し、忙しく立ち働く義妹に「留守の間、ご迷惑かけました。ありがとう」と告げるのが精一杯だった。

「あの図書室…もし使ってないなら、私に任せてもらえない?」
旅館の庭の先にある、埃をかぶった離れ…そこは、読書家だった祖父が愛した書斎だった。美咲の申し出に、弟はあっさり頷いた。
美咲は「はなれ文庫」という小さな看板を掲げた。地域のこどもたちに、この空間を開放することにしたのだ。
最初は遠巻きに見ていた地域の人たちも、やがてぽつりぽつりと子連れで訪れるようになり、いつしかこどもだけで出入りするようになっていった。美咲はこどもたちを対象に、小さなまなびの教室を始めた。

いつも隅の席で、会話には加わらず、ただ黙々と絵を描いている少女がいた。結(ゆい)という名のその子は、自分の世界に深く潜っているようだった。
ある日のテーマは「あなたの好きな、このまちの風景」だった。
こどもたちが「近所のパン屋」「週末に家族で行くファミレス」といった絵を発表する中、結が俯いたまま一枚の絵を差し出した。
それは、地図だった。ただ、道路や建物が主役ではなかった。

「夕焼けが一番きれいに見える浜」
「猫が昼寝する堤防」
「転んだ時に助けてくれた人がいる交差点」

…そんな、感覚的な「しるし」で埋め尽くされた、不思議な地図だった。

気が付いたら、美咲は結に問いかけていた。
「どうして、こんな地図を」
「…見えなくなるから。大切なものが、どこにあったか」
美咲は書斎の奥の棚に駆け寄った。幼い頃の自分が使っていた色褪せたスケッチブックを、震える手で開く。
そこには、結の絵と驚くほど似た、しかし確かに違う、美咲だけの「しるし」の地図が描かれていた。

結が、美咲の地図を覗き込む。
「先生も、探してたの?」
美咲は、涙が滲むのを隠せなかった。このまちに、自分の居場所はもう無いと思っていた。だが、時を超えて同じ地図を描こうとする小さな手が、確かにここにある。
「ええ、ずっとね」
美咲は笑った。
自分が残すべき世界地図が、ようやく見つかった気がした。

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