反応がない努力を続けてしまう理由【思考メモ】
発信者のうち、
・真の価値提供をするため
・真の価値提供を継続できるようにするため(収益確保のため)
という理由で行っている人は多いと思う。
なので、本来であれば、
売れない
問い合わせが来ない
反応がない
のであれば「そのやり方は」やめるはず。
でも、同じやり方を続けてしまうことがある。
なぜか?
それは、
「結果」ではなく、
「行動した達成感」に依存しているから。
例えば、
ビジネス活動におけるSNSでの発信。
本来の目的は、
訪問者を喜ばせる
また見てもらう
購入してもらう
などのはず。
でも、途中から、
投稿した
頑張った
作業した
更新した
という
「やった感」を報酬として感じ始める。
こうなると、
成果ゼロでも続けられてしまうし、続けてしまう。
この状態は、ある意味、
「作業依存症」「アウトプット依存症」とも呼べる。
成果へのフォーカス、解像度がぼやけていて、
「頑張っている自分」によって、不安を和らげている状態。
「継続は善」と思い込み過ぎると、
この状態に陥りやすい。
「継続は力なり」という側面は確かにある。
例えば、WEB媒体のアクセス解析をした時のロングテール形状しかり。
継続して、はじめて「果実」を得ることもあるけれど、
だからと言って、
継続を美徳、美学としてしまうと市場とのズレが生じてしまうことがある。
つまり、
美学と現実のズレ。
例を挙げると、
スマホの時代に黒電話を売り続けるのは困難を極めるし、
ユーザーも黒電話に価値を見出しにくい。
「スマホの方がいいじゃん。」となる。
(アンティーク価値はあるかもしれないが)
「頑張った量」に反応はなく、
「まさに求めていた!!!」ものに反応が来る。
ここからが本題。
反応がない努力をどうすればやめられるのか?
① 努力を評価対象から外す
まず最初にやるべきだと感じたのは、努力を評価対象から外すこと。
努力がスケールしていれば、もちろん評価していいけど、
もし、スケールしていなかったら、「待てよ。」と立ち止まることが、
大切だと思う。
【禁止する言葉】
「頑張った。」
「毎日投稿した。」
「たくさん作った。」
「継続した。」
「今日も一日忙しかった。」
これを一旦外す。
自己否定ではなく自己観察。
そして、
市場観察、市場の反応を数値や感想で観る。
つまり、
「私は頑張ったか?」
ではなく、
「人は動いたか?」
に脳を切り替える。
② 「反応ゼロ」を痛みとして感じる
反応ゼロなのに、
分析しない
仮説を立てない
検証行動に移らない
なぜか?
痛みが弱いから。
人は「痛み」で変わる。
例えば、
熱い鍋に触れてしまった時、二度と同じ触り方をしない。
なぜなら、即、強い痛みを感じるから。
でも、SNSや商品販売については、
反応ゼロ、売上ゼロでも、
別に身体的に痛くない。
即、命に関わることがない。
だから、学習しない。
必要だと感じるのは、
・反応ゼロの可視化
・痛みとして感じようとする意図
つまり、
RAS(網様体賦活系)の働きを変える。
すると、初めて、
「あ、この方向ダメなんだ」
と学習する。
③ 「継続は善」を捨てる
継続=正義、正解
と思っていると、
間違いたくないから、不正解になりたくないから、
やめることができなくなる。
でも、成果を出す目的であれば、
「機能しないことを高速で捨てる」
ことが重要。
成功者と呼ばれる人は、
単に「続ける人」ではなく、
「捨てる人」「試す人」「機能することを続ける人」
(または「機能する」と予測が立つことを継続する人)
だと思う。
捨てるスピードの速さ、重要。
④ 自分を守るのをやめる
これも大切。
機能していないことを自分で認めると、
自己否定
センス否定
行動否定
努力否定
人格否定
これらと繋がりやすい。
自分自身で自己価値否定に繋げてしまうと、
捨てれない、試せない。
でも本当は、存在価値がないわけではない。
⑤ 遊ぶ
ここがある意味、最終到達点。
子供の頃は、
ただ楽しいから遊んでいたはず。
でも、大人になるにつれて、
無意識に成果と優劣を結びつけてしまう。
自分で自分に
「成果を出さなければ…」という重圧をかけてしまう。
その想いが逆に、
成果が出ない=失敗と結びつけてしまい、
失敗したくないから、変えられない、捨てられない、試せない。
「〇〇さん、変わったね。」と、周囲から言われるのが怖くて動けない。
でも、「遊ぶ人」は違う。
楽しいと思うことをやる。
反応を観る。
「なるほど!こうなるんだ!」という
実験そのものを楽しむ。
フラスコの中の薬品2つを混ぜて、
爆発して、髪の毛も爆発したら爆笑する。
そんなノリ。
つまり、
自己否定しない
執着しない
高速で試す
高速で改善する
機能していないものを続けている時、
市場感覚を掴めていないか、現実逃避になってる可能性がある。
美学や理想に意識の多くが持っていかれ、
実際、世の中はどう回っているのか?ということにピントが合っていない状態。
何が起きているか把握できず、
次の打ち手もわからない。
「どうすればいいか?」が意識の中心にあり、
「どれをやめればいいか?」は、たまに考える程度。
努力そのものを善、高尚とするのではなく、
価値となるか?(人の心と体は動くのか?)
への転換が重要に思える。
「いいね!」に耳を澄まし、
「声」を聴き取り、
「心」を推測し、
「満たすには」を考える。
そのアイデアを忠実に形で再現して、
世に出す。
そんな、
市場(現実)とキャッチボールする感覚。
それが大切だと感じた。
このnoteもやり方を変えないと(笑)
とりあえず、プロフィールの背景画像を変えた(笑)
