砂漠と海とFantôme―生と死のあわいを泳ぐ|回生の旅路 #5
みなさんは、ゲルド砂漠をどう感じましたか?
広くて、開放的で、盾サーフィンが楽しい?
それとも、どこを見ても同じで、ちょっと退屈?
僕は──
なんか、寂しかったんよね。
地図が見えなくなる砂嵐の中、
風の音しか聞こえへんし、
誰かの気配も、イベントも、何もない。
進んでも進んでも、
ただ静かで、ちょっとだけ不安になる。

でもそのとき、
ふと、ある旅の記憶が蘇った。
それは、海の底まで潜った、
砂漠の国・エジプトでの、ほんの数日間のこと──
1|砂漠の国へ──偶然に導かれた旅
あれは、もう何年も前。
ベルギーに住んでいたとき、たまたま取ったスキューバダイビングのライセンス。
(なぜベルギーでスキューバ?という話は、また別の機会に。)
通っていたダイビングショップの店長に、ある日ふいに誘われた。
「一緒に、エジプトに行ってみないか?」
その時は深く考えず、「行く行く!」と即答していた。
ヨーロッパの人にとって、エジプトは日本人が東南アジアに行くくらいの感覚らしい。
飛行機で4〜5時間。物価も安く、ダイビングの聖地としても人気がある。
目的はただ一つ。
紅海で、潜ること。
ピラミッドにすら立ち寄らず。

ベルギーから車でドイツのフランクフルトへ。そこから飛行機でエジプトへ。
到着したのは「フルガダ」という港町だった。
観光地ではあるけれど、日本人は滅多に来ないらしく、空港職員にこう声をかけられた。
「お前、日本人か?俺、ナルトめっちゃ好きやねん!」
それが、僕の砂漠と海の旅の始まりだった。
2|海と砂漠の狭間で
翌朝、ダイビングショップ兼ホステルで目を覚ますと、まず一本潜る。
戻ってきて朝食。昼前にもう一本。
昼食を挟んで、また海へ。
夜はみんなで食事をして、焚き火を囲んで話をする。
そんな日々が、淡々と続いていた。
陸の上は、乾いた風と、どこまでも続く砂の世界だった。
一歩外に出れば、音もない。誰もいない。電波も届かない。
だけど、海に潜ると、そこには驚くほど豊かな命があった。
まるで世界がひっくり返ったようだった。
地上は砂と沈黙。海中は珊瑚礁と魚たちの楽園。

ある日、30メートルほど潜ったところで、ふと水面を見上げた。
遠くにゆらゆらと揺れる太陽。
その光の届く範囲に、自分がいる。
でも、もっと深い場所もある。
何千メートルもの深海。人の体では到底届かない、永遠の夜。
そんなところが、この星には無数にある。
僕らが生きていけるのは、
ほんのわずかな、光の差し込む層の中だけなんだ──
そんな実感が、静かに胸に残った。
そして、ダイビングを終えて陸に戻ると、再び、あの静けさ。
砂漠の、音のない世界。
誰かと一緒にいた。一緒にご飯も食べて談笑して。
だけど、どこかで孤独だった。
誰かと笑っていても、ふとした瞬間に、自分が世界の片隅にいることを思い出す。
砂漠の静けさは、そんなことをじわじわと教えてくる。
そんな環境で、心の中にじんわりと広がっていたのは──
静かな寂しさだった。
3|夜の海と星の下で
その日の夜は、特別だった。
人生で初めての、ナイトダイビング。
懐中電灯を手に、真っ暗な海へと潜っていく。
昼間とはまるで違う世界。魚たちの姿もほとんど見えず、
ただ、水の中に、静けさだけが漂っていた。
光が届くのは、ごく限られた範囲だけ。
少し離れれば、すぐに闇。
手を伸ばしても届かないような暗さに、
どこかこの世界の“終わり”のようなものを感じていた。

ダイビングを終えて、海面に浮上すると、
あたりは真っ暗。
水面を漂いながら、ふと空を見上げる。
──満点の星空。
それは、あまりにも静かで、あまりにも遠い光だった。
天の川も、くっきりと見えた。
きらめく星々が、静かな夜にひっそりと降りてきていた。
昼間のダイビングで、水面を見上げて感じた“深さ”。
そして今、頭上を見上げて感じる“広さ”。
どれだけ潜っても、どれだけ見上げても、
人間が生きていけるのは、ほんの薄皮のような層の中だけ。
砂漠の中でも、地球の中でも、宇宙の中でも、
僕たちはその“端っこ”で、そっと生きているだけなんだと思った。
言葉にできない感覚だった。
それは恐れとも違う。
ただただ、自分の輪郭がぼやけていくような、
そんな夜だった。
4|砂漠にひとり、Fantômeと
その宿の裏手には、小さな砂丘があった。
昼間のダイビングを終えたあと、よくそこに登って、
海と、背後に広がる砂漠をぼんやりと眺めていた。
そのとき、いつも聴いていたのが──
宇多田ヒカルの『Fantôme』というアルバムだった。
なぜか、このアルバムが、砂漠にやたらと合った。
無機質な風景の中で、人の温度を感じる音が流れてくると、
身体の奥にしまっていた何かが、すこし揺れるような気がした。
このアルバムには、母・藤圭子さんの死を乗り越え、約8年の活動休止を経て辿り着いた想いが込められている。
喪失を経た人間の再出発。
生と死の間にあるもの──
そんな見えない領域が、静かに音になっていた。
そして、僕が座っていたその場所もまた、
“生と死”が隣り合わせの風景だった。
砂漠には、死があった。
生命の気配がほとんどない、乾いた世界。
でも、そのすぐそばに、命あふれる海がある。
色とりどりの魚、珊瑚、光のゆらめき。
死と生は、遠く離れてなんかいなかった。
むしろ、“薄皮一枚”で、ぴったりと隣り合っていた。

あの砂丘の上で、僕はぼんやりと、
その“薄皮”の存在に耳を澄ませていた。
It’s a lonely road / But I’m not alone
(孤独な道だけど、私は一人じゃない)
宇多田ヒカルのこの一節が、あのときの僕を包んでくれた。
たしかに、心細さも、寂しさもあった。
でもそれ以上に、“誰かの声”が、耳元に残っていた。
旅先の孤独な夜に、ただ音楽が寄り添ってくれた。
5|記憶が、呼び戻された場所で
そこでふと、気がついた。
僕がこの旅でずっと感じていたものは、
“ちっぽけな自分”の悲しみでも、
“宇宙の広さ”に圧倒された感動でもなかった。
それは、生と死の“間(あわい)”にあるもの──
あの“薄皮”の感触だった。
昼の海で、何十メートルも潜った。
夜には、宇宙の奥行きを見上げた。
どちらにも、僕は踏み込めなかった。
僕らが生きられるのは、その“間”。
ほんのわずかな、薄皮のような世界だけだ。
でも、だからこそ、そこに意味があるのかもしれない。
死を恐れながら生きること。
孤独を感じながら誰かとつながること。
生まれては、消えていくものたちの営み。
僕たちは、宇宙や深海には住めない。
けれど、その“届かないからこそ、憧れることができる”のが、世界を豊かにしている気がする。
ほんのわずかな層の中で、限られた命を生きているからこそ、
空を見上げることに意味がある。
それは、壮大な旅でも、感動のストーリーでもなかった。
ただ静かに、砂丘の上で、深海と星の彼方を想った。
そして、こう思った。
死と生は、薄皮一枚で隔てられて、隣同士なんだと。
6|そして、リンクが思い出させてくれた
ゲルドの砂漠を歩いていた。
『ブレス オブ ザ ワイルド』の中で、リンクひとり、
どこまでも続く砂の大地を進んでいた。
あたりは静かで、風の音だけが聞こえていた。
ふと気づくと、砂嵐に巻き込まれ、地図が消えていた。
どこにいるのかも、どこへ向かっているのかもわからない。
ゲームの中なのに、息が浅くなるのを感じた。

そして、思い出した。
エジプトの、あの旅のことを。
砂漠で感じた心細さ。
満天の星空の下で聴いた音楽。
珊瑚の海に潜って、見上げたゆらめく光。
そして、“薄皮の中でしか生きられない”という感覚。
リンクの歩く世界と、あのときの自分の記憶が、
静かに重なった。
うつ病になってから、僕は海が怖くなった。
ダイビングも、シュノーケリングも、
かつて大好きだった海に、もう潜れない気がしていた。
海の深さが怖かった。
宇宙の広さも。
そして、あの旅の思い出すら、長いあいだ思い出せなかった。
でも、ゼルダの世界を通して、
失われたはずの記憶が、少しずつ蘇ってきた。
あのとき、海辺で聴いた音楽が──
宇多田ヒカルの歌が──
再び僕に届いた。
It’s a lonely road / But I’m not alone
そう、孤独な道を歩いていたけど、
完全に一人だったわけじゃない。
誰かの声があった。
寄り添う音楽があった。
そして、記憶があった。
『ブレス オブ ザ ワイルド』が教えてくれたのは、
新しい冒険の楽しさだけじゃない。
かつての自分と、もう一度つながる方法だった。
今、少しだけ──
また、海に潜ってみたいと思えている。
それだけで、じゅうぶんだと思う。
次回、回生の旅路#6は「ハイラルは1日にしてならず」の巻。観てね〜
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