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子どもが「境界」をまたぐ一瞬|記事紹介

子どもって、いろんな

「境界」

で区切られてるじゃないですか。
乳幼児期、すこし年齢が上がると保育園の下のクラスに入って。
幼稚園に入れば年少・年中・年長さん。
子どもの遊び場である「公園」は車が行き交う道路とは明確に区別された空間ですし、その道路だって子どものための「通学路」として区切られていることだってあります。

今回は、そんな子どもたちを巡る境界線を軽やかに、そして色鮮やかに描いた

漫画

をご紹介します。

作者のひまなまるさんは、水彩調の色遣いが特徴的な漫画を多数投稿されている方です。
今回ご紹介するのは「こどものココロん中」というシリーズの2作目にあたるもの。
主人公は小学生男子のコタローくん、小さなひまわりのようなキャラクターは「ひままる」で、ある小学生の女の子が考えてくれたゆるキャラがとてもかわいらしいのでこちらの漫画に登場させているのだとか。

構成としてはたった1枚の、とってもシンプルな漫画です。
眺めるだけなら数秒で終わるでしょう。

でも、この1枚漫画の中には、子どもを巡る「境界」についての深いインサイトが眠っています。

1.まずは問いを立てようじゃないか!

と言っても、私がいきなりベラベラとその深いインサイトを書きなぐっても面白くありません。
漫画は一つの芸術作品ですから、まずはこの漫画をじっくり読んで、

なんでひまなまるさんは
こんな書き方をしたんだろう?

という、

問い

をいくつか立ててみましょう。
芸術作品はそうやって鑑賞する方が絶対に楽しいです。

まず、ぱっと目を引くのは、1コマ目のエリザベス先生ですよね。
光をまとっていて、どこか神々しい雰囲気。
普通、この手の漫画なら、もっと普通っぽいというか、身軽そうなジャージ姿の若い教師が出てきたってなにもおかしくありません。

ということで、1つ目の問いを立てましょう。

<問1>
「教師役」を敢えてこのように造形しているのはなぜでしょうか?

次に、2コマ目に目を移してみましょう。
ひままると一緒に、初めてコタロー君が登場しますね。

「たたたたっ」とダッシュで駆け寄っています。
コタロー君の髪の毛が、風を受けて少し散らかっているのがなんとも愛らしいですね。
つまり、それくらいの「猛スピードで」駆け寄っている、ということです。

話しかけるだけであれば、ひょこっと顔を出してみたり、あるいは駆け寄ることなく「おーい、先生ー!」と呼びかけたっていいわけです。

ここに2つ目の問いを立ててみましょう。

<問2>
コタロー君がダッシュで駆け寄ったのはなぜでしょうか?

その後、3コマ目、4コマ目で話が展開され、小学生が歳を重ねた喜びを表しているんだな、というのが、エリザベス先生とともに、読者の腹にもストンと落ちて、この1枚漫画は幕を閉じます。

少しディティールに寄り過ぎたので、改めて全体に目を通してみましょうか。
一貫しているのは「水彩調」で、非常に柔らかなタッチで描かれている、という点ですね。
作者の作風だから、と片づけてしまえばそれでおしまいですが、ここにも鑑賞のポイントがありそうです。

3つ目の問いを立ててみます。

<問3>
この漫画はなぜ水彩調で描かれているのでしょうか?

ということで、3つの問いを立ててみました。
以下、その答えを探りながら鑑賞していきたいと思います。

2.問いに沿って鑑賞してみると…?

まず、1つ目に、「教師役」を敢えてこのように造形しているのはなぜか?という問いを立てましたね。
色々な解釈があると思いますが、私は、学校という空間における

大人と子どもの「境界」

を視覚的に表現しようとしたからではないか?と受け止めました。

4コマ目でエリザベス先生がお召しの服装の全体が明らかになりますが、きらびやかなドレスを身にまとっていて、明らかに私たちが想像する一般的な教師のそれではありません。

一方、コタロー君やひままるたちの服装は「ザ・小学生男子」という感じ。特に強烈な違和感は持ち合わせていません。

幼稚園とか小学生の頃って、先生がなんかまだスゴイ存在というか、もちろんフレンドリーなんだけど

どこか遠くにいる

ように感じられませんでしたか?

ひまなまるさんは、おそらく、エリザベス先生にこのようなドレスを着せることによって、学校という一つの空間における大人と子どもの「境界」を際立たせようとしたのではないでしょうか。

次に、コタロー君がダッシュで駆け寄ったのはなぜか、という問いを立てましたね。

色んな声の掛け方がある中で、ひまなまるさんが敢えてコタロー君にダッシュをさせた理由。それは、

7歳と8歳という年齢の「境界」

を飛び越える行為を暗示しているからでは?と考えました。
ひまなまるさんは、記事の最後で、

小学生にとって、歳をとることは
やっぱり嬉しいんですよね〜!

と書いています。

もちろん、年齢なんて生きていれば自動で上がっていきます。
それでも「嬉しい」ということは、子どもにとって7歳と8歳の間には明確な「境界線」がある、ということです。やったぞ!と。
だから、

「じりじり歩み寄る」

でも、

「おーい!と呼びかける」

でも、絶対にダメなのです。

その境界線を、自らの足で、軽々と飛び越えることにこそ意味があるのです。

最後に、なぜこの漫画は水彩調で描かれているのか、という問いを立てましたね。

ここまでの考察の中で、この漫画は、年齢の境界を自らの足で飛び越え、エリザベス先生のようなキラキラとした「大人」にまた少し近づいた、ということを示しているんじゃないかと書いてきました。

この記事をお読みの皆さんにも、似たようなご経験があると思います。
思い出してみてください。
誰しも、自分が歳を重ねたことを「大人」に報告したとき、

そっか!大きくなったんだな!

なんて言われて、嬉しかった記憶があるんじゃないでしょうか。

この漫画の、暖かく、柔らかく、水彩のような滲む色合い。
輪郭線は細く、カドがなくて、人々の視線や仕草には過剰な誇張もありません。

でも、そのやわらかな淡さのなかにあるのは、静かで濃密な時間です。
コタロー君の頬の赤み、エリザベス先生の穏やかなまなざし、細やかな体の動き、そのすべてが、読者に

どこか、「肌触り」のある記憶

として、ふわっと残る感じがしませんか。

この質感の描写は、単に「エピソードを伝達する」という役割を超えて、「記憶の肌触り」を媒介する芸術として機能しているんです。
つまり、この

水彩調の画風だから

こそ、読者はコマを読むのではなく、「その瞬間に感じられたであろう、あの時の空気」をそっと思い起こすことができるんです。

3.まとめると

ということで、色々な角度から鑑賞してきましたが、一言でまとめると、

自らを取り巻くいろんな
「境界」を飛び越えた瞬間の喜び

を、やわらかなタッチでスナップショット的に切り取った、質感あふれる素敵な漫画だな、と感じました。

ひまなまるさん、他にもたくさんの素敵な作品を投稿されています。
いいなと感じられた方は、ぜひご一読ください!

(ご参考)あなたの記事を紹介させてください!

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東大卒2児ママの夫 お気持ちめちゃくちゃ嬉しいです!でも、本当にいいんですか?