親は先生じゃない
面白い研究があります。
子どもたちを集めて、おもちゃの使い方を説明したら、
説明しなかった場合と比べ、
おもちゃの新しい使い方を見つける確率が激減した
のだそうです。
「教育」は効率的な学びを促し、
子どもたちに無意味な行動を取らせづらくはなる。
ただし、「新しい発見」から遠ざかる代償も負う。
Thus, pedagogy promotes efficient learning but at a cost: children are less likely to perform potentially irrelevant actions but also less likely to discover novel information.
へー!なるほど。
でも、何でこんなことが起きてしまうんでしょう?
良かれと思ってあれこれ「教える」のに、かえって子どもの可能性を狭めてしまうというのは、なんだかとっても残念な感じ。
このメカニズムをざっくりかみ砕くと…
子どもは「教えられたこと」は、特別な情報だと仮定しがち。
つまり、「教えられていないこと=意味がない」と解釈することが合理的だと考えてしまう。
お~。これもなるほど、という感じですね。
つまり…
なにかを教える
ということは、
なにかを教えない
ということとコインの裏表なのだと。奥が深い。
学校の「先生」は知識や技能を効率的に学ばせるのが仕事なので、
このあたりの点で苦悩していただく必要はないと思います。
「先生」はどんどん「正解」を叩き込むのが仕事。
でも、私たち「親」はまた全然事情が違う。
どんなに知識や技能があって、
どんなにたくさんの「正解」を知っていようとも、
結局、世の中で食っていけるのは
おもちゃの新しい使い方
をいち早く見つけられるヤツだからです。
「正解」なんて生成AIに聞けよ、と。
だから、私たち「親」は、
家庭の中で、「先生」であってはならない
のではないかと思います。
何事も、説明はなるべく最小限に。
あとは子どもの好奇心を信じて、
おもちゃの新しい使い方
を発見するのを根気よく待つ。
親まで教育者になったら、
子どもは何も発見できなくなってしまう。
このように思うのであります。
(参考①)もっと深く考えてみたい方へ
教える親か、考えさせる親か。
私は圧倒的に後者を目指しているのですが、
そのきっかけとなった本です。
(参考②)もっともっとディープに考えたい方へ
ぱっと見「ビジネス系の本」を装ってますが、
子育て本としての価値が非常に高いです。
どうすれば「考えさせる親」になれるのか、ヒントがたくさん載ってます。
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お気持ちめちゃくちゃ嬉しいです!でも、本当にいいんですか?