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歴史の手触り|記事紹介

「歴史」はこんなにも面白いのに、
「歴史の授業」はなぜこんなにもつまらないのか?

というのが、私が中学生だった頃に抱いていた大いなる疑問です。

きっと、学校の先生というのは物事をつまらなくする天才に違いない。
本気でそう思いながら過ごしていました。

だって、本当につまらなくしちゃうんですよ。

1560年に今の愛知県で起きた、織田家と今川家の戦いを何というか。
答え、桶狭間の戦い。
以上。

いやいや、
いやいやいやいや。笑

当時まだ若干26歳の織田信長が、自分の10倍の兵力で攻め込んできた大勢力を天才的な戦術で叩き潰し、自分のことを「ばかたれ」だと言って罵っていた周囲の評価を一変させ、一気に天下統一に向かって動き始めた、そのきっかけとなった戦いじゃないか。
俺たちのヒーロー、信長の野望はこっから始まったんだよ。
しょうもない記号みたいに扱うんじゃねえよ!

…などと思っていたものです。笑

そんな「歴史」を、猛烈に楽しく学んでしまったこちらの記事が今回の主役。

筆者の澄部マチコさんは小学校で国語を中心に教えている先生。
6年生の総合学習の一環で、地域にある有名文化財の跡地に行ってきたのだとか。

すごいことに、その跡地にはその当時の建物に使われていた瓦が落ちているんです!1000年以上も前の瓦…!

なんと。これは大人でもテンション上がりますね。
そんなわけで、子どもたちよりも必死になってその瓦を探し始めてしまったという筆者。

それっぽいものを見つけては、同行していたガイドさんに「これは瓦?」などと鑑定してもらっていたら、ついに本物の瓦を見つけてしまいます。

「これっ!瓦じゃないですかっ?」
「はいっ!これは瓦ですね!!」
「やったー!!」ここぞとばかりに、子ども達にも見せびらかしました。
すると、火が付く子ども達。木の根元に群がって、瓦を探します。
…(略)…
「せんせー!見てみて〜」
「絶対先生のやつよりでかいの見つけるー!」
「こっちにたくさんあるよっ!!先生、来てきてー!」

こんなにも、子ども達に「見てみてー」「来てきてー」と言われたのはいつぶりでしょうか…?(笑)

うまく子どもたちのスイッチを入れ、楽しく地域の文化財と触れ合う素敵な時間を過ごした、というエピソードです。

いいですね~。
厳密には歴史の授業ではないのですが、私もこんな授業を受けていたらなあ~、と思わずにはいられません。

さて、冒頭の問いに戻りましょう。
そうです、「なぜ歴史の授業は退屈なのか」です。

受験のクイズとして焼き直される過程でつまらなくなってしまうのだとか、いろいろな説があると思いますが、決定的なことが一つだけあります。
それは、

歴史には「語り手」がいる

ということです。
よく、

「歴史は勝者がつくる」

などと言いますね。
これはもう、その通りなのです。
歴史は「語り手」がいなければ紡がれません。
戦いに勝って生き残った人間しか「語り手」にはなり得ませんから、歴史は勝者がつくるのです。

では、なぜ「語り手」がいないと歴史は紡がれないのでしょう。
簡単に言えば、過去という

無数の事実の集合体

から、

意味のある事実

だけをちょこっと取り出して、

いい感じにつなぎ合わせてみたのが「歴史」

だからです。

歴史家は無数の事実から意味がある歴史的事実を選び出して、それらの歴史的事実の因果関係を見つけ、その因果の連鎖から歴史的な意味をつくるのだ。

永井孝尚「教養書必読100冊を1冊にまとめてみた」

要するに、「語り手」が

この出来事、意味あるわ~。

と思わなければ、
どんなに意味のある出来事も、
どんなに価値のある遺産も、

「歴史」には登場しない

のです。

私が、歴史の授業で桶狭間の戦いを1560年に愛知県で起きた戦いとしか習わなかったのは、「語り手」である文科省や学校の先生が、

それ以外の歴史的意味はない

と判断したからです。
「しょうもない記号みたいに扱うんじゃねえよ!ブヒー!」といくら泣き叫んだところで、私が歴史の「語り手」でない以上、どうしようもありません。

だから、歴史の授業は退屈なのです。
ひたすら「聞き手」に徹するしかない。
子どもだって、歴史を語っていいじゃないか、と。

翻って、この記事の筆者の澄部マチコさんの取った行動を読み返してみてください。
この跡地について、「語り手」である国は、

有名文化財

として、何らかの歴史的(文化的)意味を見出しました。

普通の先生なら、おそらく、この文化財がもつ歴史的な意味や、なにがどうすごいのかを、国という「語り手」が用意した「歴史」をなぞるように説明していくに違いありません。

私が先生なら、それが一番楽ちんです。
でも、子どもたちは聞いてるだけで眠くなりそうですよね。

筆者の澄部マチコさんは違いました。

「語り手」が「意味を見出した事実」を使うことなく、そこらへんに落ちている石ころのなかに価値のあるものが紛れているかもしれない、という宝探しに一変させてしまったのです。

これが何を意味するのか。

そうです。子どもたちを、単なる歴史の「聞き手」から、

無数の石ころという「事実」の中から、
瓦という意味のある「歴史」をピックアップする

という、「語り手」側に置いてしまったのです!

いや、マジで、冷静にすごくないですか?笑
だって、ガイドさんに「これ、こういう模様があるから、きっと歴史的価値があるはずだよ」って見せるわけですよ。

これ、

そのまんま歴史の「語り手」側がやってること

じゃないですか。

「語り手」側に回ることができて、子どもたちはさぞ楽しかっただろうな、と思います。

しかも、本人たちに一切自覚させないまま、自然に子どもたちを「語り手」側に移行させたのがまたすごい。
これぞ教育者!としか言いようがありません。

こうやって、知らず知らずのうちに子どもに火をつけることができる学校の先生、今の時代本当に貴重なんじゃないかと思います。

そんな澄部マチコさん。Noteの他の記事からも、誠実かつ熱心に指導技術を高めていこうとされている様子がひしひしと伝わってきます。

もっとこんな先生が増えたらいいのに!と思った方は、ぜひほかの記事もご覧ください!

(ご参考 1/2)あなたの記事を紹介させてください!

こんな企画やってます!
コメントでも何でも構いませんので、ぜひご連絡ください!

(ご参考 2/2)引用した書籍

こちらの本には、本当に世界の教養書100冊分の要約がぎっちぎちに詰まっています。
うさんくさそうなタイトルと表紙ですが、内容は原典に照らしても至極真っ当で、なおかつ分かりやすく、紛れもなく良書です。
紙幅の都合で紹介しきれませんでしたが、その中の1冊として取り上げられているE.H.カー「歴史とは何か」の要約から引用させていただきました。
本稿も、E.H.カーが「歴史とは何か」で展開した主張にのっとって組み立てています。


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東大卒2児ママの夫 お気持ちめちゃくちゃ嬉しいです!でも、本当にいいんですか?