大手100社のシステム部長が「手弁当」で集まった研究会——データ中心アプローチとの出会い|SEとして歩んだ30年を振り返る⑧-2
1990年代初頭、私はある研究会の事務局を任されていた。
報酬も会社の命令もない。なのに大手企業のシステム部長たちが、自分の時間と費用を使って集まってくる。そこで本気で議論されていた問いは、これだった。
「これからのシステム開発は、どうあるべきか」
当時の日本のIT業界のリーダーたちが、真剣に向き合っていた。
ダスキンプロジェクトと並行して動いていた
前回(⑧)で、ダスキンのプロジェクトについて書いた。
会社全体の顧客情報が統合できない。ブランドをまたいだシステムがつながらない——その課題に対して、データ中心アプローチ(DOA)という考え方で挑んだ話だ。
実は、あのダスキンの仕事を進めている時期と並行して、私はもう一つの活動にも関わっていた。
それがIRM研究会(情報資源管理研究会)だった。
IRM研究会とは何か
IRM(Information Resource Management)は、日本語で「情報資源管理」と訳される。
情報を企業の「資源」と捉え、人・モノ・カネと同じように戦略的に扱う——そうした考え方で、1980年代のアメリカで生まれた概念だ。日本でも1990年代初頭に注目が集まり始めていた。
この考え方を軸に、東京と大阪の大手企業約100社のシステム部長たちが集まって勉強会を開く。それがIRM研究会だった。
「手弁当」という言葉が示すもの
IRM研究会を特徴づける合言葉は、「手弁当」だった。
会社の命令ではない。参加費が出るわけでも、報酬があるわけでもない。業務時間外に、自分のお金と時間を使って参加する。
それが意味するのは、「学びたい」以上の切実さだ。100社のシステム部長——大企業のIT部門を背負う立場の人たちが、なぜそこまで集まるのか。
私の理解では、根底にあったのはこういう問題意識だった。
「これからのシステム開発の方向性を、自分たちの手で考えなければならない」
当時の日本のIT業界は、大きな転換期に入っていた。メインフレーム中心からクライアントサーバーへ。個別システムの乱立から、企業横断的なデータ活用へ。ところが、その変化に対する「正解」を示してくれる人がいない。
だからこそ、トップ自身が集まって考えた。
私の役割——事務局
私はこの研究会で事務局を務めた。
会議の準備、資料の整理、議事録の作成、メンバー間の連絡調整——事務局の仕事は、議論を「支える」ことにある。
表に出る役割ではない。けれども、議論の核心を最も近い距離で聞ける立場だった。
大手企業のシステム部長たちは、何を問題として捉えているのか。どこに限界を感じているのか。何を変えようとしているのか。
一線の実務者として最前列で聞き続けた経験は、私にとって大きな財産になった。
データ中心アプローチの「可能性」を感じた
研究会の議論の中心に、データ中心アプローチ(DOA)があった。
それまで主流だったプロセス中心アプローチ(POA)では、まず業務の流れを定義し、必要なデータを後から決める。結果として、システムはサイロ化する。各システムが「島」になり、横につながらない。
DOAは、その逆だ。データを先に設計する。
「この会社において、顧客とは何か」「取引とは何か」を、会社全体で統一して定義する。その上にシステムを乗せていく。
100社のシステム部長が議論し、実例を持ち寄り、理論と実践を行き来しながら、このアプローチの可能性を検証していった。
私は事務局として、その全ての流れを追った。
そして、「これは本物だ」と確信できたのも、この研究会での経験があったからだ。
1991年——「情報資源管理ハンドブック」の発行
IRM研究会で積み重ねた成果は、1991年に一冊の書籍としてまとめられた。
「情報資源管理ハンドブック」
東京・大阪の大手企業100社のシステム部長たちが、数年にわたって議論し、研究し、実践から学んだ知見を集約した一冊だ。
私はその事務局として、取りまとめの作業にも関わった。
「自分が関わった研究の成果が、書籍として世に出る」という経験は、それまでにない種類の達成感だった。
システムを作るのではなく、考え方そのものを形にする仕事をしていた、という感覚が残っている。
研究会の成果が、ダスキンプロジェクトに活きた
IRM研究会で深めたDOAの考え方は、ダスキンのプロジェクトに直接反映された。
「顧客情報がブランドごとにサイロ化している」という課題に対して、「まずデータを統一して設計する」というアプローチを提案できたのは、研究会での議論が蓄積されていたからだ。
単に「DOAという手法がある」と知っているだけでは足りない。100社の実例から学んだ「どんな企業でどう使えて、どこに落とし穴があるのか」という知識が、提案の説得力を支えてくれた。
理論と実践をつなぐ場として、IRM研究会は機能していたと思う。
「手弁当の勉強会」が業界を変えた
今あらためて思うのは、あの研究会が持っていた力だ。
100社のシステム部長が手弁当で集まる。報酬なしに本気で議論する。そして、その成果を書籍にして発表する。
誰かに命令されたわけでも、会社の利益のためだけに動いたわけでもない。動機はただ一つ、「これからのシステム開発の方向性を自分たちで考えたい」という思いだった。
インターネットのない時代に、「知識を共有し、集合知を作る」試みでもあった。
今の感覚で言えば、オープンソースコミュニティや、技術者の勉強会に近い文化だと思う。
当時から「個人が自発的に動き、業界全体の知恵を作る」——そんなIT業界の土壌があったのだろう。
この経験が今の自分につながっている
Skill Graphsの記事を書き、Claude Codeを試し、X APIでツールを作る。
これらは、いまの私が「手弁当」でやっていることだ。
報酬があるわけでもない。誰かに命令されたわけでもない。「AIとどう向き合うべきか」という問いを自分で立てて、自分で試している。
やっていることの規模はまったく違う。それでも、動機の構造は30年前のIRM研究会と似ている気がする。
「変化の時代に、自分の頭で考え、自分の足で動く」
あの研究会で見た100人のシステム部長たちの姿勢が、今も私の中に残っている。
まとめ
ダスキンプロジェクトと並行して、IRM研究会(情報資源管理研究会)の事務局を務めた
IRM研究会:東京・大阪の大手企業約100社のシステム部長が「手弁当」で参加する自主的な勉強会
議論の核心は「データ中心アプローチ(DOA)」——これからのシステム開発の方向性を集合知として検討
1991年、研究会の成果を「情報資源管理ハンドブック」として書籍化・発表
研究会で深めた知識と確信が、ダスキンプロジェクトでのDOA採用の土台になった
次回⑧-3では、このDOAの考え方を実際にダスキンに適用した話——「100・100キャンペーン」が露わにしたデータサイロ問題と、その解決について書く。
あなたに聞いてみたい
「手弁当」で参加した勉強会・コミュニティ・自主活動で、一番得たものは何でしたか?
IT勉強会でも、業界団体でも、地域の活動でも。「報酬なしに本気でやった」経験があれば、ぜひコメントで教えてください。
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元大手SIerのSE。50代で退職後、両親の認知症介護に5年間専念。現在は在宅でのAIエージェントビジネス構築に取り組み中。
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