美#154「現代アートは、判る作品と、判らない作品とが、はっきりしています。何が、何故、判って、何が、何故、判らないのかを、追求すれば、少し、自分が見えて来るのかもしれないと、思ったりもします」
「アートノート154」
中央広場から引き返して、美術館の入り口に向かうと、建物から少し離れた右側に、巨大なスクラップのようなオブジェが置かれていた。金属のパーツを組み合わせて、一種のカオスのエネルギーを表現していると判断できた。タイトルとか、制作者名を表示したプレートがどこかにある筈だと、近づいてみると、プレートは叢(くさむら)に隠れていた。草を掻き分けて、プレートを確認すると、フランク・ステラ「リュネヴィル」と、表示してあった。
フランク・ステラの絵が、次第に立体的になったことは、以前、学校の図書館に置いてあった画集を見て、承知していた。が、スクラップのようなオブジェの作品は、掲載されてなかった。ステラは、ごく最近まで存命だった。私が見たステラの画集は、20年ほど前に発刊されたものだった。ここ20年くらいの間に、ステラは、立体的なオブジェを拵えるようになったんだろうと想像できた。
美術館の中庭でも、スマホを使えば、ステラの晩年の20年間の作品は検索できる。が、私は、ネットの検索はしないことに決めている。授業でどうしても必要になって、パソコンで検索することは、今後、もしかしたらあるのかもしれないが(今のとこ、まだ一度もネットで検索をしたことはない)、スマホで検索することは100パーセントない(そもそも、私はスマホを持ってない)。このオブジェの周囲の常緑樹のエネルギーと、スクラップのエネルギーとを対照させるために、置かれているんだろうかと、勝手に想像した。
ネットで検索しなくても、どこの美術館に、どういう著名な作品があるのかということくらいは、ある程度、承知している。
川村記念美術館は、ステラとロスコとヴォルスの三人の現代アーティストの作品を、ある程度、まとまった数、保有している。ヴォルスは、15歳の夏、大原美術館で見た。デ・キリコとかミロよりも、ヴォルスの抽象的な作品の方が、判り易かった。
苦手な作品と、何となく惹かれる作品とがある。それは、抽象とか具象、あるいは肖像とか風景といったジャンルのくくりとは、まったく無関係。要するに、相性が合う、合わないということに尽きる。ヴォルスは相性が合っていたが、マチュやスラージュなどは、良く判らなかった。
ロスコは、本物はまだ一枚も見たことはなかったが、多分、相性は合うだろうと皮算用していた。私は、中2の頃、ロスコの赤茶色っぽい、スタジャンとテンガロンハットを持っていた。ロスコは、線でモノの形を表現してないので、色が勝負だと判断できた。中2時代のスタジャンとテンガロンハットの色が相通じているロスコが、自分に判らない筈がないと、一方的に思い込んでいた。アートとお付き合いするためには、自分勝手な思い込みも、時には必要。
ステラは好きでも、嫌いでもない。何ら思い込みもない。虚心坦懐にwatchingできるという自信がある。スティールで拵えたスクラップの塊は、美術館に重みを加えるために(実際、かなり重そうだった)入り口近くにあっても、全然、構わないと、凡庸な結論を出して、私は美術館の中に入って行った。
入り口で、チケット売り場で買ったチケットを見せ、バッグの中から、鉛筆と百均で買った手帳を取り出した。私は、日頃、パイロットの四色ボールペンを使って、メモを取っているが、美術館の中では、鉛筆しか使用できないので、ボールペンは、バッグに中にしまった。
エントランスホールの中央に、マイヨールの「ヴィーナス」像を据えてあった。ヴィーナスだから裸体像だが、セクシーな感じは少しもなくて、どっしり、ふっくら、それでいて、身体の捻りと、手の動きが、心地良いリズムを伝えてくれる。全体の構図と、手の動きを、簡単にスケッチしておこうと、手帳に描き始めたら、階段のとこにいた中年男性の警備員さんがやって来て、「スケッチはダメです」と、注意された。スケッチというほどのものではなく、子供の落書き以下の単なるメモ。普通の美術館であれば、鉛筆で描いた単なるメモ程度のことを、咎める筈がない。「許可が必要です」と、警備員さんが言った。「単なるメモで、許可が必要ですか。じゃ、まあ本部に行きましょう」と言って、入り口の案内人さんのとこに言って訊ねると、「メモ程度のことでしたら、自由にお書きになって下さい」と、あっさり許可された。警備員さんは、おそらく派遣でやって来ている警備会社の方で、観客が作品のスケッチをしている場面を、多分、一度も見たことがないんだろうと想像できた。そう言えば、私も、この5年間で、画学生風の男の子が、クロッキー帳にスケッチをしているのを、わずかに、一回、見ただけだった(キュビズム展で、ドローネの『パリ市』のスケッチをしていた)。
今、老若男女、基本、スマホで写真を撮っている。川村記念美術館は、写真撮影禁止だが、今は、多くの美術館、展覧会で、かなりの数の作品の写真撮影が、許可されている。別段、減るものでもないし(あっ、作品を痛めるフラッシュは禁止)SNSで拡散してくれるので、写真撮影は許可するようになった。が、シャツター音が煩い。金属的なシャッター音が鳴る度に、絵を見る集中が途切れて、私個人は、迷惑しているが、私のような鉛筆で手帳にメモを取る観客は、ごくごくrareで、絶滅危惧種なので、明らかに「多勢に無勢」。
ケチのついたマイヨールのヴィーナス像のメモ書きスケッチは、正直、星の王子さまに登場するパイロットが描いた、dessin numero 1(premier)の象を呑み込んだボアの絵より、下手だと判断できる。今、手帳を取り出して、確認すると、右手が、右足の太腿のとこから、びゅーんと伸びている。下手とかじゃなく、圏外のスケッチだと言える。
エントランスホールの天井と、正面の中庭に面したガラス窓から、太陽光が差し込んでいる。太陽光と、LEDを巧みにアレンジした明かりだった。これくらいの照明のスキルを持ち合わせてないと、ロスコを過不足なく見せることは、できないだろうと、勝手に想像した。
正面の広いガラス窓の左上の一部に陰がある。「えっ、もしかしたら、ガラスの一部が破損してる?」と、疑問を抱いて、近づいてみると、中庭の叢に生息しているであろうカマキリが、ガラスにへばりついていた。子供が見たら、きっと喜ぶが、30代、40代のおひとりさまの女性が見たら、「うわぁ、カマキリ。超可愛い」とかと嘆声を発するのだろうかと疑問を抱きつつ、展示室の方に私は向かった。
