【読書メモ】論理的思考とは何か
タイトル:論理的思考とは何か
著者:渡邉 雅子
出版社:岩波新書
序章 西洋の思考のパターン - 四つの論理
論理的であること=「読み手にとって記述に必要な要素が読み手の期待する順番に並んでいることから生まれる感覚である」→論理的であることは社会的な合意の上に成り立っている
目的の優先順位に価値観が現れる
「私たちはある価値観を優先し、その価値観に紐づけられた各領域の論理を論理的だと考えている」=実質論理
合理性は(中略)「形式合理性」と「実質合理性」の二つに大きく分けることができる。(中略)実質合理性は、目的そのものの価値を考えて特定の理念/理想を達成しようとするのに対して、形式合理性は、特定の価値や内容とは無関係に、目的に対する「手段」を計算や法則/規則を適用して技術的/道具的に選択することを指す。(中略)形式合理性は行為の「結果」を重視するのに対して、実質合理性は目的達成の「過程」となる「行為そのもの」に価値を置く。
これら二つの合理性に、目的と手段のつながりが「個人の主観」によって決まるのか、あるいは「集団によって客観的」に決まるのかという指標を加えて交差させ、四つの合理的行為のタイプが典型的に現れる領域を特定した。
①経済領域(形式合理性による主観的判断)
②政治領域(実質合理性による客観的判断)
③法技術領域(形式合理性による客観的判断)
④社会領域(実質合理性による主観的判断)
第一章 論理的思考の文化的側面
第二章 「作文の型」と「論理の型」を決める暗黙の規範
2) 経済の論理
経済領域は、効率的に最大限の収益を上げることを目的とする。
経済領域においては、(中略)常に結果からさかのぼって手段を決定する「逆向き設計」で思考することが基本となる。その前提となるのは、人は自然や人間関係を含む環境に目的をもって働きかけることで環境に影響を与えて、目的達成の条件を人為的に作り出すことができるという世界観であり自然観である。
3) 政治の論理
政治領域のレトリックは、慎重な政治的判断を行うために「十分な審議が行われたか否か」が重要な観点となる。
弁証法は、論ずべき主題に対する「一般的な見方」、「それに反する見方」、「それらを総合する見方」を〈正ー反ー合〉の構成に位置付けて、〈正〉と〈反〉の矛盾を〈合〉で解決する。
ディセルタシオンでは、〈正ー反ー合〉を導く三つの問いに答えていくことで、書き手に一人でソクラテスの産婆法の過程をたどらせる。この手続きを踏むことで、自分自身をも問いに付す哲学の思考法を身につけさせることができる。
4) 法技術の論理
法技術領域のレトリックにおいては、「真理か否か」が重要な観点となる。
5) 社会の論理
社会領域のレトリックも論証の形を取らないが、ここで重視されるのは社会の構成員からの「共感されるか否か」である。
人間を自然の一部とみなす東洋の自然観は性善説を取り、子どもをより自然に近い完全な者、かわいがるべき者と捉える。その自然観は、日常の生活の中から児童自身がそれぞれに学び得るものを学ぶという伝統的な教育感を支えている。自然と切り離された罪深い人間、あるいは自然と対峙し、科学技術によって自然を利用(搾取)する西洋近代の自然と人間の関係とは一線を画すものである。
感想文を通して養われた思考法の強みは、自己と他者の間に共通の主観を構築し、この「間主観性」を内面化することで、外からの強制がなくとも、それと意識することなくあらゆる場面で間主観を思考と行為の指針とすることができることである。
アメリカでは、結果を引き起こした最も強い原因に注目する「優越因果説」を取るのに対して、日本は「縁起説」で因果を考える。(中略)日本の理由づけは、古いものを捨ててしまわず折衷的に付け加えていくことで、古いものと持続性を保ちながら、それらの関係性の中から新たな創造を生み出していける可能性があり、日本のイノベーションのひとつの型を示している。
第三章 なぜ他者の思考を非論理的だと感じるのか
終章 多元的思考 - 価値を選び取り豊かに生きる思考法
論理的に考えるということは、育った環境や信条も好みも異なる個人が、パターン化された思考をもとに「非個人的に」、「安定して」、「伝達可能な形で」考えることなのである。
人々が信じる価値観を臨機応変に変えることは難しいが、四つの領域の論理と思考法をレトリックー文章構成・議論の手続きーのレベルで考えることは可能で、それを技術として使いこなすことは、これからの社会を生きるための何よりの力となる。
人が反射的に怒りの感情を爆発させるのは、職業や社会的地位に関係なく自分たちの常識に挑戦された時であり、それは社会学者のガーフィンケルの非常識実験によって証明されている。
社会領域の論理と思考法の果たす役割は、今後ますます大きくなるだろう。なぜなら、社会領域のみが、自然の一部として人間を捉える自然観と、利他主義をその原理の中に組み込んでおり、そのような自然観とものごとの判断基準が、地球規模で複雑に絡み合った問題の解決の緒となる可能性に満ちているからである。
感想
普段の生活や仕事の中で「論理的」という言葉を使うことはありますが、それは「経済の論理」という一つの論理でしかなかったということは大きな気付きでした。更に、日本人が得意な「社会の論理」がイノベーションを起こす一つの型になりうるという言葉に元気をもらいました。
四つの論理の型を身につけるためにも、普段から意識して使い分けてみたいと思います。
