第4章 国家形成期の日本:特別展「古代DNA-日本人のきた道-」見聞録 その04
2025年03月20日、私は国立科学博物館を訪れ、一般客として、特別展「古代DNA-日本人のきた道-」(以下同展)に参加した([1])。
山ノ神1号墳2号主体3号のゲノムは、渡来系弥生人である横隈狐塚遺跡ST-110のそれとほとんど同じである。また、現在の本州・四国・九州の人々のそれらと同じである。また、彼女の頭蓋骨には赤い顔料が掛けられているが、これは死者を送る際の風習とされる(図04.01,[2]のp.66,88-89)。

五松山洞窟遺跡は宮城県石巻市にある埋葬遺跡である。奥行き3 m前後の小さな洞窟だが、19体以上の人骨が出土した。他の場所に埋葬されていた骨を洞窟に移動して葬る、いわゆる改葬骨である。洞窟埋葬というローカルな埋葬でありながら、衝角付冑や圭頭大刀のようにヤマト政権と関わりのある副葬品を持つ。出土した骨角器は和歌山県磯間岩陰遺跡や神奈川県三浦半島の洞窟遺跡から出土した資料と類似する。王権とも交流がある一方で、海を通じた独自の交流があったと推測される(図04.02,図04.03,2のp.90-91,p.103)。


最古の大王墓は、3世紀中ごろに造られた奈良県桜井市の箸墓古墳である。全長280 mで、定型化した最も古い前方後円墳であることから、箸墓古墳の出現をもって古墳時代とすることが多い。
古墳の規模は階層差を示し、形は被葬者の政治的性格を反映したものと考えられている。6世紀までの大王墓はつねに前方後円墳で、地方の首長はそれより規模の小さい古墳を用いた。古墳時代は階層分化が進んだ時代だった(図04.04,2のp.92)。

人物埴輪は古墳時代人の姿形の想像に役立つ。大阪府古市古墳群にある蕃上山古墳という5世紀の古墳から出土した埴輪が展示された。人物埴輪としては比較的初期のものである。男子埴輪と女子埴輪は共に袈裟状の服を着て襷(たすき)をかけている。女性は女子埴輪における一般的な髪形である島田髷に似た髪形をしている。両者は男覡(おかんなぎ)と巫女という祭祀に関わる人々だという説と王や首長への食事提供に携わる膳夫(かしわで)と采女という人々だという説がある(図04.05,図04.06,2のp.92)。


古墳時代の初め頃にあたる3世紀後葉に造られた兵庫県の権現山51号墳の副葬品である鏡、ならびに、鉄の槍や青銅製・鉄製の鏃などの武器類が展示された。特に三角縁神獣鏡は中国の魏の鏡で、ヤマト政権が中国から入手したものを権現山51号墳の被葬者に配布したとされている。当時の国際関係、あるいはヤマト政権と地方首長との関係を示す重要な資料である(図04.07,図04.08,2のp.92-93)。


『日本書紀』や『古事記』によると、古墳時代になっても渡来人の来訪は継続し、様々な文物を伝えたとされる。それは考古資料からも明らかで、彼らがもたらした技術や文化は須恵器・鉄器生産、製鉄技術、金工技術、紡織技術、馬の導入・飼育などに留まらず、生活様式・思想までの多岐にわたるものだった。
特に須恵器・鉄器の生産技術は、渡来人によってもたらされた新しい技術だった。それは朝鮮半島と日本の資料の形態や文様がよく似ていることからも理解できる。また、馬は飼育技術をもつ渡来人と一緒に日本列島に連れてこられることになった。(図04.09,図04.10,図04.11,2のp.94-99)。



瀬戸内周辺から出土した5世紀後葉の陶質土器と須恵器が展示された。形や大きさは似ているが微妙に異なっている。左は朝鮮半島の栄山江流域から岡山県にもたらされた陶質土器、中央は陶質土器の影響を受けて日本で作られた陶質系土器、そして、右は日本製の須恵器である。蓋杯は日本と朝鮮半島で共有された食器であり、双方向的な技術交流が認められる(図04.12,2のp.97)。

6世紀後半に西日本で鉄鉱石や砂鉄を原料に製鉄が始まるまで、古墳時代の日本では鉄器を作る素材である鉄鋋などを朝鮮半島南部に依存し、輸入することによって国内の鉄需要に対応していた。鉄器の製作自体は弥生時代中頃から石のハンマーや有機質の道具を用いて行われていたが、古墳時代になると、鉄器は朝鮮半島南部の影響のもとに出現した鉄製鍛冶具と新しい鍛冶技術で製作された。
砥石は、大きく研ぎ減って形状が変形しており、使い込まれたことがわかる(図04.13,図04.14,図04.15,2のp.98)。



5世紀に日本列島に導入された馬の飼育は、飼料や塩などの物資、ならびに、放牧のための牧などのインフラを必要とするので、渡来人が大いに関わったと考えられる。
馬や馬具は、朝鮮半島との交流によって導入された。兵庫県行者塚古墳から出土した馬具は初期のもので、渡来品である。
大阪府茶山2号墳は、同じく大阪府誉田御廟山古墳(応神天皇陵古墳)の東側にある。『日本書紀』には、渡来系である田辺史伯孫が、応神天皇陵のそばで、馬を交換したところ、翌朝にその馬は埴輪になっていたという伝説が載っている。茶山2号墳の馬形埴輪はその逸話を思い出させ、馬と渡来人の関係を考えさせる資料である(図04.16,図04.17,2のp.99)。


和歌山県磯間岩陰遺跡第1号石室1号人は、現代日本人よりも縄文人の遺伝的要素を多く持っていることが判明している。なお、石室1号人と2号人は祖父―孫あるいはオジ―オイの関係にあることが判明している。
出土した副葬品には農具がなく、釣針など漁業に関わるものが多いことから、漁業に携わっていたことがわかる。同じ太平洋沿岸にある神奈川県大浦山洞窟遺跡・海外(かいと)1号洞窟遺跡、ならびに、 宮城県五松山洞窟遺跡には類似する副葬品がある。
磯間岩陰遺跡と海外1号洞窟遺跡から出ている鹿角製釣針はカツオ猟用の釣針である。その作りがよく似ていることから、漁業と海を通じた交流が理解できる。
また、磯間岩陰遺跡から出土した釣針には、鉄製と鹿角製の釣針がある。後者は複合式と単式釣針があり、針部を鹿角の第1分岐部、ないしは第2分岐部を、疑似餌部は角幹部を利用して製作している。湾曲部の下端が下方に突出しているのは、疑似餌に附属する包飾部の固定に関係しているという意見もある。素材として利用された鹿角には、径が太く、よく成長し、緻密質の発達がよい良品が含まれる(図04.18,図04.19,2のp.100-104)。


神奈川県三浦半島は海蝕洞窟が多く、じつに約40基の洞窟遺跡がある。弥生時代中期~古墳時代に、人々は洞窟を住居・作業場所あるいは墓地として利用していた。古墳時代に洞窟を墓として利用することは限られた地域に見られる現象であり、和歌山県磯間岩陰遺跡や宮城県五松山洞窟遺跡と共通する要素である。また、使用された骨角器から、地域を越えた類似性があることがわかる。海辺の洞窟・岩陰を用いた人々には独自の交流関係があったと思われる(図04.20,2のp.102-103)。

岡山県久米三成4号墳は4世紀末の全長35 mの前方後方墳で、後方部と前方部の箱式石棺に2体ずつ、計4体が埋葬されていた。後方部の第1主体部に鏡・剣・玉が副葬されていたことから、小首長の古墳であることが分かる。
DNA分析の結果、その内の3体は父親と娘2人で、娘同士は異母姉妹だったことが判明している。現時点では娘たちの母親は見つかっていない。3人目の女性(第2主体第1号人)は4親等以内の血縁関係になかったが、この古墳に葬られていた理由は不明である。
この結果、久米三成4号墳はDNA分析によって異母キョウダイの存在を初めて確認できた古墳となった。当時は女性が男性より寿命が短く、再婚事例が多かったと考えられている。また階層によっては一夫多妻が認められたので、異母キョウダイは多かったと推定される(図04.21,図04.22,2のp.84-85)。


古代DNA分析が、古墳時代研究においても大きな影響を与えていることには驚いた。
実際、2021年09月17日、金沢大学人間社会研究域附属古代文明・文化資源学研究センターの覚張隆史助教と、中込滋樹客員研究員(ダブリン大学助教)、ダブリン大学、鳥取大学、岡山理科大学、富山県埋蔵文化財センター、船橋市飛ノ台史跡公園博物館、愛南町教育委員会との国際共同研究グループは、日本列島の遺跡から出土した縄文人・弥生人・古墳時代人のパレオゲノミクス解析を行い、現代における日本人集団のゲノムが3つの祖先集団で構成されていることを世界で初めて明らかにしたことを発表した。
この研究では、日本列島の遺跡出土人骨から新たに12個体(縄文人9個体・古墳人3個体)のゲノムデータの取得に成功した。これらのデータに加え、既報の縄文人および弥生人のゲノムデータと大陸における遺跡出土古人骨のゲノム データを用いて、大規模な集団パレオゲノミクス解析を実施した。その結果、縄文人の祖先集団はおおよそ20,000~15,000年前に大陸の基層集団から分かれ、初期集団は1,000人程度の小さな集団サイズを維持していたことが分かった。そして、弥生時代には北東アジアに起源をもつ集団が、古墳時代には東アジアの集団がそれぞれ日本列島に渡ってきたことが明らかとなった。本研究では、自然人類学においてこれまで主流であった「日本人の二重構造モデル」をさらに発展させた、「日本人の三重構造モデル」を新たに提唱した([3])。
その一方で、日本列島の海岸部や周辺部においては、縄文系ゲノムの影響が強い個体も見られ、地域的差異を示していることを思い知らされた。
また、古代DNA分析により、上記の渡来人に関わることだけでなく、古代家族の具体相も明らかにしつつあることにも驚いた(2のp.85)。
この件でも、同展に深謝する。
また、機会があれば、地元関西の古墳時代の史跡やそれに関する博物館を訪れたい。
参考文献
[1] 独立行政法人 国立科学博物館,特殊法人 日本放送協会(NHK),株式会社 NHKプロモーション,株式会社 中日新聞社東京本社.“特別展「古代DNA-日本人のきた道-」 ホームページ”.https://ancientdna2025.jp/,(参照2025年05月24日).
[2] 特別展「古代DNA-日本人のきた道-」ガイドブック,152 p.
[3] 国立大学法人 金沢大学.“パレオゲノミクスで解明された日本人の三重構造”.金沢大学 ホームページ.金沢大学.https://www.kanazawa-u.ac.jp/rd/96414/,(参照2023年05月25日).
