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【構造検証】②内部構造という盲点ーなぜ正しい問いが防衛を生んだのか

 ※本記事では「責任配置」という語を使用していますが、現在は概念整理のため、「役割構造」という表現に更新しています。

はじめに.

本記事は、以下の記事の続きです。



1.私とAの間に起こったこと

あのとき私は、三層で整理していました。
関係構造。責任配置。行動誘因。

論理的には、間違っていませんでした。

しかし、Aにとってあの構造視点の問いは、「論点整理」ではなく、「土俵の変更」だった可能性があります。

私は確かに、議論の重心を整理しました。しかしAは、自分の問題意識ごと無効化されたように感じたかもしれません。

「あなたの認知は、意味がないものだ」と、眼前に突きつけられたようなものです。

私は外部構造を読んではいましたが、Aの内部構造を読んでいなかったのです。

2.外部構造と内部構造

ここで整理しておきたいことがあります。
三層モデルは、場の外部構造を扱います。

  • 関係構造:誰と誰がどう接続しているか

  • 責任配置:誰が決め、誰が責任を負うか

  • 行動誘因:どの行動が合理化されやすいか

しかしもちろん、人は外部構造だけで動いているわけではありません。そこには、その人の言動を規定する内部構造があります。

内部構造とは、「その人が自己像を維持するために用いている意味づけのシステム」です。

  • 認知モデル:何を重要とみなしているか

  • 発達段階:どの水準で理解しているか

  • 心理的傾向:防衛傾向か、挑戦傾向かといった心理傾向や、これまでの経験に基づく意味づけの癖

人は単に合理的に動いているのではありません。人は「自分はどういう人間でありたいか」という枠組みの中で、認知し、意味づけ、発言しています。
つまり、

「人は自己像を守る存在」

なのです。そしてそれは私たちが成長の中で強く実感していくところでもあります。

今扱っている認知モデルや発達段階、心理傾向は、その構成要素の一部であり、中核は「自己価値の維持」にあると言えます。

振り返ると、Aは「論理を整理したい人」「問題解決したい人」ではなく、

「道徳的である自分を守ろうとしている人」「自己像を正しさで支えている人」だったかもしれません。

私はそれを読まずに、無配慮にもAの構造を整え、相対化しようとした、ということです。Aの中にある「自己像」を両手で掴んで揺らしたのです。

外部構造としての問いは正しかったのですが、内部構造の前提理解が不足していたのです。


3.なぜ問いは「攻撃」になり得るのか

内部構造を読まないまま外部構造を触ると、 人は二つのことを感じやすいといえます。

  • 自分の意図が誤読された

  • 自分の立場が否定された

社会心理学では、 人は自分の信念や立場が脅かされたとき、 防衛的になる傾向があるとされます。

つまり、私は構造整理をしたつもりでも、 Aの内部では、

「あなたの見方は、正しくない」

に近い意味で受け取った可能性があります。
ここで初めて、私は理解しました。

構造を読むことと、構造を扱えることは違う。


4.構造は二重でできている

構造視点には、二つの層があります。

<外部構造>…「場」の配置を見る視点
◎関係構造
◎責任配置
◎行動誘因

<内部構造>…そこにある「人」の内面を見る視点
・認知モデル
・理解水準(発達段階)
・心理傾向
・経験的意味づけ

多くの構造論は外部構造だけを扱います。しかし、

内部構造を読まない構造介入は再現性が低い

のです。問いが整理ではなく「上からの是正」「世界観の相対化」に見えるからです。

つまり、私が構想する実践理論は、

構造を扱うとは、 人を無視することではない。
人の内側まで含めて読むことだ。

という立場にあります。

これは、 単なる「組織設計論」ではなく、
「教育・支援的構造論」です。


5.私の構造視点の位置づけ

私はこの失敗を通して、場の構造を読むための三層モデルを否定したのではありません。

むしろ、その適用範囲を拡張しました。

外部構造を整える前に、 内部構造を読む。
場を設計する前に、 「自分の視線」を設計する。

ここから、構造視点の身体化が始まります。


6.構造視点は、どのような知見に基づくか

ここで一つ、整理しておきたいことがあります。
それは、教育・支援の実践現場で日常的に観察される要素を、構造論の中に組み込んだものです。

私のこの思考モデルは、私の現場での教育・支援の実践をベースに、これまで学んできた発達心理学、社会心理学、マネジメント等の知見が背景にあります。本記事で提示しているのは、構造実践のためにこれらを掛け合わせた統合的なモデルです。

場の構造を読む三層モデルが「場の設計図」だとすれば、この内部構造は「設計図を扱う人間の前提条件」だと言えます。

ここを読まないまま構造に介入すると、問いは整理ではなく、是正に見えるのです。内部構造を読めば、問いは攻撃ではなく、補助輪になり得ます。


7.「構造を扱う」とは、人を無視しないこと

構造視点とは、 人を排除する視点ではありません。むしろ、「人を守るための視点」です。

人格を責めないために、 配置を疑う。

しかしそのとき、 人の内側を読まずに配置だけを動かせば、 結局、人は傷つきます。

だからこそ、

外部構造と内部構造を「同時に」読む。

これが、私が「身体化」と呼んでいるものです。



さいごに.

次回は、「構造視点の身体化」を批判的に整理します。



⏹️本記事は、マガジン
「壊れない現場 ― 教育・支援を『構造視点』で翻訳設計する」
の一部です。教育や支援の現場で起きる出来事を、個人の資質や努力に回収せず、関係構造・責任配置・行動誘因(=構造)から読み解き、現場を構造として翻訳し直す視点を順に整理しています。
このシリーズでは、
違和感 → 構造分析 → 構造視点 → 構造翻訳  → 構造設計 → 実装
という流れで、壊れない現場を構造から考えていきます。
はじめて読む方は、以下の記事からご覧ください。① 善意も熱意もあるのに、うまくいかない
② 問題は「人」ではなく「構造」にある

■ 壊れない現場 ― 構造視点シリーズ(マガジン一覧)

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