【構造検証】④構造視点の遍歴と駆動条件― なぜ私は「前提」を重視するようになったのか
※本記事では「責任配置」という語を使用していますが、現在は概念整理のため、「役割構造」という表現に更新しています。
はじめに.
これは以下の記事の続きです。
本記事では、構造視点が「どのような前提で動くのか」「なぜ理論の駆動条件が重要か」を整理していきます。
1.構造視点への遍歴と揺らぎ
出発点:現場での違和感と構造への気づき
私はもともと、制度や配置への強い関心がありました。教員となり教育現場で働きはじめて、教育実践のやりがいや楽しさと同時に、「苦しさ」も強く意識するようになりました。それは、現場の多くの場面で、属人的な道徳・倫理言語で物事が表現されることです。
私が最も違和感を覚えたのは、子どもたちに使う道徳・倫理語彙と同じものを以て、教員組織内でも同様の評価が行われることでした。この教育現場という「正しさ」「責任」が曖昧かつ強く作動する場で、私は現場で起こる様々な事象が「属人化」する現象に強く反発を覚えたのです。
私自身、若かったこともあり、この現象への怒りはやはり「現場への不満」として属人的化しました。しかし、現場の配置も見ようとしていた私は、教育実践と並行してマネジメントや心理学などの知見を読み漁り、「構造を見る」視点を養っていきました。当時の私は、今のように言語化して整理できていませんでしたが、「構造配置を考えれば、”改革”がしやすいぞ」という気づきを得たのです。私は授業や学級、職員の会議などの実践の場で構造に介入し、整えていくことで、ある程度の手ごたえを得ていったのです。
転換点:生まれた「構造化信仰」と反証
構造を読み、介入することで、私には
整理できることへの快感
論理への信頼
中立性への幻想
が生まれました。「構造を整えれば、人は傷つかずに済むのではないか?」という気持ちがあったのです。それは「構造化信仰」とでも言うべきものでした。
しかし、私に現場経験が増えるにつれて、その「読み」が外れる経験も増えてきました。その例が、このシリーズ第一部で触れた失敗事例や、【失敗検証】シリーズです。
2.内部構造との出会い
私自身、「構造化」に確かな手ごたえを感じていました。しかし、なぜ、うまくいかなかったのか。
現場で悩み、実践を重ね、突き詰めて考えた時、
「人の内面への理解が十分ではなかった」
という、至極当たり前の気づきを得ました。
人は論理では動かないし、「正しさ」は攻撃力を持つし、「善意」は固定化するのです。
そこで私は、教科教育に関わる学びだけでなく、
「人の心」に関わる知見に広く学びを求めました。心理学や精神医学、教育、支援、マネジメント、組織開発理論などに触れました。
特に、「人の感情や行動誘因」については、何度も理論と実践の往復を繰り返し、身体化していくことを心がけました。
すると、内部構造をふまえた外部構造への介入によって、防衛が和らぎ、場が自ずと変容していく場面が増えていくようになったのです。完璧とは言えないまでも、確実に前進することができるようになっていきました。
うまくいった場面と、いかなかった場面を比べるうちに、私はある事実に気づきました。
理論の正しさよりも、
理論が動く「前提」の方が重要ではないか。
という気づきです。
私は、理論よりも「人が立つ前提」を見るようになりました。
3.構造視点の「駆動条件」
構造視点が駆動するためには条件があります。
構造視点の三動作(止める→読む→戻す)は混乱を解決するための万能薬ではありません。
防衛が減る確率を上げ、停滞する場を自然変化させるための起点となる挙動です。
■ 構造視点が駆動する条件(3つ)
① 最低限の心理的安全性があること
・完全な敵対環境
→ バイアスを止める余白がありません。
・強い恐怖下
→ 内部構造を読む余裕がありません。
② 仮説を置ける時間的余白があること
・即時判断を迫られる状況では難しい
・時間圧力が高いほど属人化が増える
心理学的にも、強い恐怖や圧力の下では、人は思考を止めにくくなります。
構造視点は、構造を扱う私たちの心理的・物理的余裕に依存する
ということです。
③ 外部構造を動かせる裁量があること
・完全トップダウンの構造
・強い権威勾配の構造
・決定権が一点集中している構造
つまり、「戻す先」がないと、外部構造は変化しづらいと言うことです。
構造を扱う私たちが、外部構造の変容に関与できる立ち位置にいる必要がある
例えば、管理職、会議の参加者、支援者、教育者など、外部構造にアクセスできる裁量を持つということです。
4.構造視点が働きにくい場面
構造視点が駆動しづらい条件も存在します。
極端なパワーバランス
既にアイデンティティが固定化している集団
自分自身が疲弊しているとき
特に最後は重要です。
つまり、
構造視点の身体化は、自分の余裕に依存する
といえます。
5.それでも残る価値
ここで留めて置きたいのは、理論が動かない場面でも、
属人化を止める癖は残る
内部構造を仮説として扱う姿勢は残る
人を直接変えようとしない原則は残る
構造視点を「問い」として置くことはできる
ここがわたしの思想の核です。
このモデルは、完全解決の理論ではありません。防衛を減らし、場の変容確率を高めるための姿勢なのです。
6.現在地:「構造視点」とは何か
私は、構造視点とは、
人を責めないための視点であると同時に、
人の内面に無自覚でいないための姿勢である。
と意義づけます。
さいごに.
今後の問い
私は日々構造を見ていました。それは、人を責めたくないからです。
しかし、構造だけでは足りませんでした。人の内側を読まなければ、構造という「正しさ」は再び誰かを傷つけます。
だから私は、場の設計図だけでなく、それを扱う自分の視線まで含めて「構造」と呼ぶことにしたのです。
この考えは、思想でもあり、同時に現場から生まれた実践理論でもあります。
したがって、私たちが実践を積む中で更新され続けていく暫定モデルとも表現できます。
それでもなお、私は「属人化」よりも「構造視点」を主張したいのです。
そして構造を扱うときは、人の内側から目を逸らさないでいたい、と強く思います。
次回は外部構造を強く規定する要因である「制度圧」を扱います。
⏹️本記事は、マガジン
「壊れない現場 ― 教育・支援を『構造視点』で翻訳設計する」
の一部です。教育や支援の現場で起きる出来事を、個人の資質や努力に回収せず、関係構造・責任配置・行動誘因(=構造)から読み解き、現場を構造として翻訳し直す視点を順に整理しています。
このシリーズでは、
違和感 → 構造分析 → 構造視点 → 構造翻訳 → 構造設計 → 実装
という流れで、壊れない現場を構造から考えていきます。
はじめて読む方は、以下の記事からご覧ください。① 善意も熱意もあるのに、うまくいかない
② 問題は「人」ではなく「構造」にある
■ 壊れない現場 ― 構造視点シリーズ(マガジン一覧)
