敗者の文学? マカロニえんぴつ「ハロー、絶望」 がヤングじゃないアダルトにも沁みる理由
若者たちに人気のバンド「マカロニえんぴつ」の『ヤングアダルト』という曲の中に、「ハロー、絶望」というとても印象的な歌詞が出てくる。
マカロニえんぴつの大ファンの我が娘(15歳)によると、これはもう「マカえん推しに限らず、音楽好きや若者にとってハロー絶望はかなり有名」らしいのだが、40代後半のヤングじゃないアダルトなわたしはまったく知らなかった。確かにグッズになっているくらいなので、かなり有名なのだろう。

ハロー、絶望Tシャツ(わたしの私物)
しかしこの「ハロー、絶望」ってすごいことばだ。絶望という重いことばに、ハローという軽妙さ。文学でいうと太宰治と村上春樹をミックスしたような。「ハロー」と「絶望」この二つが合わさることによって、もう逆に笑うことしかできないほどの喪失感と、一種の開放感やカタルシスまでも表現している。ような気がする。
この言葉が、ふいに飛び込んできて、沁みた。ヤングじゃないアダルトなわたしにも。
二度目の不合格になった日、はじめてマカロニえんぴつを聞いた
その日わたしはかなり落ち込んでいた。履修していた資格課程科目のレポートが二度目の不合格になってしまったのだ。
わたしは通信制の芸術大学で文芸を学んでいる。結果メールを受け取ったのは、他の科目(日本文学)の対面授業の休憩時だった。めちゃくちゃショックだった。あまりのことに、授業が始まってもしばらくは内容が頭に入ってこなかった。
不合格の理由がわたしの怠惰の結果というのならまだわかるが、それなりに意欲を持って勉強にのぞみ、テキストを何度も読み、調査をし、わりと本気でやったうえでの結果だったので、わたしの受けたショックは相当に大きかった。
たしかにわたしには大学の科目の中でも、自分の感情を表現する創作系の課題に比べ、いわゆる批評や考察などの客観的な事実を述べる論述系の課題の評価が低いという傾向がある。でもいままで論述系の課題でも一番低くてもB評価で、不合格ということはなかった。それが二回も不合格だなんて、よっぽどだ。向いていないのだろうか。
すっかりやる気をなくして、もう京都からの帰りの電車で本を読むこともしんどくなって、音楽でも聴くことにした。ちょうど、15歳の娘の保護者付き添いで「マカロニえんぴつ」のライブに行くことになっていたので、予習も兼ねて聴いてみたのだ。

ハロー、絶望
まっすぐにことばが飛び込んできた。
「夢を見失った若者たちは 希望を求めて文学を はたまた汗まみれのスマートフォンを 握り締めて詩を書き溜める…」 マカロニえんぴつ「ヤングアダルト」より
ハッとした。なにこれ。ブンガクじゃないか。希望を求めて文学を、そして詩を書いて「ハロー、絶望」ですって。もう太宰治じゃん。
そう思って見たら、ボーカルはっとりの髪型まで太宰治チックに見えてきた。(※ほんとうはその髪型は、若かりし頃の奥田民生からきているようです。娘談)
沁みたわ〜。ヤングじゃないけど、沁みた。
YouTubeのコメント欄を見たら、たくさんの若者たちがこの曲に救われたとコメントをしている。学校や恋愛や仕事で悩んでいる若い人たちの心の叫びがそこにあった。
夜を越えるための唄が死なないように 手首からもう涙が流れないように マカロニえんぴつ「ヤングアダルト」より
「手首から涙が流れないようにっていうのは、リスカのことだよ」と娘が教えてくれた。15歳の娘が。
ドキッとした。
自傷行為であるリストカットを、15歳の娘がまるで馴染みのお菓子の名前を呼ぶかのように、もしくは仲の良い友達の名前を呼ぶようにごくあたりまえに「リスカ」と口に出していることにわたしは少なからずショックを受けていた。若い子たちはもうこんなギリギリのところにいるのかと。
いまこういう音楽やことばが必要とされているんだ。マカロニえんぴつの「ヤングアダルト」これはもう、「敗者の文学」と言えるのではないか。

敗者の文学とは
ちょうど、週末のスクーリング(対面)授業で、日本文学について学んだ。講師は「幕末的思想」や「『大菩薩峠』の世界像」などの著者である野口良平先生。詳しい授業の内容は記せないが、「敗者の文学」という視点で、学歴、性別、地方出身、戦争の体験など、それぞれさまざまな引け目をもつ「負け組」作家たちや作品について学んだ授業だった。
輝く場所にいない、もしくは輝く場所にいたとされているけれども決してそうではなかった作家たちがつくり出したもの、そしてそういった人たちに寄り添う「敗者の文学」が、わたしたちの救いとなり生きる希望を与えてくれることがある。
実際わたしも、授業中にとある作品のラストを読んで、思わず泣きそうになってしまった。「ああそういうことだったのか」と、いままで読んだことのある有名な作品だったのに、その日はとても特別に心に響いた。
そして授業からの帰り道、マカロニえんぴつの『ヤングアダルト』が沁みた。どうやらマカえんの「敗者の文学」は、ヤングじゃない大人にも沁みるらしい。
マカえんの音楽は、失われた世代にも沁みる
わたしたち30代後半〜40代後半の「ロストジェネレーション世代」は、社会に出たときにはすでにバブルが崩壊していた。景気のよかった時代をよく知らない。輝く場所はすでに消えていた。その後、阪神淡路大震災とオウム事件があり、時代はそのまま世紀末に突入した。
ヘミングウェイが「あらゆる世代は何かによって失われた」と言っているように、わたしたち世代も「ロストジェネレーション(ロスジェネ)世代」と言われている。(1970年〜1982年生まれで、バブル崩壊後の10年間に就職活動をした世代)
そのうえ、第二次ベビーブームで同級生が多かったため、常に厳しい競争にさらされてきた。そして人数が多いので多数決では、メジャー意見の勢力がやたら強かった。まだ多様性も個性ということばも尊重される時代ではなく、少数派や弱者の意見はなきものにされた。そのせいなのか「がんばれば、できる。なんとかなる。できないのは怠惰なせいだ」という強者の発想に誰もが縛られてしまっていた。「少数派」だったわたしでさえも。
いや、それは世代のせいじゃないな。確かに競争は激しかったけど、みんながみんな、そうだったわけじゃない。
わたし自身がそうなのだと思う。苦手なことできないことがいっぱいあるくせに、心のどこかでがんばればなんとかなると思っていて、できない自分を認められない。ゆるめ方がよくわからない。しかも「できない」「助けて」ってなかなか言えない。そんなんだから二回の不合格くらいで心折れちゃうのよ。
どこかそんな傾向にある「ゆるめられない大人たち」にも、マカロニえんぴつは効く。ような気がする。だいたい、バンド名がマカロニとえんぴつだもん。ゆるっ。
ライブ前、はっとりって実在するんかな、と娘は言った
はっとりは実在した。見たよ。
娘は最初から号泣してたけど、わたしは一番ラストの曲だった『ヤングアダルト』を聞いてやっぱりちょっと泣いた。でもそれは、娘のために、若い人たちのために、この曲を作ってくれてありがとうという気持ちで。
この曲で、生き抜いた人は多いだろう。
音楽も文学も、そういうものであってほしい。
音楽でも文学でも、とにかくこの時代を生き抜くためのことばが必要だ。若い人たちにも、若くない大人たちにも必要だ。それはいくつあってもいい。人それぞれにフィットすることばがたくさんあるといい。だからわたしもつくる。

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