街中で会った、緑色の髪の人。清冽な自己表現の人たち|街の人々②
インサイドビジョンの高木新平さんを見てから、街で緑色の髪の人たちが目に止まるようになりました。
スーパーの店員さん。
クリニックで受付待ちをしていた女性。
それに、高木新平さん。
それまでにも、緑色の髪の人を見たことはありました。
だけど、街の中にいたはずの人たちに、急に意味が立ち上がってきました。
緑色になった理由を考える
緑色にするからには、それなりに意図や理由があるのでしょう。
高木新平さんについては、僕の勝手な妄想ですが、ビジョニングという仕事上、場の非日常性を演出する装置のひとつに見えます。
それがご本人の意図かどうかはわかりません。
でも、髪色や服装や言葉遣いを含めて、新平さんの存在全体が、対話の説得力になっているように感じました。
スーパーの店員さんと、クリニックで受付待ちをしていた女性はどうでしょう。
どちらも、髪色に負けない装飾品や服飾で自分を彩っていました。
茶髪でも、金髪でもなく、緑色。
そこにはきっと、何かしらの自己表現があるのだと思います。
清冽な自己表現
恐らく髪色というのは、本人の意志だけでなく、染まり方や抜け方や、髪質の影響も受けるのでしょう。
それでも、僕はなぜか惹かれています。
その鮮やかさに。
自分を曝け出す清冽さに。
その人たちは、大声で主張するわけではない。
ただ、「ここに私は、私でいる」と言っているように見えるのです。
たぶん僕は、そういう人を見ると、羨ましくなるのだと思います。
僕も自分の自由にしたいと思っています。 でも同時に、見られることを気にしています。
一応、変に思われたくないし、誤解されたくないし、ちゃんとした人だと思われたい気持ちもあります。
だからこそ、緑色の髪の人たちに目が止まるのかもしれません。
その人たちが本当はどんな気持ちで髪を緑色にしているのかは、わかりません。理由がわからないまま、僕は惹かれています。
