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勉強しない子どもは、何を考えていたのか

たまに「考えるの、好きですよね」と言われることがあります。

だけど僕は、少し不思議な気持ちになります。

子どもの頃、勉強が好きではなかったからです。

でも、もしかしたら、遊びや人間関係の中で、ずっと考えていたのかもしれません。


遊びの攻略を考える

小学生の頃、僕のほぼ全ての時間と情熱は、遊びに費やされていました。

そもそも親の「子どもは遊びが仕事」という言葉を、
「中学に上がるまで勉強しなくていい」と、かなり都合よく解釈していました。

そして、「遊戯王」で相手の手札をゼロ枚にして勝つ方法。
「スマブラ」のミニゲーム「ターゲットをこわせ」を、最速でクリアする方法。
おもちゃ屋さんのベイブレード入荷情報を入手する方法。

そんなことばかり考えていました。

ただ遊んでいただけですが、いま思うと、子どもなりに試行錯誤していました。


人間関係のバランスを考える

遊びながら、人間関係の空気も考えていた気がします。

たとえば幼稚園の戦隊ごっこ。

友だちのゆうたろうくんは赤レンジャー、しょうへいくんは青レンジャー、そして僕は緑レンジャーと、気づけばお決まりになっていました。

赤は主人公っぽくて、青はカッコいい感じ。
でも、僕は緑レンジャー。

一度定着したその空気を、壊すことはできないと思っていました。

親には「自分は好きで緑レンジャーをやっている」と思ってほしくて、
普段から「好きな色は緑」と言うようになりました。

自分の気持ちと、友達の空気。
自分の本音と、親への見せ方。

子どもなりに、バランスを取ろうとしていました。


中学になると、その難易度はさらに上がりました。

小学校を卒業した春休み、親の都合で隣の県に引っ越しました。

そこには、小学校までと違う文化がありました。
言葉の感じも違うし、笑いのツボも違う。
何が普通で、何が変なのかも違う。

どうすれば、この場所で浮かずにいられるのか。
それでも、どうすれば自分らしくいられるのか。

たとえば、ヤンキーに目を付けられない、だけど少しカッコよく見えるジャージの着方。
ライトノベルを読んでいるけれど、オタクとして見られすぎない方法。

当時の自分にとっては切実な問題でした。

自分を出す。でも、出しすぎない。
周りに合わせる。でも、合わせすぎない。

その微妙な加減を、ずっと探っていました。


キャラの見せ方を考える

高校生になると、中学時代ほどは他者の目線に怯えなくなりました。

一方で、自分を良く見せることに力を注ぐようになりました。

カッコよく見える髪型や服装。
心に余裕がある受験生に見せる振る舞い。
初めて彼女ができて内心大喜びなのに、平然と見せる方法。

今振り返ると少し恥ずかしいことばかりです。

かなり意図的に、自分というキャラクターを演出していました。


その後、大学でテコンドー部に入りました。

そこで、僕の関心は少しずつ変わりました。

自分がどう見られるかだけではなく、テコンドー部がどう見られるか。
自分が楽しいかどうかではなく、周りの人も楽しめているか。

学年が上がるにつれて、そういうことを考えるようになりました。

身体が固い人でも、少しずつ柔らかくなる柔軟法。
テコンドー関係者から「都立大って良いよね」と思ってもらえる立ち回り。
一人ひとりは上手くなくても、全体として上手く見える団体競技の見せ方。

当時の僕は真剣でした。

たぶん、テコンドーという競技とその部活は、初めて自分の情熱を賭けられた場だったのだと思います。

僕は自分というキャラクターだけでなく、次第に、場のキャラクターも考えるようになりました。


人の心を考える

社会人になると、世界はまた一段と複雑になりました。

多様な国籍の人たちと働く。
利害の違う人たちとプロジェクトを進める。
上司から納得のいかない叱責を受ける。
自分では手応えがないのに、意外なところで評価される。

そういう中で、僕の関心は「人の心のうごき」に向かっていきました。

どうすれば、人は気持ちよく動けるのか。
なぜ、人は自己を誇示したくなるのか。
なぜ、正しいことを言われても受け取れないのか。
どういうときに、人は安心して自分の考えを出せるのか。
自分にとって、そもそも何が幸せなのか。

気づけば、そんなことばかり考えるようになっていました。

こう書くと、ずいぶん重いことを考え続けているように見えます。
ただ、僕にとっては、これも遊びの延長なのかもしれません。

考える対象が、ゲームから人に変わった。
自分の勝ち方から、人との関わり方に変わった。

それだけのような気がします。


考えたいことは、勉強の外にあった

振り返ってみると、僕が考えたいことは、いつも勉強の外にありました。

どうすれば、自分は楽しめるのか。
どうなると、人は傷つくのか。
どうすれば、人に良さが伝わるか。
どうすれば、人と人はわかり合えるのか。

幼少期には、戦隊ごっこの中で。
小学生の頃には、遊びの攻略の中で。
中学生の頃には、転校先の人間関係の中で。
高校生の頃には、自分というキャラクターづくりの中で。
大学生の頃には、仲間が楽しめる場づくりの中で。
社会人になってからは、仕事や組織の中で。

対象を変えながら、同じようなことを繰り返し考えていたのだと思います。

僕は、子どもの頃から、机に向かって熱心に勉強するタイプではありませんでした。

どうなると、人は動き出すのか。
どんなとき、人は幸せなのか。
どうすれば、自分は自分でいられるのか。

そんなことを、いまもやたら考えています。

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