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定義をしなければ本質に近づけない2つの言葉とは?

2026年7月より「哲学」を起点に言葉や物事を深く深く考え、自分の軸を構成し、自分の心に「凪」を創る土台となる記事をお届けします。

この本を読んで衝撃を受けました。

特に第10章。
この本はコーチングを学ぶ人にとっては必読の一冊だと思います。
個人的に何が衝撃だったか?

「質問」と「問い」の定義

この似たような2つの言葉について、
それぞれ定義をしていたこと。
ここが定義されていないと、思考のスタートがまるで違う。
(コーチングを受けるのにICFよりマスターコーチ認定を受けたコーチと対話するのか、小さな一スクールの認定資格を取得したばかりのコーチング初心者のコーチと対話するのかぐらいの差はあると思う)

同書では㈱コーチ・エィ取締役会長であり、
鈴木義幸氏が針の穴に糸を通すレベルの
精密で崇高な定義をされていて、痛快でした。

【質問】
正誤の確認や情報を取るために使われるもの

《引用元》
賢者の問い.鈴木義幸,ディスカバリー・トゥエンティワン,2026,199p

【問い】
まだ言語化されていないものを探索し、
意味を生成するためにするもの

《引用元》
賢者の問い.鈴木義幸,ディスカバリー・トゥエンティワン,2026,200p

定義から振り返る自分自身の「質問」体験

この定義から自分の体験を振り返ると、
他人との会話はまず質問から入ることが圧倒的に多いです。
初対面の人は特にそうですが、いきなり自分の話を切り出すことを私はほとんどしません。
(特に1対1の場面)
大抵、相手との距離感に配慮したつもりの質問から入ります。
相手の関心に関心を持ってインタビュアーに徹する時です。

そして相手の回答に対して
「なるほど」「たしかに」「まさに」
とか最もらしい相槌を打ってます。

そこから興味深く、相手が話しやすそうなポイントを選んで
ポイントを深堀りできるような質問をして、
人柄や考えていることなどを掴みに行きます。

定義から振り返る自分自身の「問い」体験

これは相手に対しては使ったことがほとんどありません。
ある程度の関係性にある人間にしか使えないコミュニケーションスキルだからです。

何も関係性が育まれていない他人に対して
「問い」を投げかけることは、
自分自身への不信感や不快感を与えかねないと思います。

(は?いきなり何言ってんだ?!この人は)
ぐらいに思われるのが関の山。

使うとすれば自分に対して「問う」という方法がまずは有効な気がします。
私の場合、一日を振り返って以下の言葉を自分に訊くことがあります。

「あの人は「何」を守りたくて怒りで自己防衛をしようとしていたのか?」
「自分はあの時、「何」を恐れてあの行動にふみきれなかったのか?」

この内容ならば問いではないかと思います。
なぜか?

1.自己防衛の質問になっていない
2.「問い」に「何」を入れているから

「問い」は内容によりますが、「何(What)」か「誰(Who)」を入れると効果的だと思っています。
「なぜ(Why)」は抽象概念を具体化するのに有効ですが、
人を追い詰める効力を孕んでいます。
そして永遠に答えが出ず、
「なぜだ?なぜなんだ~~~???」
の無限ループに突入しかねないこともありえるから
私はあまり「なぜ」を取り入れない「問い」を作ることを心掛けています。

「質問」は自己を守り、「問い」は自己を揺さぶる

この見出しは
賢者の問い.鈴木義幸,ディスカバリー・トゥエンティワン,2026,199p
を引用しております。

読んでいて以下の内容に驚きました。

(前略)
典型的には「これで大丈夫か?」だ。
(中略)
「私はこの自分でい続けられるのか?」と。
自己
防衛の質問であり、
アイデンティティ維持装置としての質問だな。

《引用元》
賢者の問い.鈴木義幸,ディスカバリー・トゥエンティワン,2026,199p

そうか。
これは質問だったのだな、と。

そして驚く内容が新たに出てきます。

で、この質問だらけのセルフトークを問いに変える必要があるのよ。

《引用元》
賢者の問い.鈴木義幸,ディスカバリー・トゥエンティワン,2026,199p

(…なんですと?!!)
ここで、質問が問いに変えられるのか?!と

ここで冒頭に挙げた「質問」と「問い」の定義に基づいて
「自問自答」と勘違いしやすい「質問と回答の数珠つなぎ」から
「問い」を使い、自分を未知の場所へ誘う。
誘った先に「自己変容」の可能性がある。

そして同書では以下の言葉が出てきます。

問いかけ続けるんだな、自分に対して。
「どんな自分でありたいのか?」

《引用元》
賢者の問い.鈴木義幸,ディスカバリー・トゥエンティワン,2026,199p

自分の命に灯った火が消えるまで、
永遠に思考し続けられるテーマだと思います。

さらに、同書では問いの本質にも触れています。

「問い」は基本的には「生まれる」もの

例えば次の様な場面です。
1.人からフィードバックを受けた時
2.自分が苦境に陥った時

そんな時には「正面から向かい合う」と同書では説いています。
問いかけ続けて、考え抜いて、もう一度「ありたい自分」という
セルフイメージを再構築する。

再構築されたセルフイメージには
命を使って挑む自分ならではの「ミッション(使命)」が
自分の言葉として昇華された状態で言語化されて
(もしくは言語化できなくても感覚知として)
自分の中に舞い降りる。
そして真の他者貢献が実践できる。
そう思います。

私はそこまでの境地に至ってませんが、
この本は「ありたい自分」に辿りつくための道標であり、
「質問」と「問い」を履き違えない指標でもあります。

生成AI隆盛の時代だからこそ読み解いてほしい一冊

よく生成AIに関することで、私が良く聴く言葉として

「問い」を立てる時代

というのがあります。
的を外してはいませんが、

「的の中心を得た言葉ではない気がする」

という肌感覚を持ち続けていました。
なぜこのモヤモヤ感が拭えなかったのかが
同書を読了してわかった気がします。

私の場合、スタート時はプロンプトという名の
「質問」か「指示」を入力していた経験しか
ほとんどないように思えます。

チャット上でのラリーを続けていく中で、
初めて「疑問」が生じ
「問い」が生まれ
「仮説」が生まれる。

そこから新たなプロンプトを入力して、
新たな「発見」や「疑問」が生まれる。

この過程(プロセス)の中で
「問い」が自然と生まれる。

これが本質ではないかと思いました。

最後までお読みいただきありがとうございました!
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