映画『でっちあげ』(6.27公開)の原作は「週刊文春」の“殺人教師報道”を断罪!
原作『でっちあげ』(福田ますみ著)は第6回新潮ドキュメント賞受賞
映画『でっちあげ~殺人教師と呼ばれた男』、どんな内容?
①からの続き。
25年6月27日から東映の配給で全国公開される『でっちあげ~殺人教師と呼ばれた男』(監督・三池崇史、主演・綾野剛、柴咲コウ)。
だいぶ前に公式サイトもでき、東映映画チャンネル(YouTube)では予告編のほか、特報やテーマ別の「史上最悪の殺人教師編」「極限状況編」「法廷編」、「本編映像」などが公開されています。
特に2か月前の「特報」は再生回数434万回とかなりの注目を集めました。
改めて「映画ドットコム」でストーリーを確認しておきましょう。
2003年。小学校教諭の薮下誠一は、児童・氷室拓翔への体罰を保護者の氷室律子から告発される。しかもその内容は、教師によるいじめとも言えるほど、聞くに堪えないものだった。それを嗅ぎつけた週刊春報の記者・鳴海三千彦は実名報道に踏み切り、過激な言葉で飾られた記事は世間を震撼させる。
マスコミの標的となった薮下は、誹謗中傷や裏切り、さらには停職と、絶望の底へ突き落とされていく。世間でも律子を擁護する声は多く、550人もの大弁護団が結成され前代未聞の民事訴訟に発展。誰もが律子側の勝利を確信するなか、法廷に立った薮下は「すべて事実無根のでっちあげ」だと完全否認する。
映画の中で、悪質なでっちあげ報道を行ったのは「週刊春報」と仮名にされていますが、福田ますみ氏の原作ではハッキリ「週刊文春」と明記。
ただ、原作をもとに脚本が書かれたとはいえ、あくまで映画は娯楽です。脚本家による創作や映画ならではの誇張、デフォルメもあるかもしれません。
「映画イコールありのままの事実」と受け取るのは危険です。
同誌のでっち上げ報道とその後の民事訴訟や教育委員会の対応の詳細については、やはり原作を読む必要があります。
手っ取り早く原作の内容を知りたい人は、福田ますみ氏の原作に基づき動画を制作した方がいるので、それを見るのも一興かと。
以下は、2023年3月31日に公開された「やるぽんステーション」氏による動画です。
当時はまだ映画化の話が公になっていないので、よくこんな動画を作ったものだと感心します。
ここでも冒頭に、報じたマスコミとして「週刊文春」と「朝日新聞・西部本社版」の名前が出てきます。
民事裁判では、原告側の訴訟戦術により完全な事実解明はできなかった
映画『でっちあげ』の本編映像は、被害者証言に基づく再現映像と「殺人教師」のレッテルを貼られた教師の証言に基づく再現映像を対比させています。
①でもリンクしましたが、非常に印象的なので再掲します。
これを見ると、事実は1つなのに、自称被害者と加害者扱いされた人の証言が百八十度違うことに、誰もが驚くはずです。
本当の事実はどうだったのでしょうか?
実は、原告の自称被害者とその親が5800万円(当初は1300万円)の損害賠償を求めて起こした民事訴訟でも、本当の事実は完全には解明されませんでした。
原告の親子は、加害者とされる小学校教師と福岡市を訴えたのですが、1審判決では小学校教師の加害行為(体罰・いじめ)が一部認められ、その部分だけ見れば、原告勝訴でした。
ところが、原告側の予想に反して、裁判所は小学校教師の加害行為の多くを「でっち上げ」と認定したのです。
その意味で、被告の小学校教師は実質的に勝訴したと言えます。しかし、教師は加害行為は一切ないとして1審判決に不満でした。
原告も、自分たちの主張の多くが「でっち上げ」とされて面目を失い、控訴する意向を表明。ところが、いざ裁判が始まると、控訴を取り下げてしまいました。
このため、事実解明は中途半端に終わりました。
福田ますみ氏は、原告親子が1審で勝ち取った「教師の加害行為の一部認定と損害賠償金獲得」という成果が、控訴審で覆され、全面敗訴になるのを恐れたのだろうと指摘しています。
たぶん原告側弁護団(なんと550人!)の訴訟戦術だったのでしょう。
民事訴訟の確定判決で「加害者」「不法行為を行った」とされた小学校教師
私たちは裁判に事実の解明を期待しますが、実際には、原告が裁判を起こすのは勝つことが目的であって、事実の解明が最優先というわけではありません。
民事裁判は特にその傾向が強く、最後まで争ったら負けるかもしれないと考え、1審で運良く自分たちの主張がある程度認められたら、そこで判決を避けて和解に持ち込むことはよくあります。
この事件の場合、原告親子が教師への控訴を取り下げたため、(教師に関する)1審判決が確定しました。被告福岡市に対し、一部の体罰・いじめにより損害賠償金220万円の支払いを命じる、というものです。
教師は不本意にも「加害者」「不法行為」の汚名を晴らすことができなかったのです。
しかし、原告は福岡市を相手取った訴訟は継続しました。そこで、小学校教師は「補助参加」という制度を利用して「原告親子VS福岡市の訴訟」に関わることになります。
残念ながら、控訴審判決も教師側には大きな不満の残る内容だったようです。
原告親子の主張はほとんど認められなかったのに、なぜか損害賠償額は330万円に引き上げられてしまい、一部の体罰・いじめも事実とされました。
こうして、民事裁判の結果、教師はあくまで「加害者」であり、児童は「被害者」、そして「教師は(体罰・いじめという)不法行為を行った」と認定されたのです。これが確定判決となりました。
福岡市が教師への処分を全て取り消し。冤罪だったことが証明される!
驚くべきことが起きたのはそのあとです。
報道や自称被害者とその親の言い分を鵜呑みにして教師を処分した福岡市教育委員会が、全ての処分を取り消したのです。
裁判所が認定した加害行為(体罰、いじめ)が事実なら、重い処分は撤回されたとしても、軽めの処分は残るはずです。それが一切何も無し。
福岡市は教師の“完全無罪”を言い渡しました。
小学校教師の汚名が完全に晴れたのはこの時です(確定判決はそのままですが……)。
なお、福田ますみ著の単行本は控訴審が始まるところで終わっていました。その後の控訴審と福岡市の処分取り消しについては、
「『でっちあげ』事件、その後」
「追記―いじめも体罰もなかった。冤罪が証明された『殺人教師』」
と題する原稿が加わった新潮文庫版で読むことができます。もちろん、映画の原作はこちらの新潮文庫版です。
新潮社のウェブサイトには、上記加筆原稿の元になった文章が公開されているので、参考までにリンクしておきます。
自称被害者の証言をろくに検証もせず大々的に報じた「週刊文春」
事件の教訓「自称被害者の証言を鵜呑みにしてはならない」は、生かされたのでしょうか?
全く生かされていないと言っていいでしょう。2003年以降も、マスコミのデマ報道、デタラメ報道、暴走報道、偏向報道、ペンの暴力は幾度も繰り返されてきました。
しかし、第4権力としてのマスコミを規制するだけの力を持つ存在は今のところ見当たりません。裁判所ですら福岡事件の小学校教師から「加害者」のレッテルを剥がすことはできなかったのですから。
彼らのペンの暴力を許しているのが日本国憲法で保障された「言論の自由」だというのは、実に奇妙です。
「言論の自由」によって個人の人権が侵害/蹂躙(じゅうりん)されてもいい、それは仕方のないことである、などと憲法は規定していないはずですが……。
それでも、「週刊文春」が日本中にまき散らしたデマは、裁判所の確定判決によってかなり覆されました。
ウィキペディアが分かりやすく整理しているので、それを引用します。

ご覧の通り、「認められない」のオンパレード。
これを読むと、「週刊文春」の報道がどれほど酷いものだったかよく分かるでしょう。
しかし上記ウィキによると、記事を書いた記者は、一部の加害行為を認めた裁判の判決を盾に、自らの非を認めていないようです。
記者と「週刊文春」が小学校教師に謝罪したのかどうか、記事の間違いを一切認めていないのか、それとも部分的には認めたのかなど、詳しいことは私には分かりません。
『でっちあげ』新潮文庫版の解説を書いた有田芳生氏も「週刊文春」を批判
意外にも、新潮文庫版の解説を書いた有田芳生氏が興味深いことを書いています。
2003年、有田氏が日本テレビ「ザ・ワイド」のコメンテーターをしていた時こと。「週刊文春」の報道を受けて事件を取り上げた番組は、スタッフの現地取材の結果を踏まえて、教師を一方的に断罪するような報じ方はしなかったそうです。
すると、「週刊文春」は自分たちの記事に同調しない「ザ・ワイド」に攻撃の矛先を向け、
〈史上最悪の「殺人教師」を擁護した史上最低のテレビ局〉と口汚い乱暴な言葉で反撃、N記者は〈あなたがたには果たして、人間の良心というものがあるのか?〉とまで言い募った。
というのです。
「週刊文春」の傲岸不遜ぶりを如実に示す記述です。
こうしたおごり高ぶった文章は、今でも「週刊文春」の誌面でよく見られるもの。私はそれが嫌で、数年前から同誌は一切買っていません。
もっと言えば、この種の傲岸不遜は「週刊文春」に限ったことではなく、何か事件や不祥事が起きたときの記者会見、報道などで、必ずと言っていいほど見られるものです。
まだ限られた情報しかないのに、その一部の情報だけをもとに特定の人や組織を居丈高に攻撃し、時には罵詈雑言を浴びせて悦に入る記者がいるのは、本当に驚きです。
(了)
